仁恵之里大祭 奉納試合

第153話 決戦前夜

 そして8月24日。

 決戦前日。


 今日は土曜なので朝には虎子が現れるはずなのだが……。


「お姉ちゃん、遅いですねえ。なにかトラブルでもあったんでしょうか」

 リューが心配そうに言う。

「そうだな。いつもはもう来てる時間なのにな……」


 アキとリューは虎子の帰りを待ちわびつつ、ちょっと遅めの朝食をとっていた。ちなみに大斗はまだ寝ている。


 いつもなら虎子はこの時間にはすでに帰って来ていて、一緒に朝食を食べているのだが……。

 アキは嫌な予感がしていた。

 先週末の記憶が蘇り、腕の中で消えた虎子の儚い感触がどうしても頭を過ぎってしまう。


「アキくん? どうかしましたか?」

「え? あ、いや……なんでもないよ」

 つい、顔に出てしまったか。

 アキは曖昧な笑顔で誤魔化した。


 ……虎子の事も気掛かりだが、もうひとつ大きな気掛かりもある。明日の事だ。

 明日はリューにとって、とても重要な日。

 虎子なら、師匠としてなるべく早く仕上げの稽古か何かをしてやりたい、とか思いそうなものなのだが。

 気掛かりはやがて不安へと変わり、アキは朝から全く落ち着かないでいた。


 ……虎子の事もそうだが、アキはリューの落ち着きようも逆に不安だった。

 リューは前回の武人会議の日から今日まで、全くいつもと変わらなかった。

 奉納試合に向けて稽古の内容を変えたりも無い。

 いつもと同じ時間、決められた量の稽古をいつも通りこなす日々。


 きっと魔琴と戦う事について頭の中はいっぱいなのだろうが、それを表に出すことはついに無かった。


 余裕なのか、楽観なのか、確信なのか、それとも諦念なのか……分からない。

 全く感情の読めない彼女の笑顔が、アキは不安だった。



 昼になるとリューは神社へ行くと言い出した。

「明日の準備ですよ。屋台を出すのを手伝ったり、テントを組んだりするんです。蓬莱神社はお祭りのメイン会場ですからね」


 ……いいのか? 明日はお前の……


 アキはそんな事を言いそうになったが、リューの笑顔を見ると無粋な言葉は引っ込んでしまった。

「アキくんも一緒に行きましょう!」


 やはり、なにを考えているのかまるで掴めない……。

 



 神社はその周辺からすでに大賑わいで、大勢の人が賑やかに祭りの準備に励んでいた。

 屋台はもちろん、祭りの飾り付けも盛大だ。この祭りは相当な規模らしい。


 神社の境内では、澄が祭りの関係者と思しき女性と何か話をしていた。

「あ、リュー、アキも! 来てくれたんだ~~!」

 アキ達を見つけた澄は、手をパタパタと振って二人に呼びかけた。

「はい! なんてったって年に一度のお祭りですもんね!」

 リューは駆け寄ってきた澄を抱きとめて微笑む。


 そんな微笑ましい光景を横目にしていると、アキはふと何者かの視線を感じた。

 その方を見ると、先ほど澄と話していた女性がアキをじっと見ている。

 神社の関係者なのか、いかにもな巫女装束に身を包んだその『美女』に、アキは見覚えがあった。

「……ぅあっ! 常世さん!!」


 その巫女さんこそ蓬莱流砲術の伝承者にしてミス・戦争ウォーの異名を取るコマンドー巫女・蓬莱常世、その人だった。


(忘れていたけど、この人って神社の巫女さんだったっけ……) 

 その美貌が巫女装束にドハマりしている常世に見惚れそうになったアキだが、その実に潜む『オーガ」を思い出してかぶりを振るのだった。



「あらぁ、アキくん。お久しぶりね。ついに蓬莱流に入門する気になってくれたのかしら?」

 アキに気が付き、満面の笑顔で両手を広げて大歓迎する常世。

 アキは後退あとずさって首を横に振った。

「いえいえいえいえ違います!」

「そんなに全力否定しなくても……ま、私は狙った獲物は絶対に逃さないから。覚えておいてね」

 にっこり微笑む常世に、アキの背中が一発で冷えた。


 まぁその話は置いといて……と、常世はアキにだけ聞こえるように言った。

、訊いたそうね」

「……はい」

「私は正直、虎子は自分のことを打ち明けないと思っていたわ」

「え? どういうことですか?」

「打ち明けずに済むならそれに越したことはないって、虎子自身も言ってたのよ。私もそう思ってた。でも、あなたが単に藍之助さんと瓜二つだってだけじゃなくて『宝才が効かない事』まで同じだったから、虎子も決心したのね。でも、私はそれだけが虎子の心を動かしたわけじゃないと思う。これは私の所感だけど、あなたはとてもに信頼されているのよ。そうでなきゃ、自分の弱いところを意地でも見せたがらないあの頑固者が、自分の過去を見せたりしないわよ」


 不意に虎子の感触を思い出したアキ。

 確かに虎子は強がりなのかもしれないが、アキは彼女の『弱いところ』をつぶさに見て、感じた。


 過去を想い涙し、現在いまを悩んで迷い、そして未来に不安を抱いている。


 完全無欠の超人のような彼女が、そんな人間らしさを『自分には』隠さず、あらわにしている。


 そういう意味では信頼されていると言ってもいいのだろう。

 しかし、それは素直に喜ぶとか、そういうものでも無いことは分かっている。 


「……常世さん、俺が虎子に何かしてやれることってありませんか?」

「あなたが?」

「はい。なんかこう、放っとけないっていうか、黙ってみてられないっていうか……」


 常世は意外そうな顔をしたものの、「そうねぇ」と顎に手を当てて数秒考え……そして。

「蓬莱流に入門することかな?」

 さも名案! と言いたげに微笑んだ。


「いや冗談抜きで!」

 思わず語気が荒くなるアキだったが、常世は至って真面目だった。

「冗談なんかじゃないわよ。あなたが強くなることが虎子の為になるんじゃないかって、割りと真剣に思ってるんだけど」

「俺が強くなって虎子を守るとかですか? あんなに強い人を何から守れってんですか」

「あなたが守るのは、リューちゃんよ」

「……リュー?」


 意外な言葉にアキは言葉を詰まらせた。

 常世は真剣な眼差しで続ける。

「あなたが強くなって、リューちゃんを守るのよ。強くなるっていうのは何も戦闘能力に限ったことではないわ。精神的にも強くなれってこと。そうして、リューちゃんの精神的支柱になって欲しい……虎子はそんなふうに考えてるんじゃないかなって、私は思うわ」

「そ、そうなんでしょうか……」

「あくまで私の所感よ。でも、そういう点で蓬莱流はうってつけだと思うんだけどなぁ〜。メンタル鍛えられるわよ〜!」

「……な、なんかイイ事言って強引に入門させようとしてません?」


 そこへ聞き慣れた、そして聞きたかった声がふたりを呼んだ。

「お、また勧誘か? アキもいい加減諦めたらどうだ。蓬莱からはそう簡単に逃げられんぞ?」


 虎子の声だった。

 

「お姉ちゃん!」

「虎ちゃん!」

 すぐにリューと澄も虎子に気が付き、駆け寄ってくる。

「よう! みんな。仕事の関係で来るのが遅れてしまったよ」


 虎子はいつの間にかその場に現れ、いつも通りの笑顔を振りまく。


「リュー、朝は連絡ができなくてすまなかったな。せっかくの朝食を無駄にさせてしまったかな……」

「いえ、大丈夫ですよ。お父さんが全部食べてましたから!」


 虎子は仕事の関係で遅くなったと言うが、事実ではないだろう。

 おそらく体に関するで早朝から姿を表すことが出来なかったに違いない。


「ん? アキ、どうした? 私の事をじっと見つめて。そうか、これが視姦か……」

「ば、バカか! お前なぁ……俺、あれからすげぇ心配したんだぞ……」


 先週末のことを思い出し、つい胸が一杯になってしまったアキ。思わず涙ぐむが、事情を知る由もないリューと澄にはアキのこの反応はよくわからない。

「アキくん、どうしたんですか?」

「え、何? 泣いてんの? きんもー」


 虎子はそんなアキの背中をバンバン叩き、この妙な空気を豪快に笑い飛ばした。

「はっはっは! アキはよほど私に会いたかったんだな! 素直で宜しい。 はっはっは!」


 楽しそうに笑いつつ、一瞬だけ、アキにだけ分かるように虎子はとても優しい目をした。

 それは先週末に見せた、あの安心したような瞳だった。


「さぁ、明日の祭りの準備はどうだ? 蓬莱、状況は?」

「少し遅れ気味かしら。後はアキくんの働き次第ってところね」

 そして女子全員の目がアキに向いた。


「……え?」思わず間の抜けた声が出てしまったアキ。

「え? じゃないぞアキ。こういう時に男らしく率先して動かんヤツはモテんぞ」  

 ずいずいっとアキににじり寄る虎子。

 そして常世がそれを援護する。

「そうよアキくん。それとも銃口を向けられないと動けないたちなのかしら?」


 常世は巫女装束の下に忍ばせていたショルダーホルスターから大型拳銃を抜いてちらちらさせていた。

「わ、わかった! やります! 何でもやりますからそれ仕舞って下さい!!」


 そんなこんなで、泣く子も黙る仁恵之里最強お姉さんふたりに脅され……ではなく、アキは夕方までぶっ通して祭りの設営準備をしたのだった。


「わぁ、アキくん働き者ですねぇ」

 リューは頑張るアキに目を輝かせ、その内実を知る澄はアキを正直気の毒に思っていた。

「アキってこういう星のもとに生まれちゃったっぽいよね……」



 そして夜。

 アキは(常世に)死ぬほどこき使われて疲れ切った体を風呂で癒やし、就寝の準備をしようと居間へ戻ると、リューがひとりスマートフォンを見つめていた。

「……」


 リューはアキに気づかなかった。

 余程集中しているのか、スマートフォンの画面をじっと見つめている。


 遠目とはいえアキはリューの背後に立つような格好だったので、彼女の手元が見えた。

 もちろん覗くつもりなんて無かったが、彼女のスマホの画面が見えてしまった。 

 画面には魔琴が写っていた。


 自撮りで撮ったであろうアングルのその写真は、リューと澄、そして魔琴の3人が体を寄せ合って楽しそうに笑っていた。


 その写真を見つめるリューの横顔は、とても穏やかだった。



 アキはリューに気付かれないようゆっくりと、物音を立てないように後退り、居間を離れた。


 ……アキの胸が騒ぐ。

 切なさとやるせなさが感情を掻き乱しそうだが、自分なんかよりリューのほうが何倍も辛いはず。

 そう思うと更に胸が苦しくなる。


 俯いて歩いていると、前から大斗がやってきた。

「……アキ、どうかしたか?」

「いや、別に……」


 大斗はいつも通りだった。

 明日は実の娘の運命が決まる日だというのに、大斗は本当にいつも通り……いや、その実、心配で仕方が無いのだけれどそれを押し殺しているのだろう。

 アキはそう考え、リューについては何も言わないことにした。


「……虎子は?」

 アキが訊くと、大斗は「もうよ」と答えた。

「ああそうだ、虎子からお前に伝言があってな」

「伝言? 何だろ……」

「明日の朝9時に刃鬼さんに集合だってさ。藤原は迎えに来ないから、リューとふたりで来いって」

「わ、わかったよ」

「おう、そんじゃな。オヤスミ……」

 そして大斗は仕事部屋へと消えていった。


「……有馬さんの家ってことは、武人会本部だよな……なんだろう」


 嫌な予感とは少し違う、胸騒ぎ。

 アキはこの妙な感覚に、戸惑いを抑えられなかった。



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