第162話 人と鬼、リューと魔琴
魔琴はそれをつぶさに感じていたが、それがどうしたと鼻を鳴らす。
「ボクが寝技出来ないとか思っちゃってんのかなぁ!?」
滑るように魔琴の腕を、脚を獲りに行くリュー。そしてそれを躱す魔琴。
即座に攻めに転じる魔琴を捌くリュー。そのリューの反撃を迎え撃つ魔琴。
目まぐるしく変わる攻守と、無限とも思える技の数々。
ふたりは地面を転げ回り、一見するとじゃれ合っている様にも見えたがその実は一瞬の隙が命取りになる超低空戦だった。
おおおっ!
観客からは感嘆と興奮の混ざった喝采が巻き起こった。
まるでブレイクダンスの様に素早く、そして激しく奪い合うふたりの攻防は鮮やか且つ高次元。
観るものの心を奪う魂の激突は手に汗握る展開だと会場を盛り上げたが、虎子の表情は悲痛だった。
「私は……」
虎子が呟いた。
彼女の目には必死に戦う愛する妹が、可愛い愛弟子が、まるで『鬼』の様に見えたのだ。
それは
それは人ならぬ者にならねば辿り着けぬ境地。
「私は、リューをあんなにも強くしてしまったのか……!」
その境地にリューは達し、その先にも手を伸ばしている。
或いは彼女が弱ければ。
鬼と戦う力など持たず、彼女が普通の女子ならば。
このような、友と殺し合う狂気の沙汰に巻き込まれずに済んだのか。
自らが彼女の盾となり、守ってやることが出来たのではないか。
しかし、その因果の渦にリューを巻き込んだのは他ならぬ自分自身。
リューを修羅に……いや、その修羅すら喰らう羅刹にしてしまったのは、自分ではないか!
虎子の瞳に涙が滲む。
それはリューをこの『勝者無き戦い』に投げ込んでしまった自分への嫌悪と、取り返しの付かない未来への後悔の涙だった。
一進一退の激闘は超低空戦から徐々にその高度を上げて行き、期せずして再び立ち技での勝負へと変化していった。
「……リュー!」
魔琴が叫ぶ。同時にふたりが拮抗するように衝突し、『手四つ』の状態で両者膠着した。
この時点でふたりの消耗は著しく、ふたりともが同じように肩で息をするような状態だった。
それまでの『動』から『静』の攻防へと切り替わったがその激しさには変わりなく、拮抗するふたりの純粋な力比べは繋がれた両手を小刻みに震わせ、その衝突する力の強さを窺わせる。
歯を食いしばりつつ、魔琴はリューに問う。
「……リューは今日、来ないと思ってたよ」
「……」
「リューの事だから迷って迷って迷いまくって、今日は来ないと思ってた。でも来たね。やっぱりボクが憎いんだ。お母さんの仇の娘だから、憎いんだ。だから……」
「……」
「でもごめん。ボクは
「私には……」
俯いたまま、リューは呟いた。
「わかりません……」
「何が?」
「……あなたと戦う理由です」
「はぁ? 理由もわかんないのに戦ってんの? ふざけてんの?」
「そうじゃない!!」
「何言ってんのか分かんないよ!」
「私には分からない! でも、敗けられないのは私も同じなんです!」
突如、リューが均衡を破った。
獲物を狙う罠の様に突然突き出たリューの膝が、魔琴の顎を真下から強烈に突き上げる!
それを見た春鬼の顎がじりじりと疼いた。
あの技は『九門九龍・
かつて虎子に喰らったあの膝が、リューによって再現され魔琴の顎を打ち抜いたのだ!
「……がはっ」
濁った音は歓声に掻き消され、魔琴はよろりと仰け反った。
疑いようのないクリーンヒット!
決定打と言っても過言ではない一撃だったが、呂綺家のプライドは敗北を絶対に許さない。
「……だあぁっ!!」
獣の様に吠えた魔琴はそのまま倒れることなく踏ん張り、その反発で踏み込んでリューの喉を目掛けて足先蹴りを放った!
鋭く揃えられた爪先は呂綺の宝才を帯び、必殺の意気でリューの喉仏を蹴破る!
「呂綺家宝才・『
しかし、それは空を切った。
九門九龍には頸部から頭部への打突……特に槍のような
体を捌いて軸をずらし、突きを躱してその突きに来た槍を折る技。
形稽古で何千回と繰り返したこの技を、リューは飛び込んでくる魔琴の長い脚を槍に見立てて無意識に繰り出していた。
「九門九龍・『
『『『ブチブチッッ……!』』』
何かが千切れる様な鈍い音が、リューの耳元で響いた。
魔琴の蹴りは寸前で躱された。
リューは躱した蹴り足が伸び切った絶妙のタイミングでその先端部である足首を肩と首で挟んで
……腱が、靭帯が、関節が破壊されるそれは、嫌な音だった。
同時に、魔琴は大きく口を開け、そして直ぐにそれを噛み殺す様にして閉じた。
「〜〜〜っ!!!!」
苛烈なまでの激痛による絶叫……だが、魔琴はその悲鳴を決して声に出さなかった。
出せば敗ける、と確信していたのだ。
しかし、耐え難い激痛に彼女の端正な顔は歪み、涙が滲む。
その様子に、リューの動きがピタリと止まった。
無意識とはいえ、そういう技だとはいえ、魔琴の苦痛を自分の苦痛だと、リューは共感してしまったのだ。
その時のリューの顔は、明らかに『友』の顔だった。
それに魔琴は言い様のない憤怒を覚えた。
「……なめんなぁ!!」
魔琴は折れた足で、動きを止めてしまったリューの顔面を思い切り蹴り込んだのだ。
(折れた足で……!?)
想像もしなかった攻撃にリューは対応出来なかった。
魔琴は覚悟の上の
「……命の
文字通り命を削る魔琴の気迫に、観衆は固唾を飲んでいた。
「
足が折れているのなんて関係ない。
痛みなんてどうでもいい。
体の悲鳴を無視し、魔琴はがむしゃらにリューを連打した。
「うわあああああッッッ!!」
拳が、脚が、肘が、膝が、全てが闇雲に打ち出される。
魔琴はこれが最後でも構わないと心に決め、全ての力をこの一瞬に捧げたのだ。
「ボクは呂綺魔琴だ! 呂綺家は最強じゃなきゃいけないんだ! だから絶対! 絶対に敗けちゃいけないんだ!」
鬼気迫る魔琴の攻撃に呂綺家の格技特有の洗練された美しさは既に無かった。
そこにあるのは、ただひたすらに敗北を拒絶したひとりの少女の、マヤとしての
「ボクは絶対……勝つんだぁぁッッ!」
魂の咆哮と共に打ち出された乱暴な拳はこれまでにない程強烈にリューの顎で炸裂した!!
ぐらり……
打たれたリューがよろけ、そんなリューを倒れさせまいと魔琴は彼女の頭部を両側頭部から挟むようにして鷲掴みにして、リューを支えた。
そして絶叫した。
「……呂綺家宝才・『
バチバチバチッッッ!!!
弾けるような轟音が会場に響き渡った。
魔琴の両掌から目に見える程の宝才が紫電として迸り、それはその両掌に挟まれたリューの脳へと直接流れ込んでいく。
「〜〜〜〜ッッ!?」
リューは直に流れ込んでくる宝才の衝撃に歯を食いしばり、激しく痙攣した。
やがて食いしばった口から泡を吹き、白目を剝いて硬直……その口、鼻、耳からは薄っすらと湯気が立ち昇っていた。
紫電が霧散し、息も絶え絶えの魔琴が呟く。
「……さよなら……リュー」
彼女が手を離すとリューは糸の切れた操り人形の様にぐらりと傾ぎ、力無く魔琴の胸に体を預けるように寄りかかった。
リューに意識が無いのは目に見えた。
いや、無いのは意識だけではないのかもしれない。
鬼側の観衆はそれを察して沸き上がり、人間側の観衆は静まり返った。
澄は呆然として涙を落とし、春鬼は唇を噛んだ。
刃鬼は目を瞑り、虎子は……虎子はその場に崩れ落ちるように膝をついた。
そしてずる、ずるとずり落ちていくリューの体。
魔琴はそれを名残惜しそうに見つめるだけで、支えることは無かった。
深い海の底に沈んでいく友を見送るように、ただ落ちていくリューを見送ったのだ。
胸から腰。
腰から脚。
確かめる様に落ちていくリューは、魔琴の膝でぴたりと止まった。
ぞっ!
魔琴の背筋が凍った。
気付いた時にはもう遅かった。
魔琴は膝を支点に凄まじい勢いで後方へ押し倒され、その体の上にはリューが馬乗りになっていたのだ。
あっ!
観客が叫ぶ。
まさに、あっという間の出来事だった。
リューはまだ生きていた。
その事実に歓声が追いついたのは、もう少し後の事だった。
魔琴は自分の置かれた状況が明らかに劣勢であると、その時に思い至った。
それほどに予想外の事態だったのだ。
そして歓声が蘇る。大歓声だった。
観客はリューの取ったその態勢に沸いていたのだ。
その体勢こそ、難攻不落で名高い『マウントポジション』。
近代格闘において、数多の勝負が結論として証明してきたその優位。
しかし、九門九龍は古代よりその優位を絶対的なものとして確立していた。
虎子は……いや、虎子だけが知っていた。
あの姿勢。あの体勢。あの構え。
それに続く、その技を。
リューが選択した『その技』は、九門九龍における禁じ手の1つでもあった。
リューは拳を固く握りしめ、それを天高く振り上げ、その技の名を宣誓した。
「九門九龍……『
そしてその拳を、リューは迷うことなく魔琴の顔面に降り下ろした!!
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