第145話 武人がふたり

 え? デート……?


 アキは緊張した。

 リューや澄、大斗はコミケに行ってしまって不在。

 ふたりっきりという状況は今までにないシチュエーション。

 よこしまな事なんて考えていないけど、なんだか緊張してしまう。


 午前中からそわそわしっぱなしのアキ。気が付いたらすでに昼だった。

「おいアキ、昼飯は何がいい?」

 居間でそわそわしているアキにエプロン姿の虎子が声をかけた。


(エプロン!?)

 長い髪を後ろで一つにまとめ、いつもリューがしているエプロンを身に着けた虎子は新鮮を通り越して新妻だった。

「な、なんでもいいです……」

「そうか。ではおまかせでやらせてもらうぞ」

 虎子のコスチュームといえば稽古の時の道着か普段着(ラフなものが多い傾向)なのでエプロン姿はかなりの破壊力があった。


「つ、つーか作ってくれんのか?」

 アキが台所へ行くと、虎子はすでに準備を始めていた。

「ん? それは『お前料理できるのか?』ということか?」

「ち、違う違う。作ってもらえるならありがたいけど、いいのかなって」

「別にいいよ。それにリューに料理のいろはを教えたのはこの私だ。いまやリューの方が料理上手だが、私だってまだまだ捨てたものではないぞ」



 虎子の宣言通り、彼女の料理の腕は確かなものだった。

 食材はリューが用意していた様だが、虎子はその中から手早く材料を選び、調理していく。


 手際のよい虎子の調理は見ていて感心してしまうほどで、あっという間に野菜炒めとみそ汁が出来上がってしまった。

「簡単なもので申し訳ないが」

 虎子はそう謙遜するが、アキにとっては十分すぎるメニューだった。


「うん、美味いよ。すごく美味い」

「そうか。それはなによりだ」

 虎子はもりもり食べるアキをまるで新婚の夫を見るような瞳で見つめていた。


 静かだった。

 穏やかな夏の午後だった。

 昼食後、しばらくして虎子はどこか物憂げな視線を盛夏の空に向けて呟いた。

「そろそろ出掛けようか」

 物憂げな視線はいつの間にかアキに向いていた。



 虎子とアキは並んで仁恵之里の昼下がりを歩いた。

 アキはどこへ行くのか告げられていなかったが、それを訊くことはなかった。

 もちろん、デートというのは虎子の冗談だということは分かっていた。

 あの物憂げな瞳はこの後に何があるのかを物語っていたのだ。

 それが何かは分からないが、決して楽しいことではないだろう。


 しばらく歩いていると、見慣れたルートに入ったことに気が付いた。

「これって……」

 アキの予想通り、目的地は蓬莱神社だった。

「なぁ虎子。神社に来て、なにするんだよ」

「……お前に見届けてほしいんだ」

「何を?」

「……」

 虎子は答えなかった。


 長い石段を登りきると、境内に人影があった。

 春鬼の妹、麗鬼だった。


「麗鬼?」

 意外な人物にアキが声を上ずらせると、麗鬼は一目散に駆け寄ってきた。

「国友先輩! 虎子を止めてください!」

「は? ちょ、なんだよ? 何言ってんだよ麗鬼?」

「え? ……虎子、あなたまさか何も言わずに先輩を連れてきたんじゃ……」

 麗鬼の刺すような視線に、虎子は刺し返すような瞳で言った。

「アキは私の立会人だ。お前は口を出すな」

「っ!」

 その眼力に気圧されたか、麗鬼は言葉を詰まらせて後ずさった。


 何が何だかわからないアキ。ただ事ではない空気に汗が冷えていく。

「おい虎子……立会人ってどういうことだよ? それに、麗鬼は何を止めようとしてるんだ?」

 嫌な予感がした。

 同時に、それはもう予感ではない事を理解もしていた。

 自分の知らないところで既に完成してしまっているそれは、最早覆すことも阻止することも叶わないほどに深く、重い。



「今から私は春鬼とここで仕合う。武人会会則第47条の適応だ」

 虎子は宣言の様に言い切った。そこに是非など初めから存在しないかのような断言だった。

「……は!? 有馬さんと?」

「先日、武人会議の後に春鬼から申し出があった。私はそれを受け、彼は即日申請を行った。これは所定の審査を経て、会長が許可した正式な決闘だ。武人会の人間である以上、お前に拒否権はない。もちろん麗鬼、お前もだ」

 突き放すような物言いの虎子だったが、そのあとで静かに「……悪いな」と付け加えた。


「ちょっとまてよ虎子! なんでお前と有馬さんが戦うんだよ!?」

 それでも食い下がるアキ。しかし、その問いには別の人物が答えた。

 声の主は平山不死美だった。


「……武人同士の意見が対立し、双方の意見に倫理的且つ道徳的に問題がない場合、双方同意の上で決闘を行い、その勝者が当該事案の決定権を有する事とする……それが武人会会則第47条です。国友さん……」

 アキの背後から這い寄るように聞こえてきた不死美の声。その淑やかな声が、今だけは刃物の様な鋭く冷たいものに思えた。


「不死美さん!?……なんで不死美さんが……」

 不死美はアキの問いかけには答えず、それでも彼の瞳を真っ直ぐに見詰めて言った。


「国友さん。それは武人会の鉄の掟です。武人会に属するのであれば、何人なんぴともそれに背くことは許されません。わたくしは春鬼さんの立会人として、同時にこの仕合の見届人として、有馬会長からのご依頼によりこの場に居ります。そうである以上、わたくしも今は武人会の掟に従うまでです」

「だ、だからって……大体、虎子と有馬さんが戦わなくっちゃいけない意見の対立って、なんなんだよ……」


 呆然とするアキ。そんな彼の意識を繋ぎとめたのは春鬼の声だった。

「俺は奉納試合でリューを戦わせたくない。リューの代わりは俺が務める」

 石段を踏みしめながら登場したのは有馬春鬼だった。


「……それを虎子は拒否した。だから俺は俺の意見を通すべく、武人会会則第47条を申し出た。それを今から実行するんだ。付き合ってもらうぞ、国友……」


 春鬼は制服姿だった。しかし、その全身から発せられる殺気とも覇気ともとれるは高校生とは思えない迫力があった。


「学校へ行っていたのか?」

 虎子の問いに春鬼は少し笑んで頷いた。

「生徒会長は忙しいものでな。休みの間にやっておきたい仕事もあるんだ」

「そうか。日取りを改めても構わないが?」

「心配無用だ。それとも、お前がそうしたいのなら話は別だが?」

「いや結構。私は今日がいい」

「俺も同じだ」


 ふたりは軽口を叩きあっているようだが、視線はすでに激しく衝突し合っている……!

 春鬼はこの不穏な空気にたじろぐアキに言った。

「国友。リューは俺が救う。お前は全てを見届けるんだ」

 その表情は清々しく、迷いのひとかけらもない。

「お前もだ、麗鬼」

 春鬼の命令にも似た口調に、ついに麗鬼は観念した。

「……はい、兄さま……」


 アキは最早この決闘を止めることは不可能だと悟った。

 なにより、もう始まってしまっているのだ。

 この戦いは、虎子と春鬼だけのものだと分かってしまったのだ。



 ふたりは広い境内の中心へと向かう。

 その間にもふたりの間に油断も隙も一切なかった。

 適切な間合いを維持し、意識を相手から外さない。

 すでに戦いは始まっているとはこう言うことだ。

 もうこのふたりを止められる者はいない。

 勝者と敗者が決定するまで、終わらない。


 虎子はポケットから紐を取り出し、それで自慢の長髪をポニーテールにまとめた。

 そして体を揺らし、戦闘態勢を整えてゆく……


「今のお前に加減など出来ないぞ。全力で行かせてもらうからな」

 どこか嬉しそうに言う虎子に、春鬼も同じように嬉しそうに答えた。

「それは光栄だ。俺も全力でその期待に応えよう」

 そして、春鬼は得物を。アキはそれを前回の武人会議で目撃している。

 あの刀は、彼の愛刀『死喜しき』だ。


「ちょ、ちょっと待てよ!」

 アキは思わず声を上げた。

「有馬さんは武器を使うのに虎子は素手でやるのかよ……?」

 しかし、虎子はそんなアキに不敵な笑みを向けた。

「アキよ、まことの武に不公平など有り得ない。そして……」

 虎子はその不敵で挑戦的な笑みを今度は春鬼に向け、言った。


「武の極限に至れば得物の有無など問題ではない。それを今から見せてやろう!」





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