第149話 勝者の義務

 虎子は乱れた髪と呼吸を整えようともせず、動かなくなった春鬼を見つめて唇を噛んだ。


「に、兄さま!!」

 麗鬼が春鬼に駆け寄るが、虎子がそれを一喝する。

「触るな!!」

「っ?!」

 余りの大声に麗鬼は肩を震わせ、硬直してしまった。

 慄く麗鬼に、虎子はか細く告げる。

「……脳を損傷した可能性がある。無闇に動かすな……」

「そ、そんな……」


 麗鬼は真っ青な顔で震え、奥歯をガチガチと鳴らしながらスマートフォンを取り出した。

「きゅ、救急車……救急車を……」

 うわ言の様に繰り返しながらスマートフォンを操作する麗鬼だが、指先が震えて『119』という3つの数字をタップする事が出来ない。

 その間も、春鬼の血が石畳や玉砂利を真っ赤に染めていく……。

「あ、あぁ……にいさまぁ……!」

 零れ落ちる麗鬼の涙から目を伏せ、虎子は項垂れた。


 本気でやらなければ、勝てる相手ではなかった。

 かと言って、これで良い訳がない。


 真剣勝負だといえども将来有望な若者の未来を奪ってしまった自責の念に虎子の胸が押しつぶされそうになった、その時。

「……痛ってぇなぁ……クソっ」

 春鬼がむっくりと起き上がって唾を吐いた。


「お前なぁ龍姫とらこ、ちったぁ加減しろこのバカ。俺が間に合ったから良かったものの、下手すりゃマジでヤバかったぞ……」

 春鬼らしからぬ態度と目つき、そしてこの雰囲気は……。

「オーデッド……」

「春鬼からは絶対に出てくんなって言われてたけどよ、これは仕方ねぇだろ。つーか、やっぱり負けたか。あのクソ童貞、素直に俺を出せば良かったのによぉ。青臭ぇんだよクソが」


 彼は春鬼の中に住まう別人格、『剣の魂・オーデッド』。

 春鬼よりも数段上の実力を自負するオーデッドは宿主春鬼の危機に反応し、強制的に入れ替わる事でその命を救ったのだ。


「一応言っとくけど負けたのは春鬼で、俺は負けてねぇからな。大体なぁ、春鬼は死喜オレを全ッ然使いこなせてねぇんだよ。不殺殺さずの誓いのせいだかなんだか知らねぇがあいつがオレをブン回しても蒟蒻すら斬れねぇなんてあり得ねぇだろ……つーかなぁ、俺がオレを使えばダイヤモンドだろうが自由の女神だろうが斬れないものなんてねぇんだ! 俺は負けてねぇ! 負けてねぇんだよぉぉ!」


 と、大声で捲し立てたオーデッドだったが出血著しく、貧血でその場に倒れてしまった。

「痛えッ! あーもう! ムカつくわー! おい麗鬼いもうと! 肩貸せ! 帰るぞ!!」

 急に元気になった兄が別人格に入れ替わったと理解している麗鬼。しかし、麗鬼はオーデッドのことが苦手だった。

「に、兄さまに言われるならいいけどあなたに言われるとなんかすごくイヤだわ……!」

「なに!? 俺はお前の兄貴の命の恩人だぞ! もっと労れ! っつーか早く肩貸せ!」

「うう……虎子! 覚えてらっしゃいよ!!」


 麗鬼は何故か虎子に捨て台詞を投げつつ、オーデッドに肩を貸しながら心底安堵していた。

(何にしても、兄さまが無事で良かった……)


 そしてよろよろと歩き始めたふたりだったが、不意にオーデッドが振り返り、虎子に問うた。

「おい虎子、ひとつ訊いときたいんだけどよ」

「……なんだ?」

「お前さ、『コレ』で全部丸く収めようとかしてねぇよな?」

 そう言ってオーデッドは指を鳴らす仕草をした。

 それは言わずもがな、『蓮角の宝才』を意味している。


 虎子は図星を突かれた様に押し黙り、オーデッドはその様子にいかにも呆れたため息をついた。

「……やっぱりそうか。お前が春鬼の決闘を受けた時に『変だな』って思ったんだよ。どうせお前は春鬼に勝ってコイツを納得させた上で『コレ』使って、自分が魔琴と戦うように『操作』するつもりだったんだろ」


 そしてオーデッドは虎子に向けて指を鳴らし、ついでにフンと鼻も鳴らした。

「本心じゃあリューも戦わせたくねぇ。もちろん春鬼も戦わせたくねぇ。なら自分が戦って、ドロは全部自分で被る……お前の考えそうな事だよな」


 全て図星だった。

 虎子は何も言い返すことが出来ず、ただ俯くだけだった。

 そんな虎子に、オーデッドははっきりと言った。

「そーゆーの、やめろよな。それは春鬼の青臭ぇ覚悟を踏みにじる行為以外の何物でもねぇんだよ。この勝負に勝った以上、お前は黙って最後まで見届ける義務がある。だってそうだろ? そもそもこの決闘の結果にお前が割り込む余地なんてハナからねぇからな。春鬼はリューの代わりに奉納試合に出たかった。お前はそれを阻止したかった。そんでお前が勝って、お前の望み通りになる……つまり、奉納試合には予定通りリューが出る。そういうことだ。違うか?」


 虎子は何も言わなかった。

 それはある意味での肯定だった。


「……まぁ、俺はリューが勝とうが魔琴が勝とうがどっちでもいいが、リューが魔琴と戦うこと自体は大賛成だ。あいつらは……特にリューは『けじめ』をつけるべきだと思う。それは師匠であるお前のけじめでもある。だからお前は最後まで傍観してろ。それが春鬼への礼儀じゃねーのか」


 全て彼の言う通りだと、虎子は何の反論も無かった。

 それがよく分かっているオーデッドは、そんな虎子にそれ以上何も言うまいと彼女に背を向けた。


「……帰るぞ麗鬼いもうと。取りあえず医者だ」

「その怪我でよく生きてるわね、あなた……それよりも、『コレ』とか、『操作』とか、どういう意味?」

「お前は知らなくてもいいんだよ」

「……そう。わたしは兄さまが無事ならなんでもいいわ……」



 そんなふたりを見送る虎子のもとに、アキと不死美がやってきた。

 不死美は座ったままの虎子に一礼し、

「おめでとう御座います」

 と、虎子の勝利を称えた。

「……」

 しかし、虎子にとってその勝利は喜ばしい事ではない。むしろオーデッドに全てを見透かされ、自分の浅はかさを浮き彫りにされたような心持ちだったのでその言葉には応えることが出来なかった。

 それを理解している不死美は余計な言葉は不要と判断し、一歩下がった。


「わたくしは今からこの決闘の結果を有馬会長へご報告に伺います」

「……ああ、よろしく頼む」

「姫様、お疲れ様で御座いました。今日はどうか、ご安静になさいませ」

「……そうするよ」

「それでは、失礼いたします」

 そして不死美は闇を呼び、去っていった。


 虎子は去っていく不死美を横目に見るだけで、特にアクションを起こすことはなかった。起こすことが出来なかったのだ。

「……虎子、大丈夫か?」

 開口一番、アキがそう言ってしまうほどに虎子の疲弊は見て取れたのだ。


「……大丈夫。と言いたいところだが、見ての通りだ。精根尽き果てるとは正しく今の私の事だな。よもやここまでの苦戦を強いられるとは……」

「立てるか? 肩貸すよ」

「いや、無理だな。おんぶしてくれ」

「……は?」

「おんぶだよ。立ったところで歩けそうにもないからな」

「い、い、いいけど……」

「あ。今お前、エッチなこと考えたな?」

「か、考えてねーよ!」

「ふふっ、私は気にしないから安心しろ」

「馬鹿なこと言ってないでホラ、体起こせるか?」

 虎子が自分に余計な心配をさせないように余裕を装い、冗談を言っている事をアキは分かっていた。

 本当は、こうして話をするのもつらい程に彼女は消耗しているはずなのだ。

「よし、じゃあしっかり掴まってろよ、虎子……」


 アキは虎子をおぶり、その軽さに驚いた。

 こんなに軽い女性が、あんなにも勇猛に戦っていたなんて。

 そして、とてつもなく重いものを背負って戦っているなんて。


 それを想うとアキの目頭は熱くなり、視界が滲んだ。

「……どうした?」

 背中の虎子がアキに囁く。

「いや、なんでもないよ」

 アキは涙をこらえ、歩き始めた。


 すると、急に虎子はアキの肩に回した腕に力を込め、彼を抱きしめるような格好をとった。

「と、虎子?」

 ぎゅっと抱きしめられ、彼女の体の柔らかさを背中全体で感じるアキ。

「……じ、じゃあ、歩くから、お、落ちないように気をつけろよ……」

 アキは戸惑いながらも一歩一歩を確かめるように、転ばないように歩き始めた。


 虎子はそんな緊張するアキの耳元でため息のように細い声で呟いた。

「……春鬼め、嫌なものを見せよって……」

「は? な、なに?」

「……」

 虎子はそれが独り言だったというように、アキの問いかけに何も応えなかった。


 彼女の脳裏を掠めたのは死喜が見せた辛い過去。

 藍之助の顔が彼女の瞼に浮かび、彼と瓜二つのアキと被っていた。 

「……疲れた……」


 虎子は目を瞑り、アキの背中に揺られながら急激な睡魔に襲われていた。


 辛い過去の記憶とはいえ、不意によぎった愛するひとの顔。

(……まるで藍殿におぶられているようだ……)


 虎子は500年ぶりに感じた安らかな感覚の中、深い眠りに落ちたのだった。



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