第159話 一之瀬流VS呂綺魔琴 再び

 午後9時。

 定刻と同時に会場は大歓声に包まれた。


 会場全体を震わせる歓声は、二方向へと向けられる。

 会場の端と端、向かい合うような格好でリューと魔琴が現れたのだ。


 人間側からはリューが。

 鬼側からは魔琴が。

 歓声に見送られる様に花道を往く。


 ふたりはそのまま真っ直ぐ進み、舞台を目指す。

 リューは正面を見据えたまま、一歩一歩を踏みしめて。

 魔琴はオリンピックのアスリートのように歓声に応えながら、軽快な足取りで。


 それぞれの性格を表すような奉納者入場に、会場全体が割れんばかりの喝采と声援を送っていた。


 その奉納者ふたりが舞台へ入ると、申し合わせたように虎子と羅市が立ち上がり、舞台と観客席を隔てる木製の柵まで近寄った。

 そこはいわゆるセコンド席の様なものだが、そこに特別な何かがあるわけでもなくただ、仕合う者に一番近い位置というだけのものだった。


 羅市は向こう側のセコンド席から虎子を見て不敵に笑っている。

 虎子は唇を真一文字に結んだまま表情を崩す事はなかった。


 刃鬼ですら虎子に何も語りかけられない。いや、語りかけない。

 もう、この段になれば言葉には何の意味もないだろう。

 刃鬼にはそれがわかっていた。


 大歓声の中、リューと魔琴はついに対峙した。


 リューは白い道着に白の帯。対して魔琴は黒いトレーニングウェアの様な装束を身にまとっていた。

 一見するとジム通いの女子高生の様に見えるが、その装飾は繊細で決して安物とは思えない、動きやすそうなデザインと裏腹な重厚感すらあった。


「ねぇリュー」

 魔琴が思いがけず口を開いた。

「あきくんに『好き』って言えた?」


 からかうようなその口調はとても魔琴らしくて、ここが学校の教室ならそれはただの女の子同士の、普通の会話だろう。


「……いいえ。言えませんでした」

 困ったように微笑んで答えるリューに、魔琴はフンと鼻を鳴らす。

「いくじなし。時間はたっぷりあったでしょ」

「……」

 そんな魔琴の言葉にも、リューの表情が変わることはなかった。

「帰ったら、ちゃんと伝えます」

 リューの言葉に、魔琴の眉がかすかに動く。

「帰れると思ってんの?」

「そのつもりです」


 張り詰める空気に、魔琴は安心したような笑みを浮かべた。

「やる気になってくれたみたいだね」

「そうですね。まぁ、それなりには……」


 あまりに穏やか過ぎる。

 魔琴は拍子抜けしていた。

 だが、目の前のリューには動揺や迷いが全くない。


 きっとリューの事だから迷いっぱなしで考えすぎて、もしかしたら今日は来ないんじゃないか。

 魔琴はそんなことまで考えていたが、リューは見る限りベストコンディションで現れた。


 それなりにやる気……なんて言っておきながら、灼けるような気迫と痺れるような武力が魔琴を焦がす。


「呂騎家を背負って戦う以上、ボクは絶対勝つからね」

 魔琴は真剣だった。真剣に、そう言い切ったのだ。

「私も九門九龍を名乗る以上、『鬼』に後れを取るわけにはいきません」

 リューは魔琴の目を見て断言した。

「その呼び方、ムカつくなぁ」

 魔琴が眉をひそめると、リューは微かに笑みを浮かべた。


 リューはいつものリューだ。

 優しくて、どこか抜けてるけどいつも真摯で真っ直ぐな……。

 その表情が、アキの胸を騒がせた。


 リューは、本気だ。



 ドン! ドン!! と太鼓の音。


 その音は試合開始直前を報せる音。

 これから始まる死闘を報せる合図だ。


「ちょっとは楽しめそうだね」と、魔琴は笑った。


「ええ、楽しませてくださいね」と、リューも微笑んだ。


 ふたりは挑発的な笑顔を向け会い、一旦それぞれのセコンドのもとへ戻る。


 羅市は魔琴の頭をぽんぽんと軽く叩いた。

「よかったな。マジのリューとやりあえるなんてよ。代わって欲しいくらいだぜ」

「へっへっへ~、いいでしょ」

「気ィ抜くなよ。ありゃあ強ェぞ」

「うん、わかってる。人間のくせに、すごいね」


 リューは虎子から水を受け取り、一口だけそれを含み、深呼吸した。

そして顔を上げ、虎子と見つめ合う。

僅かな沈黙の後、リューは静かに口を開いた。


「行ってきます」

「御武運を」


 ふたりの会話はそれだけだったが、互いの瞳は言葉を超えた意志の疎通を感じさせた。


 今日、この日この時この瞬間まで、一之瀬姉妹が、師弟が、共に歩んできた年月が、この一瞬に凝縮されるようだ。


 リューは小さく頷き、虎子も同様に頷き返した。


 そしてリューは仲間達に背を向け、反対方向で同様にこちらを向いた魔琴を見つめる。

 全ての準備は整った。


 ドドン! という太鼓の音とともに澄の術が発動する。


 一瞬、舞台の周りを星模様が包んだと思った直後、まるでそこにガラスの壁があるかのような『防壁』が現れたのだ。

 試合の……の、開始だ。


 わあああああああっ!!!!!


 大歓声とともに始まった奉納試合!

 その歓声とともに飛び出したのは、リューだった。


 ざっ!!


 試合開始直後、踏み込みの音を置き去りにリューの姿が消えた。


 それはアキも見たことのある歩法、『九門九龍・白石』。

 神域の速度で機動、接近することにより相手を撹乱し、同時に間合いを詰める歩法だが、リューはそれを一直線に使用した。

 目標までの最短距離を行ったのだ。


 魔琴にとってそれは予想外の『初動』だった。

 牽制も様子見もせず、リューが極めて攻撃的な行動を取ったのだ。


「……っ!」

 だから反応が遅れた。

 意識が追い付いた頃にはリューは既に間合いに入っており、しかも飛び上がるほどの勢いをつけた状態で上半身を目一杯に捻って溜めを作り、それを拳に固く握りしめていたのだ。


「九門九龍・『弓代ゆみしろ』ッッ!」


 リューが放ったのは全力で敵をぶん殴るというシンプルなだけに強力な技だったが、その使い方に虎子は息を飲んだ。

 もし、虎子自身であれば全身全霊の全力ストレートを放つだろう。

 リューにもそう教えていた。


 しかし、リューはその拳を正拳ではなく縦拳に構え、正面から真っ直ぐにではなく、飛び込んだ勢いのまま上から下へと斜めに打ち下ろすようにして魔琴の顎を素早く打ち抜いたのだ!


 ガッッ!!


 超速の鈍い音が魔琴の頭蓋をに激しく揺らし、同時に脳が跳ねた。


 ワッ!

 それはリューのスピードに追い付いた歓声だ。

 しかし、その大音声だいおんじょうも魔琴には聞こえていなかった。

 瞬間、魔琴の意識はブラックアウトしていたのだ。


 だが、意識を喪失していても魔琴の体は倒れてはいなかった。

 それは彼女の潜在意識と身体能力の高さもあるが、それこそがリューの狙いでもあった。

 それに加え、打ち下ろす攻撃によって即座の転倒を防いでいた。

 何もかもが、続く『2発目』の為だった。


 左拳を振り抜いたリューはその勢いで回転した。そして『螺旋』を意識していた。

 振り抜いた拳の運動エネルギーは下降しつつ、螺旋を描きながら加速する。

 背筋がその加速にさらなる加速を与え、それは螺旋運動によりさらに威力を増す。


 武力ぶぢからの本質は意識の力だ。

 加速、加速、加速……それを意識のレベルで繰り返すことにより、実際の威力もまた加速する。

 増幅された力がそれを解き放つ対象を貫き通す様に、留まる事なく突き抜けて行く様にイメージする。


 他の武人に比べて非力なリューが、それでも他の武人に引けを取らない、或いはそれらの上をいく力を引き出せる秘密は、そのにあった。


 そうして最高加速、最大出力に達したリューの左拳は貫手ぬきてへと形を変え、ほとんど屈んだ様な位置で着地した左足底で思い切り踏み込み、さらに腰を限界まで切り、すべての力をその左貫手に託した。


「九門九龍・『腰巳編こしみあみ』ッッッ!!」


 リューの貫手は鋭い音と共に魔琴の右脇腹に深々と突き刺さった!


 『腰巳編』の狙いは重要な急所のひとつ『肝臓』。

 一撃で勝負を決しても不思議ではない必殺の急所打ちを、リューは文字通りのだ。


 ウワッ!!

 と、また大きな歓声。

 そのすさまじい歓声に、魔琴の悶絶はかき消された。


 いや、かき消したのはリューの追撃のアッパーカットが魔琴の顎を打ち抜いたからだ。リューは必殺の腰巳編レバーブローで終わらせず、さらに追撃を加えたのだ。


 ぐらり。

 曖昧な視線の魔琴の体が傾ぐが、リューはその体を倒すまいとさらに拳を放った!


 ゆらり。

 打たれてよろめく魔琴を追いかけるようにリューはさらに彼女を打った!


「たあああっ!!」

 リューが吠えた。まさに咆哮だった。

 まるで猛獣のように、あのリューが獣のように魔琴に襲い掛かる!


 拳、蹴り、膝、肘……矢継ぎ早に繰り出されるリューの連打に蹂躙される魔琴。

 リューは攻撃の手を緩めるどころか、さらにその勢いを増していく。

 その鬼気迫る拳足の乱舞に会場は大きく沸いた。


 わああああッ!!


 その歓声は歓喜か? それとも悲嘆か?

 アキは固唾を飲んでその光景を見守るしかなかった。

 

 そんな彼の背後で誰かが言った。

「これ、決まっちまうぞ……」


 誰もがそう感じてもおかしくない状況だ。

 しかし、アキを含めて武人会の武人は誰一人そう感じてはいなかった。


『マヤ』は……いや、『呂綺魔琴』は、そんなに簡単な相手ではない。

 それが分かっていたからだ。





 一方その頃、桃井は神社横に特設された簡易酒場で、大斗の頬を全力の平手で張っていた。


「……何やってんですか大斗さん! なんでこんなところにいるんですか!!!」






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