第148話 蘇れ、龍
眼前に広がる、炎に包まれた仁恵之里。
500年前の再現。
それは死喜が見せた幻であることは理解できた。
しかし、拒否することは出来なかった。
否応なく流れ込んでくる悲劇の追体験。
虎子の心の奥底に眠る惨劇の記憶は、まるでその場に居るかのような感覚までもを再現したのだ。
死喜に貫かれた虎子の
里が炎に包まれ、全てを焼き尽くしていく。
人が簡単に死んでゆく。
命が、こぼれ落ちてゆく。
虎子は何もできなかった。
何もできなかった自分を見せつけられ、さらに何もできないのだ。
途方も無い無力感。
唾を吐きたくなる様な自己嫌悪。
二度と取り返しの付かない事への後悔。
そして、惨めな敗北感。
あの夜以来、何年も何十年も何百年も自分を責め続けた虎子へ改めて突き付けられる『絶望』。
藍之助は死んでしまった。
さくらは死んでしまった。
仲間達は死んでしまった。
それなのに、自分は何故生きている?
どうして自分だけがおめおめと黄泉がえり、生を謳歌している?
そんなことが許されるものか……。
虎子の足元に這い回る無数の手が、顔が、怨嗟の様な呻きと共に、彼女を暗い泥沼の中に引きずり込んで行く……。
刺突された虎子は硬直し、まるで彫像のように動かなかった。
瞳は虚ろで、その光を失っている。
呆けたように開かれた口元から零れ落ちた
すでに、そこにいるのは虎子ではなく『虎子の抜け殻』だった。
春鬼は自分の行動に後悔をしていなかった。
元よりこの決闘はそういうもの。
虎子はもう元には戻らないだろう。
ひとりで歩くことも、話をすることも出来ないだろう。
心を侵されるという事は、心を破壊されるという事は、もう
境内は静寂に包まれ、
……勝負ありだ。
そう確信した春鬼が虎子の胸に突き刺さったままの刀を引き抜こうとした、その時だった。
ガッ!!
鈍い音と共に春鬼の引き手が止まった。
虎子の右手が引き抜かれようとしていた死喜の刀身を握り締め、その動きを止めたのだ。
(馬鹿なッ!?)
春鬼の背中がゾッと泡立つ。
目の前の虎子は既に抜け殻のはず。
その虎子が自らの意思で動き、刃を素手で握り締め、しかもその刀を微動だに出来ないのだ。
(な、なんて力だ……!)
まるで地中深くに根を張った巨木のように、春鬼の刀は動かない。そして、虎子もまた動かなかった。
彼女はその精神世界で身動きひとつせず、ひとりの少女の
最愛の一人娘・さくらの最期の姿だった。
燃え盛る城の中、うつ伏せに倒れてるさくら。
その眠っているような顔に、虎子はもうひとりの少女を見た。
リューだ。
さくらと見紛うほどの瓜二つ。
愛する妹。
『お姉ちゃん!』
リューが呼ぶ。
『お母さま!』
さくらが呼ぶ。
『お姉ちゃん、大好き!』
『お母さま、大好き!』
その一言が心に染み渡る。
胸に暖かなものを感じた。
それはリューの温もり。
それはさくらの温もり。
(嗚呼……なんと暖かな事か……)
その感情が、虎子の心に弾力を取り戻す。
霞んだ視界は瑞々しさを蘇らせ、
消えてしまった心の炎が、再び燃え盛る。
……さくらは守れなかった。
だが、リューは……!!
「リューは私の全てだ……」
春鬼の刀を握り締めたまま、虎子の唇が微かに動いた。
瞳に光が戻り、燃え上がる闘志が辺りの風景を陽炎の様に揺らめかす!
「リューだけではない……家族や仲間……仁恵之里に住まうすべての人々……」
刀を握るその右手に、さらなる力が込められた。
「私はそれを守るんだ! 今度こそ、守るんだ!! その為に、私はここにいる!!」
虎子の右手はなんと胸に突き刺さった刀を春鬼ごと引っ張り込む様に引き込まれ、更に引き込む為に左手まで刀身を握り締めた。
ぞわっ!
春鬼の全神経が逆立ち、本能が危機回避を訴えるがもう遅い。
鬼神の如き虎子の気迫と腕力に抗えず、春鬼は体ごと勢い良く虎子に引き寄せられた。
その引き込みのタイミングに合わせるように、虎子の右手が唸りを上げる!
「九門九龍・『
飛び込んでくる春鬼の顔面めがけて繰り出された虎子の開かれた掌が、容赦無く彼の端正な鼻っ柱で炸裂した!!
しかし、それだけでは終わらなかった。
「うおおらあああっっ!!!」
虎子の咆哮と共にその掌は春鬼の顔面を鷲掴みにするように
「アアアアアッッ!!!」
雷鳴の様に吠える虎子は春鬼の顔面を捕らえたまま彼の体ごと境内を猛然と駆け抜け、
その先にある拝殿目掛けて突っ込んだ!
そして虎子は猛烈な勢いそのままに、春鬼の後頭部を拝殿中央に鎮座する賽銭箱に叩き付けたのだ!
がっしゃあああん!!
ばきばきばきっっ!!
じゃりじゃりじゃり!!!!
物凄い衝突音と破壊音が境内に鳴り響き、叩き付けられた春鬼の後頭部で粉砕された木製の賽銭箱から小銭が飛び散った。
「……うう……」
ダメージ著しく、呻く春鬼。
その手からは既に死喜は
そして彼の呻きもすぐに途切れた。
虎子の細い腕が彼の首を正面から抱え込むように巻き付いたのだ。
難攻不落の前裸絞。
それが完全に決まったことは誰の目にも明らかだった。
春鬼も文字通り、肌でそれを感じていた。
しかし、それでも彼は虎子の素肌に爪を立て、抵抗する。
「……リューは……俺が……救う……!」
それはもう執念の粋に達していただろう。
虎子は静かに、それに応えた。
「リューを救えるのは私でもお前でもない。リューを救えるのは……」
アキだ。
虎子はその名前を言葉にはしなかった。
「……うおおあああッ!!」
虎子が再び吠えた。それは銃に弾丸を装填するような、次の行動への合図だ。
虎子の咆哮に呼応するように、彼女の武力が膨れ上がり空気をビリビリと振動させている!
まだやるのか!?
アキも麗鬼もその気迫に全身が震えたが、そこまでやらなければ終わらない……終わらせることは出来ないと、不死美だけは理解していた。
そう。終わらせるには、やるしかない。
だから、虎子はその技の名前を叫んだ。
「九門九龍・『
そして虎子は跳んだ。
春鬼を抱えながら、後ろ向きに跳んだ虎子。
武力で強化された跳躍力は人間の領域を遥かに超え、それこそ背中から羽根が生えたかのように天高く舞い上がり……落ちた!
フロントチョークで締め上げた春鬼の頭部を真下してに急降下する虎子。
超変則の垂直落下式DDTは参道の石畳を着地点に定め……!
ばっがぁぁッ!!
交通事故さながらの破砕音は春鬼の頭が石畳を割る音だ。
落下の威力は石畳を粉砕するほどの衝撃で春鬼の脳天で炸裂し、彼は一瞬逆さに直立する様な格好で地面に突き刺さったが、すぐに力なく崩れ落ちた。
割れた石畳が赤く染まっていく。
それは春鬼の頭部から流れ出る血で赤く染まっていた。
微動だにしなくなった春鬼。
それを見て、不死美は宣言した。
「勝負あり! 勝者、一之瀬虎子!!」
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