第147話 冷たい鋼が通り抜けて逝く
春鬼の
落雷のような一閃。
文字通りの袈裟斬りだった。
しかし、それでも虎子の反射神経が辛うじて間に合い、彼女の体内を通過したのは刀の先端・ふくら程度に留まった。
だが、だからといって傷が浅いと言うことにはならない。
たとえ10センチに満たない深さだったとしても人体を刀で斬る、ということはそのまま致命傷に繋がるのだ。
「虎子ォォ!!」
アキはなりふり構わず飛び出そうとしたが、麗鬼が抱きついてそれを止めた。
「ダメです国友先輩! 危険です!!」
「離せ麗鬼! はなせぇっ!!」
「きゃあっ!」
麗鬼の制止を振りほどいてアキは虎子に駆け寄ろうとしたが、それすらも不死美に止められた。
「いけません! 国友さん!!」
身体を入れるように行く手を遮られたアキは体当たりで強行突破を試みるが、不死美はびくともしなかった。
「ど、どけよ不死美さん! 虎子が死んじまうだろ!!」
アキは全力で不死美を押し退けようとするが、不死美はまるで巨石の如く微動だにしないのだ。
(な、なんで動かねぇんだよ……! これが魔法か?!)
それでも諦めずに足掻くアキに、不死美は強い口調で言った。
「まだ終わっていません!」
その声にハッとして顔を上げると、刀を振り切った春鬼の体がぐらりと
春鬼は追撃を試みたが、虎子の膝蹴りのダメージは深刻だったようで次の攻撃に繋ぐことが出来なかったのだ。
その隙に虎子はバックステップで十分な距離をとり、春鬼は片膝をついた。
期せずしてふたりは再びにらみ合う形となったのだった。
この膠着はふたりを止める最後のチャンスだ。
だからアキは叫んだ。
「もう終わってるよ不死美さん! さっきの見ただろ!? もう勝負はついたよ! 早く手当てしないと、虎子が死んじまうよ!!」
目に涙を滲ませ、アキは不死美のドレスを掴んでそう訴えた。しかし、不死美は表情ひとつ変えずに虎子を見つめていた。
「国友さん。落ち着いていくださいまし。そして、姫様をよくご覧なさい」
「……え?」
アキは血にまみれた悲惨な姿の虎子を想像していたが、実際は違った。
虎子は出血はおろか衣服の損傷すら無かったのだ。
アキは確かに春鬼の刀が彼女の身体を切り裂いた瞬間を見た。
それなのに、虎子の姿はこの戦いが始まる前と何一つ変化していなかったのだ。
「な、なんで……」
「それは春鬼さんの『死喜』の能力が
不死美は唖然とするアキの思考が追いつくのを数瞬待ち、続けた。
「『死喜』は
「こ、心を……斬る?」
「或いは精神や本能と言い換えることができましょう。あの刃で斬られたものは恐怖心や猜疑心、不安、後悔といった精神の脆弱な部分を侵され、心に深刻なダメージを負ってしまいます。今、姫様を襲っているのは刀傷のそれを遥かに凌ぐ「心の痛み」に他なりません。並みの使い手であれば戦意の喪失はおろか、侵された
事実、虎子は距離を取ったまま動こうともせず、その場に立ち尽くしてしまっている。一見すると身構えているようにも見えるが、その構えに
「と、虎子……」
「……しかし、姫様はかつて武神と謳われたお方。ここで終わる筈がありません」
否、終わってはいけない……不死美はその一言は声に出さなかった。
当の虎子は初めて受ける死喜の斬撃に心底震えていた。
彼女を襲うのは500年前の怒り、悲しみ、そして恐怖。
彼女を襲うのは現在の後悔と懺悔、そして恐怖。
過去の恐怖は死に対する恐怖。
現在の恐怖は生に対する恐怖。
虎子にとって、後者の方が堪えた。
リューやアキ、そして仲間たち……ようやく辿り着いた希望を失うという焦燥と絶望に震えが止まらない。
近い将来、自分が確実に消えてしまうと分かっているからこそ『生命を失う』というその恐怖は鮮烈だった。
動けないのではない。動かないのだ。
心がその機能を停止してしまっている。
その瞬間を見逃す有馬流ではなかった。
「
春鬼が駆けた。
虎子が放った『火鷹鋸』のダメージは消え切らないが、自ら造り上げた好機を逃すは愚の骨頂。春鬼はこのまま決める覚悟で突っ掛けた。
「ッハァッッ!!」
気合と共に放った横薙ぎの一閃!!
「くっ!!」
虎子は必死に意識を繋ぎとめ、間一髪でその斬撃を躱した。
心を斬られてもなおそれだけの反応速度を維持できる事に春鬼は目を見張る……が、彼は止まらない。さらなる追い打ち、さらに追い打ち……春鬼は矢継ぎ早の斬撃にて虎子を仕留めにかかっている!
「ガアアアアアッ!!」
まるで獣だ。春鬼の気迫はすでにヒトのそれではない。
虎子は先の精神的ダメージの影響色濃く防戦一方。春鬼が放つ飛燕の連撃を躱すのが精一杯……だが、それも長くは続かなかった。
距離を取ろうと飛び退いた虎子の足捌きが、一瞬鈍ったのだ。
それは
「有馬流……」
春鬼はまさに針の穴を通すが如き正確さを以てその技を繰り出したのだ。
「『
それは春鬼の得意手である『突き技』だった。
まるでフェンシングの打突のように伸びやかで、広い間合いを一気に詰める片手突き。
虎子はその余りの速度に反応すら出来ず、春鬼の刀は吸い込まれるように虎子の胸へと突き刺さった。
しん、とほぼ無音で春鬼の刀は虎子を貫通し、その刀身の一部が彼女の背中から突き出た。
一瞬の出来事だった。
「虎子……」
余りにショッキングな光景だった。
麗鬼は顔面蒼白で口元を抑え、アキは言葉を失い、不死美は険しい表情で虎子の背中から覗く死喜の
貫かれた虎子は一点を見詰めて動かなかった。
動けなかったのだ。
死喜に貫かれたと同時に虎子の眼前に広がったのは、500年前のあの夜の光景……。
「あ……藍殿……さくら……!」
彼女は炎に包まれたあの夜の仁恵之里を目の当たりにし、足が竦んで動けなかったのだ。
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