第144話 そうだ コミケ、行こう

 アキは悩んだ。


 リューと魔琴が奉納試合で殺し合うという非常識を受け入れられないから……も、ある。


 春鬼の告白の件もある。


 しかし、彼の悩みはもっとリアルで、しかもよくわからない事が原因だった。


 ことの発端はリューの一言だった。

「アキくん、東京にいきませんか?」


 武人会議から3日後の朝だった。



「は?」

 朝食の席でそんなお誘いを受けたアキは、箸でつまんでいただし巻き卵をポロリと落としてしまった。

「と、東京?」

「はい。東京です。今週の土日でちょっと急ですが……」


 だし巻き卵は運良く皿の端に引っ掛かるように落下したので、アキは慌ててそれをつまみ直した。

「な、なんで東京?」


 ……奉納試合は来週だろ?

 そう言いかけて、アキは言葉を飲み込んだ。


 奉納試合を目前に控え、何が目的でそんなことを言い出すのかとアキは謎に包まれたが、その問いにはリューではなく大斗が答えた。


「コミケだよコミケ。日本人なら一回は行ったことあんだろ?」

「いや無いけど。コミケって確か漫画とかアニメのイベント……だよね?」

「そうだよ。世界最大のな」

「え、行くの? 何しに?」

「仕事だよ仕事。俺も漫画家の端くれだからな。桃井さんとこの会社から急遽来てくれーって頼まれてんだよ。サインしたり本売ったりしてくれないかって。ホントは気乗りしねえけど取引先の依頼だからな。断りきれなくて」

「……え、ちょ、それはまずいだろ? 大斗さんみたいなゴツいおっさんがあんなキラキラした学園モノの恋愛漫画描いてるなんてバレたら少女達の夢ブチ壊しだろ!?」

「ひでぇ言い様だな……だけどその通りだ。そこでリューだよ」

 大斗はリューをピッと指差し、それを受けたリューはにっこり微笑んだ。


「はい。私がお父さんの代役をします!」

「いやいや、それもまずいだろ? それこそバレたら大事おおごとだぞ。ちょっと前にあっただろ? ネット上では女性イラストレーターを装ってたけど実はおっさんだった的な話が」

「お面を付けて顔は隠しますから大丈夫ですよ。それに澄も一緒に来て協力してくれますから、護符術で身元がバレないように上手くやってくれますよ。去年もそうしましたから」

「実施済みなのかよ……」

「だからアキくんも一緒にいきましょう? 一泊二日ですけど自由に行動できる時間もありますし、ちょっとした旅行ですよ」

「いや、でも……」


 大事な、というか自分の命がかかった戦いを目前に控えた状況で旅行なんて、そんなことしてる場合なんだろうか。


 そもそもリューは武人会議の時も、その後も余りに普段通りで逆に怖いくらいだ。そんな事でホントに大丈夫なのか……?

 アキは先週の土曜以来そんなことばかり考えていた。


 しかし戦うのはリューであって自分はあくまで傍観者に過ぎない。自分があれこれ口を出す筋合いではない。それがわかっているからこそ、こんなにもモヤモヤするのも事実。

 正直、アキの方が旅行なんてする気になれない。だが、無下にするのもリューに不要な精神的負担をかけてしまうかもしれない……。


 結論を言うと、アキは今回の東京行きを断った。

 理由は『東京へ行くと地下闘技場アンダーグラウンドの事を思い出してしまって辛い』という取ってつけたような言い訳だったが、リューはそれを即座に了承した。

 むしろ『嫌なことを思い出させてしまってすみません』と申し訳無さそうな顔をさせてしまい、結局余計な精神的負担をかけさせてしまった自分にアキは悶絶したのだった。



 そしてあっという間に週末が来てしまった。

 リューはその間もいつも通りに稽古し、家事をこなし、図書委員の仕事にも出掛け、いつもと変わらない生活を崩さなかった。


 それは余裕なんだろうか。魔琴に対して絶対に勝てるという自信の現れなんだろうか。

 しかし、それは同時に魔琴の命を奪うという事に他ならない。

 リューは本当にこのままでいいのだろうか。




 土曜の早朝。いつもより早く虎子と一緒にアキはリュー達を見送った。


「それでは、行ってきます!」

 大斗の運転する車から、リューと澄が顔を出して手を振った。

「アキ、ふたりきりだからって虎ちゃんに変なことすんなよ!」

 澄がそう釘を刺すと、虎子は可笑しそうに笑った。

「はっはっは! 心配無用だ。もしものときは二度と使い物にならないようにしてやるよ」

 虎子はにこやかに右手をにぎにぎしてみせ、アキはその邪悪な笑みにぞっとした。


「まあとにかくこちらのことは私とアキに任せておけば大丈夫だ。楽しんでくるといい。……おい大斗、しっかり稼いでこいよ!」

 虎子が大斗に檄を飛ばすと、彼はニヤリと意味深な笑みを浮かべた。

「フフ……プロの本気、見せてやるぜ」


 いやあんたは普段から本気だせよとツッコミたいアキだったが、本当に珍しくやる気な大斗や楽しそうに手を振るリュー達の気分を削ぎたくなかったのでにっこり笑って彼らを見送った。



「……良かったのか?」

 虎子は遠ざかっていく車を見つめながらアキに問うた。

「まぁ、うん。なんかそんな気分になれなくて」

「リューが気がかりか?」

 アキの内心を読むように言う虎子。こういうときの虎子は敏感だ。アキは観念したように頷いた。

「……正直な。旅行とかしてて大丈夫なのかなって」

「ま、息抜きも大事な鍛錬のうちさ。リューは大丈夫。あいつはあいつなりに準備を進めているさ」


 案外淡白な虎子。しかし、武術家の思考は自分の考えの及ぶところではないのかもしれない。


 アキはそれについては何も言わず、家の中に戻る虎子の後を追う……と、その時。虎子が不意に振り向いて言った。

「ところでアキ。今日は何か予定はあるか?」

「え? ええと……今日は有馬さんとこにも行かないし、特には何も」

「そうか。では午後から少々付き合ってほしいんたが」

「別にいいけど、何するんだよ」


 すると虎子は悪戯いたずらっぽい笑顔を浮かべ、アキの耳元で囁いた。

「……デートだよ」




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