第163話 こころ

 九門九龍の組手稽古に於いて『釘御櫓くぎみやぐら』の状態になったらそこでとなり、その組手試合は終了する。


 それは釘御櫓が危険な技であると同時に技だからだ。


 釘御櫓は相手が戦意喪失状態……つまり降参するか、そうでなければ戦闘能力喪失状態になるまで


 つまり、相手が降参しない場合は最悪その相手が絶命するまで釘御櫓は終わらない。

 殴り続けるという単純な攻撃ゆえにその手を止めては反撃される可能性があるからだ。

 釘御櫓は反撃を許さない。否、許されない。

 だから、終わらない。


 虎子はこの技をリューには技術のみ伝授し、事実上の禁じ手とした。

 それはリューをおもんぱかっての事だった。

 このような凄惨な技は、リューには必要ないと判断したのだ。


 しかし、リューはその禁を破った。

 そこまでしないと魔琴には勝てない。

 言い換えれば、リューはこれが最後の攻防だと覚悟を決めたのだ。

 だからリューはその拳を魔琴に打ち下ろす。何度も何度も、際限無くだ。


 滅多打ち、という表現が相応しい連打、連打、連打……。

 それはただのパウンドではない。

 それは武術なのだ。


 近代格闘とは一線を画すその技術は相手の動きを制限し、誘導し、掌握する。

 必死に防御態勢をとる魔琴はすぐにそれがほとんど効果のない行動だと自覚した。


防御ガードしきれない……!?)

 まるで拘束具に固定されているような錯覚に混乱する魔琴に許されたのは、ただ殴られ続ける事だけだった。


 そのさまに武人会の武人たちは息を飲んだ。

 あのリューが、ここまで攻撃的になるなんて。

 それは人間側も同じだったが、その反応は武人達とは逆で彼らは大いに興奮していた。


 おおおおおおお!!

 大歓声はまさにクライマックスのそれだ。

 今、この会場にいる全員がここで勝負が決すると直感していたのだ。


 リューの拳が赤い。

 打撃の激しい衝撃による発赤はっせきだけではない。

 それは魔琴の血の赤でもあった。


 打ち付けた拳を引いた瞬間、魔琴の血が迸ってリューの顔に赤く細い筋を残した。

「……魔琴!!」

 リューは魔琴に呼び掛ける。

「降参してください!」


 対する魔琴の返答は予想通りのものだった。

「嫌だ! 絶ッ対に嫌だ!」

 その間もリューは攻撃の手を休めていない。

 振り下ろされる拳のひとつごとは確実に近づいている。


「もう勝負はついています! 逆転は有り得ません! あなたになら、それが分かるでしょう!?」

「っざけんな! 勝手な事言うな!! ボクはまだぁぶッッ!」

 リューの拳が魔琴の言葉を潰した。

 濁った音が魔琴の口の中で崩れていく。

「魔琴!!」

「……絶対に降参しない! ボクは絶対に敗けない! 絶対に、絶対に……!」


 そのやり取りは会場の大歓声に搔き消されてはいたが、舞台に近い虎子や武人達、それに羅市には届いていた。


 魔琴が自分自身に誓った『最強』。

 マヤ御三家最強と謳われる呂綺家に生まれた事で義務付けられたそれは、あまりに悲痛で愚直な決意だ。

 だが、それだけに気高い。


 羅市は普段絶対に見せない真摯な眼差しでそれを見つめ、虎子は流れ落ちる涙を気にも留めずにまばたきすら忘れてその結末を見届ける。


 そして、魔琴はまるで最後の力を振り絞るように叫んだ。

「敗けるくらいなら! 敗けるくらいなら……死んだほうがマシだぁっ!!」

「っ!!」


 リューはその言葉に目を見開くと思い切り息を吸い込み、一際大きく振りかぶった。

 そして。


 ドンッッ!!

 鈍い音が舞台の中央で響いた。


 その拳は固く握りこまれた鉄槌打ちの形で振り下ろされていた。


 まるで悔しさに耐えかねるように、行き場のない怒りを何かにぶつけるように。



 その拳は魔琴の顔面ではなく、その真横に振り下ろされていた。



 リューはもう一度振りかぶり、同じ事を繰り返した。


 ドンッッ!!


 再び魔琴の顔面、その真横の地面が穿たれる。


 ぽた、ぽた。

 魔琴の顔に2粒の雫が落ちた。

 それは覆いかぶさるように魔琴を見つめるリューの涙だった。


「……死んだ方がましな事なんて、ひとつもないよ……魔琴……」


 ぽたぽたと、何粒もの涙が魔琴の傷だらけの顔を濡らしていく。


 リューは魔琴の体に跨るような格好のまま両手で顔を覆い、嗚咽した。

「……もう、これ以上、できない……」

 その手と手の間から漏れるのは呻くような、心の慟哭だ。

「……わからない……なんで、こんな……こんなことを……」

 その声は震えていた。それは怒りにも似た虚しさを秘めていた。

「わたしは……こんなことをするためにここまできたんじゃない……!」

 それは殆ど言葉になっていなかったが、魔琴には確かに届いていた。

「……これ以上、友達を傷つけたくない……!」


 自分の体の上で歯を食いしばり、声を上げずに、呻くように涙を流すリューを呆然と眺め、魔琴は自らの心に問うた。



 呂綺家に生まれ、最強を背負い、今日まで生きてきた。


 生まれ持っての才覚と天稟は呂綺家の証。

 自分の強さに一切の疑いを持たなかった。


 しかし、目の前の人間……九門九龍・一之瀬流にはその強さは届かなかった。


 それは単なる『強さ』だけではない。

 心の強さすら、及ばなかった。


 リューは自分と戦うと同時に、リュー自身とも戦っていたのだ。

 迷い、悩み、葛藤し、それでも前へ進む強さ。

 自分には無い強さだった。

 勝利や敗北を度外視した、未知の強さだ。


 自分より強い者。

 手の届かない勝利。


 魔琴は生まれて初めてそれを感じ、それを受け入れようと決意したのだ。


 勿論、それが最初で最後になる事はわかっていた。


 全て覚悟の上で、魔琴はその言葉を紡いだのだ。


「まいった」



「……え?」

 リューが目を開くと、そこには傷だらけの顔で微笑む魔琴の……リューがよく知る、魔琴の顔があった。

「ボクの敗けだよ。……リューはすごいね。敵わないや」


 魔琴は観念したように腕を広げて大の字になり、大きなため息をついた。

「でも、まさか人間に敗けちゃうなんてなぁ……マジで凹むわぁ」

 その普段通りな様子に、リューは思わず頬を緩ませた。同時に、涙が零れ落ちた。


 次々に、それまでの涙よりもずっと多くの涙がとめどなく零れ落ちてゆく。

 魔琴の右手がゆっくりとリューの頬へ伸び、彼女の涙を指先でそっと拭った。

「……ふふ。泣いてんの? 笑ってんの?」

「……魔琴だって……」

 魔琴も、涙を零しながら笑っていた。



 決着……


 なのか?


 状況がつかめない会場はざわつき始めた。


 ざわ、ざわ、ざわ……。


 舞台のふたりの様子から決着がついたという事は推察できた。

 そしてリューが勝者であることも状況から確実。

 それを確信した誰かが叫んだ。


「殺せッッ!」



 そして、その声に感化されたように言葉は続いた。


を殺せぇッッッ!!」






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