第158話 髭のペテン師

 会場は超満員。

 むせかえる熱気が会場の温度すら上げている。


 武人会には特別に舞台の最前列の席があてがわれていた。

 そこには刃鬼をはじめとした武人会の武人達や有馬家の使用人、有馬流の門弟達がリューの応援のために駆けつけていた。  

 もちろん、仁恵之里の住人達も。


 人間側の席も鬼側の席も、異様な空気で満たされていた。


 舞台の中央では澄が護符を並べて何かをしている。

「有馬さん、澄の奴、何をしてるんですか?」

 アキは隣に座っている春鬼に尋ねると、春鬼は舞台を覆うような仕草とともに答えた。

「護符術で結界を作るんだ。あまりに激しい試合になると被害が観客にも及ぶことも珍しくない。だから澄の『籠目護り』という護符術で舞台を障壁バリアのように覆うんだ」


 澄が両手で『印』を結び、何事かを呟くと舞台を囲むように無数の光る星模様が浮かび上がった。

 アキも何度か見たことのある、護法家護符術の発動だ。


「しかしそれは同時にこちらからの干渉も防ぐことになる。試合開始とともに有効化するあの結界は、試合の決着がつくまで舞台の内側と外側を音や空気以外、完全に隔てる事になる。つまり、逃げる事はもちろん、こちらから助けに入る事も出来ない。もとより、この試合とはそういったものなんだがな……」


 澄は結界の準備を終えると、武人会用の座席に戻ってきた。

 汗をかき、息が上がっているところを見ると、あの術はかなり消耗する術のようだ。


「……アキ、リューに会えた?」

 澄は汗をぬぐいながら言う。

「ああ。会えたよ」

「何か言ってた?」

「……勝って、帰ってくるって……」

「……そう」


 はっきりとそう言ったわけではないが、リューはアキの言葉に笑顔で応えた。


「……リューは昔からいつもそうだ」

 春鬼が呟く。

「あの笑顔は本心でもあり、仮面でもある。優しさゆえに、優しい嘘もつく。お前には分からなかったか、国友」

 春鬼の瞳は鋭く、まるでアキを値踏みするようにも思えた。

 アキがリューの隣に立つに足る存在であるのか否かを……。



 一方、桃井も会場に入っていたが、この異様な空気と光景に吐き気を催していた。

(すごい熱気……うぷっ)

 鬼と人間、双方の憎悪や怨恨、そして好奇が渦巻くこの混沌に、桃井の精神が追いついていないのだ。


 羅市の忠告を受け、それでもこの試合を見届けると決意した桃井。

 この程度で挫けてなるものかと自らを鼓舞し、吐き気を飲み込んだ。


(あそこに武人会の人達がいる……)

 会場を見回してすぐ、最前列に虎子やアキの姿を見つけた。しかし……

(あれ? 大斗さんは?)

 大斗の姿は無かった。


 実の娘が今まさに死闘に赴こうというのに、父親の姿が無いことに違和感を覚える桃井。

 仮に自発的に来ていないのだったとしても、理由はなんだ? 単に『娘が傷付くところを見たくないから』なんていう理由が通用するような状況ではない。


 桃井は会場を見渡して大斗を探すが、大斗の前にひとりの男に目が止まった。

 その男を桃井は知っていた。

 会ったことがあるわけではない。

『資料』で知っていたのだ。


 男は意外な程、近くにいた。

 まるで突然その場に現れたような気配の無さだ。その割に、言い様のない存在感のあるその長身。

 ひと目で分かる上質な背広に身を包み、深いブラウンの髪をオールバックにし、その二枚目を絵に描いたような彫りの深い顔に顎髭をたくわえた中年の紳士……。


『裏 留山』


 ヤイコから手渡された『資料』に於いても鬼の貴族・マヤの中で特に注意を払うべき存在と注釈のあったその男が、声の届く場所にいた。


「……自己紹介が必要かな? さん」

 柔和でいて渋い、留山の低い声が桃井の全身を震わせるようだった。

 すべてを察したようなその表情に、桃井はまともに目を合わすことが出来ない。

「……いえ」

「ほう、噂通り聡明な方だ。それに、噂以上に美しい」


 留山が自分の事を知っているということは、彼が自分の持つ『裏留山に対しての情報』もある程度把握していると見て間違いない。

 桃井は余計な事を言うのを控え、留山はそれを好ましく思った。


「時に、誰かお探しかな?」

「……」

 桃井が言葉を紡ぐより早く、留山が答えを言った。

「大斗くんだろう」

「っ!」

 ニヤリと口角を上げる留山。桃井の反応は言葉よりもモノを言っていたということだ。

「……彼はもそうだった。12年前のあの時も」

「12年前……?」

「訊きたいかい?」


 これが留山の撒いただと言う事も、それに自分が食いついてしまった事も、桃井はすべて承知の上で留山の言葉を待った。

 留山もそれを十分理解した上で、続けた。


「……雪さんがお亡くなりになった後、彼はしばらく自暴自棄に陥っていたのさ。現実を受け入れられず、その現実から逃げ出したんだよ」

 留山が横目でちらりと桃井を見た。

 彼女が物語の続きをせがむ子供のような顔をしていることに思わず頬が緩みそうになったが、彼はなんとかそれを堪えた。


「無理もない。あんな惨劇の中で愛する者を失えば、私だってそうなるだろう。そして、今もそうだ。彼は逃げたんだよ。それもまた無理もない。大事な大事な一人娘が命を賭けて戦う姿など、見ていられない!」


 芝居がかった台詞だが、桃井は既に留山の手の中。何の疑問も抱かずに自分の話に傾聴する桃井をべく、彼は仕上げにかかった。


 留山は狙いすましたこのタイミングで「しかし!」と、桃井の手を取ったのだ。


「それではいけないと思わないか? 桃井さん。逃げてばかりではいけない。彼はこの試合を見届けるべきだ。それがきっとリューさんの力にもなるだろう。そうは思わないか?」

「……そ、それは……」

「そうだ。そうなんだよ桃井さん。、それが出来るんだ! いや、出来ない!」


 その言葉が起爆剤になる事を留山は十分すぎるほど理解していたからこそ、心の底からたのしかったのだ。


「……桃井さん、彼は今と共に神社の側にある酒場にいる」

「平山さんと!?」

「その通り。今すぐ行って、大斗くんの目を覚まさせてやってくれ。彼はもう逃げてばかりでは……」

「失礼します!」

 桃井は留山の話が終わるのを待たず駆け出していた。

 行き先は訊くまでもない。


「……くくっ」

 思わず留山の口から空気が漏れるような音がした。

 すると、彼の両脇から音もなくふたりのメイド姿の少女が現れた。マリー姉妹だ。


「お館様ぁ、『いい人』の演技が板についてきましたね!」マリオンが笑顔で言う。

「でも、いじわるぅっ! 桃井さんの気持ちを知ってて、あんなふうに焚き付けるんですもん」そう言うルイも笑顔だ。


 双子の笑顔は可愛らしく、そしていびつにも見えた。

 ……いや、一番歪なのは留山だったのだろう。


「なぁに、私はいつだって善人さ。特に女性にはね」

 そしてマリー姉妹の頭を優しく撫でながら、愉悦に満ちた笑顔で呟くのだった。


「さぁ不死美。全てはキミのシナリオ通りだよ……」

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