第157話 武人 一之瀬 流
同時刻。
アキと澄は既に神社の奥にある『会場入口』から試合会場へと向かっていた。
長くて薄暗い暗い廊下を歩きながら、澄はこの『会場』の事をアキに説明する。
「……ここは次元結界のちょうど真ん中。一年に一回、この奉納試合の為に『特別に開く空間』なんだよ。だいたい東京ドームと同じくらいの大きさらしいけど、使うのは会場周辺だけだから、あたしも確かめたことないんだけどね」
つかつかと進む澄のあとを追うアキ。
確かに仁恵之里には『なんでもあり感』が漂っている気はしていたが、ここまでとは……。
しばらく進むと、何かが聞こてきた。
(……人の声?)
アキは耳をそばだてるが、進むにつれてそのざわめきは大きくなり、それが『声』である事ははっきりした。
そして廊下の向こうが明るくなってきた。
その先には開けた空間があった。
「……満員じゃん」
澄がその空間の先を見て呟く。
何かと見れば、そこはまさに『舞台』だった。
すり鉢状の会場は広く、相撲の観客席の様な感じだった。
そして会場の中心には円形の広い『舞台』がある。
土俵のようでもあり、リングのようでもあるそこは間違いなく『戦いの舞台』だということが気配でわかる。
その舞台は面積で言えばボクシングのリングの3〜4倍程度。胸の高さ程の木枠を円状に組んだ柵で囲まれ、地面は人工物ではなく土か砂を固めて作られているようだった。
まるで漫画の世界だ。
本当にここでリューと魔琴が戦うなんて、まるきり漫画だ。
しかし、事実なのだ。
それを浮き彫りにするかのように、満員の会場は熱気でむせかえり、皆が異様に興奮しているのが手に取るように感じられた。
その光景を目の当たりにし、アキの脳裏に蘇るのは例の地下。
かつてアキが無敗を誇り、それをリューにあっさり破られたあの地下賭博闘技場。
この会場を取り巻く熱気はその地下の何倍も濃密で、何倍も高水準の物だった。
澄は会場のちょうど真ん中あたり、白いテープの様な物を指差した。
それは観客席を二分するように引かれている。
「あそこから向こうが鬼の観客席。間違っても行っちゃダメだよ」
その線の向こうの観客席に座っているのは『鬼』ということだ。
鬼達は一見普通の人間のようにも見えるが、確かにやたらでかかったり、どうにも異形な感じのものもいた。
澄は腕時計をちらりと見て唇を軽く噛んだ。
「試合までまだ時間あるからさ、リューのとこに行ってあげて」
「……お前は?」
「私はやることあるし、それに行っても多分泣いちゃうからダメ。リューの気持ちを萎えさせちゃうよ」
澄はアキから顔をそむけるようにして言った。微かに覗く、憂いを帯びたその表情が彼女の心境を物語る。
「リューの控室はそこの階段降りてすぐだから。……リューによろしく言っといてね」
澄はそう言い残して足早に去って行った。
彼女が去り際に見せた表情は笑顔だったが、瞳は潤んでいた。
リューと勇次の決闘の際、澄はその決闘を阻止しようと躍起になったが、リューの覚悟を知り、それを認め、リューを信じて彼女の助けになろうと決意した。
本当なら今回の決闘もいの一番に反対したいところだろうが、彼女はそれをしなかった。
当然賛成というわけでもないだろう。だが、澄はリューの覚悟を揺らすようなことは一切しなかった。
それは彼女がリューを信じているからだ。リューの勝利を、生還を信じているからだ。
しかし、それは結果的に魔琴の死を意味する。
リューが魔琴を殺すことを……。
「そんなの、絶対おかしいって……」
アキはリューの控室の前で呟いた。
そんな結果を澄が望むわけがないし、リューが望むわけがない。
だが、そうしなければリューが……。
この部屋の中にリューがいる。
しかし、扉を開ける事が出来ない。
どんな言葉をかければいい?
どんな顔をすればいい?
アキがそんな迷いを抱えたままで扉の前に突っ立っていると、
「アキくんですか?」
部屋の中からリューの声がした。
「え! ああ、俺だよ。なんでわかったんだろ……」
「ふふ、なんとなくですよ」
アキは深呼吸し、意を決した。
「……入ってもいいかな?」
すると、リューはまるで自室へ招き入れるように応えた。
「鍵はかかっていません。どうぞ」
アキは息を飲みつつ扉を開け、部屋の中に入る。
「お、お邪魔します……」
部屋にはリューしかいなかった。
彼女はすでに道着を着こんではいるものの、気配はいつものリューだった。
部屋は殺風景な和室で、目立つ物といえば目の前の大きなテーブルくらいだ。
そのテーブルの上には立派な包みの……和菓子だろうか?
場違いにも思える贈答品の様なものが置いてあった。
「……これですか?」
リューはアキの視線から彼の疑問を察したようだ。
「さっき頂いたんです。以前、鬼に襲われて亡くなられた武人会の方の奥様から。わざわざここまで来てくださったんです。『どうか主人の仇を』と仰っていました」
……復讐。
虎子の記憶の中で、彼女は奉納試合を『復讐の場』と表現した。
まさにその通りだろう。その通りだけど……そうかもしれないけど……!
アキは心の中が疼くのを感じていた。
「でも、おかしな話ですよね」
リューはぽつりと呟いた。
「その方を殺めたのは魔琴じゃないのに……」
その呟きはあまりに小さくて、アキには聞き取れなかった。
「……え?」
「いえ、なんでもありません。それよりひどいですよ、アキくん」
「ひどい? 俺、何かしたか??」
「はい。意地悪です。ふふふ……」
そう言いつつも笑顔のリューを見る限り、たいしたことではないのだろうけど……身に覚えがない。
リューは穏やかな笑顔のままで続けた。
「せっかく『何も言わずにカッコよく戦地に赴く孤高のファイター』的な感じだったのに、ここまで来ちゃうんですもん」
リューは花火の直後、無言で去ったことを言っているのだろう。
「そ、そうか。リューの中ではそういう設定だったのか……」
「元々、ああいうときは何も言わないのがベストなんですけどね。下手に何か言うと、それで戦う心構えが乱れてしまう事もよくある話なんです」
……澄がここに来なかった理由がまさにそれだろう。
「じゃあ、俺は来るべきじゃなかったかな……ごめんな」
しまったな……とアキが俯くと、リューはその手を取った。
「いいえ。ありがとうございます。来てくれて、嬉しいです。アキくんは、いつも私を助けてくれますね……」
リューの笑顔はいつものリューだが、その内に秘めた孤独と葛藤と決意が、繋いだ手からアキに伝わってくるようだ。
「……来年も花火、見に行こうな」
アキはリューと繋がる手に、少しだけ力を込めた。
「え?」
「また一緒に回ろう、祭り」
「アキくん……」
「だからさ……ちゃんと帰って来いよ」
アキはリューに勝ってほしい。
それしかリューに未来が無いなら、それしか望めないなら、それが欲しい。
自分は完全に傍観者だ。こんな事を言うのは無責任にもほどがある。
それでも、自分はリューを失いたくない。
アキの心には、いつでもリューが居ることに彼はようやく気が付いたのだ。
アキの言葉に、リューはにっこり微笑んで彼の手を握り返した。
「はい!」
だめだ。そんな笑顔で応えられたら……。
アキの視界が滲んだ。
鼻の奥がじんじんと疼く。
目頭が熱い。
涙が零れ落ちてしまう。
その時、部屋のドアから軽いノックの音が響いた。
「リュー、入るぞ」
虎子だった。
リューはアキと繋いだ手を恥ずかしそうにぱっと離すと、「どうぞ」と答えた。
「アキ……来ていたのか」
いつもの虎子ならこんな時『お楽しみの最中だったか?』なんてふざけそうだが、彼女の表情は真剣だった。
「リューに話があるんだ。悪いが外してくれ」
アキにそう言う虎子の眼は、春鬼と戦った時に見せた鋭さを宿していた。
「アキくん。本当に……ありがとうございました」
本当に曇りのない笑顔で手を振るリュー。
その後ろで、虎子は再度アキに『出ていけ』と目で訴えた。
何か気の利く台詞の一つでも言えたなら……だが、結局アキはなにも言えずに部屋出た。
アキが自分の至らなさにいたたまれなくてしばらくその場に立ちつくしていると、部屋の中の二人の会話が聞こえてきた。
「……リューよ。いまさら何も言う事はない。だが、この試合はお前にとって通過点に過ぎないという事を忘れるな」
虎子の声は今まで聞いたことがない程真剣で、深く静かだ。
「勝て」
短い言葉だった。
余計な装飾のない、それは師としての厳命。
「はい」
応える弟子の言葉もまた短かった。
それは決意と覚悟の表れだ。
「……少しの間、ひとりにしてくれませんか?」
リューが言う。
「分かった」
虎子はそれ以上何も言わなかった。
がちゃり。
ドアが開く音がして、虎子が部屋を出る直前。
アキは急いで少し先にある角まで走り、身を隠した。
わざとではないにしても、盗み聞きしていたなんて思われたくなかったからだ。
しかし、虎子はアキの逃げた方向に歩いてきた。
(まずい……)
アキが慌ててさらに奥へと逃げようとしたその時。
「アキ」
虎子の掠れた声がアキを呼んだ。
バレてたか……と、姿を現すアキだったが、虎子の顔を見て絶句した。
先ほどの鋭利な表情とは全く逆の、弱りきった苦悶の表情の虎子がそこにいたのだ。
「戦うな、と言いたかったんだ……本当は、戦うなと……! お前は戦わなくてもいいと、本当は……本当は……ッ!!」
虎子はアキに寄りかかり、彼の胸にすがるようにそのシャツを掴んだ。
「だが、リューのあの顔はなんだ? 完全に迷いを断ち切ることができるほど、彼女は強くなってしまったのか……私は、彼女を修羅にしてしまったのか……!」
虎子は両手でアキの胸元を掴んでいた。
その肩は震えていて、その声は呻くようにか細かった。
控室ではリューが道着の帯を締め直し、最後の確認を行っていた。
とんとんと軽く跳び、関節をほぐし、呼吸を整える。
いつも稽古で虎子と組手をする前の様な、『普段通り』。
彼女は部屋を出る前、テーブルの上に何通かの手紙を綺麗に並べた。
お父さんへ
お姉ちゃんへ
シュン兄さんへ
澄へ
アキくんへ
それぞれの宛名を縦一列に、丁寧に並べた。
そして鞄から口紅を取り出し、それを自らの唇に薄くひいた。
微かに色付く程度だが、それでいい。
もしもの時。その時に、せめて見苦しく無ければそれでいい。
全ての支度を終えたリューは部屋の灯りを消し、扉を閉めた。
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