第150話 ふたりっきりの夜……

 虎子が微睡まどろみから覚めると、そこは自宅の居間だった。


 体の下にはマットレスの代わりとばかりに座布団が連なって敷かれており、体にはタオルケットがかけられていた。

(……アキが気を遣ってくれたんだな……)

 時計を見やればもうすぐ午後7時といったところだった。


(3時間ほど眠っていたか……?)

 動きが鈍った頭で計算していると、背後からアキの声が虎子を呼んだ。

「お。起きたか」

「ああ……これ、ありがとう」

 虎子がタオルケットと座布団を指差すと、アキは笑った。

「俺にはそのくらいの事しかできねーし」

「いや、助かるよ。お陰でかなり回復したよ」

「じゃあ、飯食えるか? 俺作るよ」

「食えるが、いいのか? というか、料理できるのか?」

「まぁな。とは言っても簡単なモノなら、だけどね」


 そう言ってアキは台所へ向かい、材料を見繕って焼きそばを作った。



「おお、これは見事な」

 虎子は思ったよりちゃんとした焼きそばに少し驚いていた。

「アキ、なかなかやるじゃないか」

「いやぁ、焼きそばなんて超カンタンよ。味付けはソースだけでもイケるし、カット野菜でもあればそれっぽくなるし。東京にいた頃はしょっちゅう食ってたよ」

「そうか。ということは、これはアキの得意料理なんだな……では早速、いただきます」

「おう、食え食え。おかわりもあるし」


 ふたりっきりの夕食は焼きそばと味噌汁というちょっと質素なものだったが、虎子は心底満たされた気分だった。

 まるで500年前……藍之助とそうしていたように、穏やかに食事が出来ることが嬉しかった。


 昼間の死闘が嘘のような、優しい時間はゆっくりと過ぎていく……。



 食事が終わり、アキはコーヒーを淹れて買い置きしてあったプリンをデザートに出した。

「至れり尽くせりだな」

 嬉しそうにプリンを口に運ぶ虎子。

(こうしてると、ホントに普通の女の子だよな……)

 そんな彼女の様子をアキが見詰めていると、虎子はふふっと可笑しそうに笑った。


「なんだよ、人の顔見て笑って。俺の顔になんかついてるか?」

 アキが言うと、虎子は右手をパタパタと小さく振った。

「いやいや、すまん。……藍殿を思い出してしまってなぁ」

「藍之丞さん? 俺とそっくりだからか?」

「それもあるが、藍殿もよく料理を振る舞ってくれたな、と思って。あの当時は男が厨房に立つことはあまりない時代だったが、藍殿は料理が趣味でな。中々の腕前だったぞ」


 虎子はおもむろに立ち上がり、アキの隣に腰を下ろした。

「と、虎子?」

「こうして肩を並べて食事をして、他愛のない話をして笑って……幸せだった」

 そしてアキに寄り掛かるように身体を密着させた虎子。

 アキに緊張が走る。


 しかし、穏やかだった虎子の表情に影が差した。

 やや俯き気味に、彼女は静かに語り出す……。


「昼間、春鬼に斬られた時にの光景を見たんだ」

「有馬さんの……心を斬るとかっていう……?」

「そうだ。死喜アレに斬られると辛い過去やトラウマを突き付けられるとは聞いていたが、実際にやられるとここまで堪えるとは思わなかった……」 

 虎子はアキの胸に顔を埋め、泣き出しそうな声で続けた。


「藍殿やさくらの最期を見たよ。あの時の……あのままの光景だった。心臓が止まるかと思った」

「……」

 悲しすぎる過去。それに対し、アキは何も言えない。

 虎子はとうとうアキの身体に腕を回し、彼を抱きしめるような格好になった。


「辛かった……怖かった。悲しくて、悲しくてなぁ……」

「虎子……」

 虎子は泣いていた。アキは抱きつかれたときこそ緊張したものの、胸の中で震える虎子の心の傷を思うと自然に緊張は消え去り、彼女の背中に優しく手を添える事が出来た。

 すると虎子の震えは徐々に治まり、呼吸も落ち着いた。


「……悲しかったが、不思議と以前のような憎悪は感じなかったんだ」

 虎子は落ち着きを取り戻し、だが掠れるような声でゆっくりと語る。


「全く感じないと言えば嘘になるが、なんと言うか……傷口が癒えている様な、そんな感覚を覚えたんだ。その時、お前やリューの顔が浮かんだよ。そして澄や大斗、刃鬼、鵺、現……家族や仲間達の存在を感じた。私は長い年月をかけて皆に癒やされているんだなぁと実感したよ。……だが、寂しい気持ちだけはどうしても消えない。思い出す度、切なくなる。これだけは、困ったものだ……」


 そして虎子は囁いた。

「……胸の中の感触までそっくりとは。神のいたずらとは、まさにこの事かな……?」

 艶っぽい瞳でアキをちらりと見やり、虎子は甘える様に微笑んだ。


 今こうして身体を寄せる虎子が自分に藍之助を重ねていることにアキは気付いていたし、それでいいと思っていた。

 それで虎子が少しでも楽になるなら、むしろそうしてほしいと純粋な気持ちで彼女の背中に手を添えることが出来た。

 アキは虎子を慰めたかったのだ。


「……なぁ、アキ。ひとつ頼まれてほしいんだが」

 虎子はアキの胸に顔を埋めたままだった。だからその表情は窺えない。

「俺にできることならなんでも」


 アキがそう答えると、虎子は数瞬の間を置いて呟いた。

「このまま抱いてくれんか」




「へ?」

 アキの間の抜けた声が、静かな居間に響いた。






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