第143話 悲しくなるほど純粋な

 奉納試合直前の武人会議に現れた乱尽と魔琴。それが意味することは1つ。


「本年の奉納試合、日時は8月25日、日本時間午後9時試合開始。奉納者は一之瀬流、呂綺魔琴の2名とする」

 刃鬼がそう宣誓した。


 会議室の全員が静粛を以てそれを受け止める。

「……異議のある者は?」

 彼は続く言葉を発するまで妙に長い間を置いた。


 そこにどのような感情があったのかは分からないが、一言二言で表現できるような簡単なものではなかったのは彼の表情、彼の瞳を見れば皆がすぐに察することができた。

「……それでは、決定といたします」


 乱尽も魔琴も非常に落ち着いていた。

 特に魔琴の落ち着き様は不自然な程だった。

 普段は元気そのものの明るい少女が、今は容姿相応、物静かな上流階級のお嬢様なのだ。魔琴を知る者は、その様子に不安を覚えた。そこに奉納試合に向けての「特別な何か」が見え隠れするからだ。

 一言で言うなら、それは誇り……或いは、覚悟だろう。


「それでは、両者承諾の署名を」

 刃鬼が格式の高そうな台紙に収められた証書に署名を促す。

 それは試合の結果が例え死亡かそれに準ずるものであっても絶対に意義申し立てをせずに受け入れるという事の確認だ。


 まずは魔琴が。

 続いてリューが署名をした。


 その際、リューは魔琴の署名の達筆さに目を止めた。

 アキからは「魔琴は文字を練習中らしい」といったような話を聞いていたので、予想とは裏腹なその字の上手さには驚きすら覚えていた。

 同時に切なさも覚えた。


 きっと、真面目に練習を重ねたのだろう。

 少しでも人間を知ろうと、人間界に馴染もうと努力していたのだろう。


 リューは横目で魔琴の表情を伺ったが、魔琴はじっと前を見詰めていて、リューは彼女の横顔しか見ることができなかった。


 その長いまつ毛は物憂げに、

 いつもは輝いている瞳はまるで夜の闇のように、

 太陽の様な明るさは月の様に静かに。


 魔琴は会議が終わるまで、一度もリューを見ることは無かった。



 そして会議が終わり、皆が退室する。

 刃鬼、虎子、乱尽、そして魔琴は会議室に残った。

 理由は分からないが、刃鬼が何か書類のような物を渡していたので自分たちには関係のないことだろうと、アキは先に部屋を出たリューと澄を追った。


「……」

 長い廊下を黙って歩くリュー。

 その横には心配そうな顔でリューをちらちらと見やる澄。その少し後ろには春鬼もいた。


「……リュー?」

 アキは勇気を振り絞ってリューに声をかけた。

 とはいっても何を話せばよいのか見当もつかない。アキも澄と同じように心配そうな顔しか出来なかったが、リューはその心中を察した様に笑顔を見せた。

「なんですかふたりとも。心配そうな顔して」


 意外な程に明るい声のリュー。澄は声を震わせた。

「あ、あのさ、魔琴の事、知ってたの……?」

「はい。知っていたというか、分かってました」

「わ、わかってた……?」

 澄は最早怖がってすらいたので、リューはそれが可笑しくて思わず笑ってしまった。

「あはは、分かりますよぉそんなの。私だってそこまで鈍くないですよ」

 リューの笑顔に影はない。

 しかし、それは自分たちを気遣っての事ではないかと、澄もアキも邪推してしまう。

「……魔琴が来ることも……?」

「それはなんとなくですが……勘っていうか、なんて言うか」

 澄の問いに、リューは困ったような笑顔で答え、言った。

「……少し疲れましたね。緊張しちゃいました」


 4人はいつの間にかロビーに着いていた。

 リューはロビーの無料自販機でアイスティーを選び、それを持って近くのソファーに腰を下ろした。


「……魔琴は自分が呂綺魔琴だと言うことを伏せていたようですけど」

 リューは少し乾いた唇をアイスティーで満たされた紙コップに寄せ、一口だけそれを含んだ。

 そして湿らせた唇で囁く様に言葉を零した。

「私だって、分かっちゃうんですよ。そんなことぐらい……」


 そしてもう一度アイスティーに口をつけようとした、その時。魔琴の声が広いロビーに響いた。

「いつからわかってたの?」


 皆の視線が一斉に魔琴へ向く。それを受け、彼女は微笑んで手を振った。

「みんなお疲れ〜。肩凝っちゃうね、ああいう空気」

 唐突に姿を現した魔琴。フランクな口調はいつもの様だが、その笑顔はいつもとは別物の、どこか冷たい笑みでリュー達へと歩み寄る。


 いつものようで、いつもとは違う魔琴。

 その背筋はピンと伸び、年齢よりも大人びたスタイルの良さがその美しいドレスによって強調されていた。

 そんな、まるで別人のような魔琴にアキは息を飲んだ。


「ねぇリュー。いつから? ボクが魔琴だって、いつから気がついてたの?」

 魔琴はリューと少し距離を置いたところで立ち止まった。

 春鬼はその距離を見て視線を鋭くした。

(間合いを読んでいる……)


 それは拳足の間合いよりもの間合いと言っても良い間合い。むしろ、それよりもやや広い。

 少なくとも徒手の相手に取るには広すぎる間合いだったが、リューの実力なら……九門九龍ならば、一瞬で詰められる間合いだった。

 魔琴はそれを看破している。それが意味するところは……。

(このふたり、一度立ち合っているのか?)



「……図書館です」

 リューは座ったまま、いつもと変わらない口調で続けた。

「図書館であなたとをしたとき、あなたは不思議な技を使ったでしょう? あの体に電流を流されるような痛み……以前、武人会議の時に裏さんが来られたときに裏さんは同じ技を私に使いました。その時、裏さんが言ったんですよ。『これは乱尽の技』だって。それと同じ技をあなたが使ったという事と、あなたがマヤだっていう事。それに、あなたのお父さん……これで分からないっていうほうが不自然ですよ」

「そっかぁ、なるほどねぇ」


 うんうん、とわざとらしい程に頷く魔琴は嘲る様な瞳をリューに向けた。

「ところでさぁ、リューのお母さんの仇なんでしょ? ウチのパパ」

 その直後、澄は怒りをあらわに叫んだ。

「魔琴!!」

 しかし、それをリューがそっと手をかざして制した。それを受けて急停止した澄だったが、湧き上がった憤りをどうしていいのか分からない。

「でも! でもさぁ!」

「いいんです澄。……魔琴、そうだったらどうだというんですか?」

「ボクが憎いよね?」


 静まり返る広いロビー。

 その静寂の中でカタカタと何かが鳴っている。

 それは澄のだった。

 澄は憤りを抑えきれず、獣のように歯を剥いて魔琴を睨みつけていた。

 そんな澄を見て魔琴は鼻を鳴らす。

「何? 澄。なんで澄が怒ってんの? 澄はカンケーないよね?」

「……ッ!」


 澄が何かを言いかけ、すぐにそれを止めた。止めたのは春鬼だった。

 ただ止めただけではない。春鬼は澄の体を自分の体で止めるように前へ出たのだ。

 つまり、魔琴に突っ掛けようとした澄をその身を盾にして止めたのだ。

「やめろ、澄」

「……」


 春鬼の体の向こう側から刺すような眼光を向ける澄を、魔琴はさも可笑しそうに嘲笑う。

「そうだよね。いま澄がボクとケンカするのはマズすぎるもんね。ナイス春鬼さん!」

 そして魔琴は再びリューを真正面から見据えた。

「ねぇリュー。ボクが憎い? 親の仇の子供だもんね。憎いよね? ムカつくよね? 殺してやりたくなっちゃう?」


 わざとらしい挑発だった。しかしリューは沈黙を守った。

 ただ、その表情かおはどこか寂しそうだった。


「……ふーん。やる気なしって感じ?」

 そんなリューにつまらなさそうな瞳を向けた魔琴は、唐突にアキを見た。

「じゃあ、ボクが勝ったらあきくん貰うね!」

「……アキくんは関係ありません」

 リューはその表情のまま、呟くように言った。


 しかし魔琴はそれを無視して続ける。

「ボクが勝つってことはリューは死んじゃうってことだから、関係あるもないもないでしょ」

「私は負けません」

「お? 少しはやる気出た?」

「……」

「まぁ、どうでもいいけどね。ボクは全力でやるだけだから。あと二週間ちょいか……残された時間、せいぜい有意義に過ごしてね、リュー」

「……」

「……じゃあね」


 魔琴がリューに背を向け歩き出すと即座に闇が彼女を包みこみ、共に異界へと消え去った。

 リューは黙ってそれを見届け、魔琴が去ると静かに目を閉じ呼吸を深くした。

「……あの日、あなたはお別れを言いに来たんですね、魔琴……」


 リューは数日前、突然現れた魔琴の悲しそうな顔を思い出していた。

 自分に会いに来たといい、すぐに帰ってしまった魔琴。

 その時に魔琴が口にした「バイバイ、リュー」という言葉。その時から嫌な予感はしていた。


 あれは本当の意味での別れの言葉だったのだと、リューは思い返して唇を嚙んだ。


 そして今、まるで何かを振り切るように去っていった魔琴を思い、胸が苦しかった。



……………



武人会議は終わったが、様々な書類の処理は済んでいない。


 だから刃鬼と虎子、そして乱尽は会議室に残って様々な書類に関しての確認を行っていた。


「……以上で全部です」

 刃鬼がそういうと、乱尽は頷いて全ての書類をきれいに揃え、鞄に仕舞った。


 その間、虎子はじっと乱尽を見据え、それはある意味で睨んでいたといってもいいだろう。


 乱尽はその視線にはじめから感付いていたが、あえて何も言わなかった。

 しかし、このまま帰ってしまう前にその視線について虎子になにも訊かないわけにもいかないと感じていた。


「……何か?」

 だから乱尽は虎子にそう問うた。

 虎子は抑えきれない怒気を噴出させながら言った。

「……許されるのであれば、私はお前をこの場で殺してやりたいと思っている。いつかはお前の首を獲る。そのことは忘れるなよ……乱尽!」


 様々な感情が混ざり合った虎子の眼光は危険だ。すぐ側でその殺気を肌で感じる刃鬼の汗が冷えていく。

 しかし。乱尽は気にも留める様子もなく吐き捨てた。

「どちらが鬼か、わからんな」


「ッ!!」

 虎子の右手が獣のそれのようにカッと開き、前傾姿勢で乱尽に襲い掛かる……前に刃鬼が彼女の右手を鷲掴みにしてそれを止めた。

「ほ、本日はお疲れ様でした呂綺様……」

「……失礼します。有馬会長」

 乱尽は一礼し、その場で闇を呼んだ。


 闇に包まれた彼が完全に去る直前まで、虎子は乱尽に刺すような視線を向けていた。

「……」

 乱尽はそれを正面からすべて受け止め、最後までそれから逃れるようなことはなかった。



 乱尽が去り、ようやく緊張の糸が途切れた刃鬼。

 どさりと背後のソファに崩れ落ちると、いかにも疲れ切った様子で両手で顔を覆い、虎子の方を見ずに、言った。

「勘弁してくれよ、虎子……」

「……すまん、刃鬼」


 虎子の表情は暗い。

 それは乱尽の放った一言が原因に他ならない。

(どちらが鬼か、分からない……か)


 自らの心の裡に住まうのは鬼なのか?

 それとも武の真理か?


 愛する妹を死地に赴かせる鬼畜の所業は、同時に弟子の勝利を信じて真剣勝負に送り出す師の責務でもあった。


 苦悩は承知の上だ。

 しかし、それでも……。


 いずれにしても人ならざる身の彼女には、その言葉は重く響いた。





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