第142話 不協和音は突然に
そして土曜。
本日、午前10時より奉納試合前最後の武人会議が開催される。
虎子は早朝に帰宅し、リューに朝稽古をつけ、朝食をとり、そして武人会からの迎えを待った。
それはいつもと変わらない風景なのだが、1つ大きな違いは、ふたりともとても静かだったのだ。
いつもなら気合の飛び交う朝稽古も、賑やかな朝食も、何気ない冗談も、一切無かった。
ふたりとも必要以上の会話をせず、淡々と物事を進めている。
その原因は今更確かめる必要もない。
間もなく、奉納試合の詳細が決定するのだ。
何よりも、対戦相手が何者なのかでその後のすべてが大きく変わるだろう。
今のリューなら甲種上位の鬼と戦っても十分に勝てると皆が太鼓判を押すところだが、勝負の世界は甘くない。
ましてや命の取り合いともなれば、一瞬の隙が明暗を分ける。
歴戦の武人である虎子も、その弟子であるリューもそのことは重々承知であるとともに、覚悟の上だった。
午前9時、藤原が迎えに現れた。
彼は刃鬼からの指示でアキは今回も会議に参加する旨を伝えたが、大斗には声はかからなかった。
実の娘の運命を決める瞬間に、側にいられないのは辛いだろう……門まで見送りに出て来ていた大斗を車内から見やり、アキは複雑な心境だった。
「行ってきます、お父さん」
後部座席の窓から顔を出し、リューが言う。
大斗は「おう」とだけ応え、家の中へと戻っていった。
意外な程、淡白な大斗の態度。
アキにはそれがどうしてなのかよく分からなかったが、それ対しても何も語らないリューと虎子の緊迫した空気に飲まれ、何も言えなかった。
武人会本部へ到着し、控室へ向かうと他の武人達はすでに集合していた。
「おはようございます」
リューが挨拶をすると、皆が立ち上がって無言で頭を下げた。
明らかに空気が違う。
それは武人達だけではなく、藤原も、本部ですれ違う職員や有馬流門弟達もそうだった。
皆がリューを特別な存在として扱っている事は明らかだった。
武人会の全員が、リューを命を賭して戦う戦士として見ていたのだ。
春鬼はリューの前まで歩み寄り、彼女の顔をじっと見詰めて言った。
「……大丈夫か?」
それもまた意外な言葉だった。
春鬼にしては弱気な発言とも受け取れた。
しかし、アキにはその言葉のもう一側面も見えていた。
リューを想う気持ちゆえ。
今日を境に終わりへと向かうかもしれない彼女を
しかし、リューはいつも様ににっこり微笑んで「はい」と答えた。
そんな彼女を見詰める春鬼の顔のほうが、悲痛だった。
一方、澄と刃鬼は本部正門の前で不死美の到着を待っていた。
先日、羅市来訪の際は真夏の日差しに辟易する気持ちの余裕もあったが、今日はその余裕の欠片もない。
親友の運命を決める大事な1日に、澄の神経は張り詰めていた。
それは刃鬼も同じで、彼はこの瞬間から最良の結果と最悪の結果、そしてそれにまつわる様々な事をシュミレーションしていた。
その際、嫌でも思い出されるのは仲間の死の記憶。
そして連想してしまう、リューの……。
(……っ)
浅く目を閉じ、不必要な思考を押し殺す刃鬼。しかしすぐに目を開き、正面を見据えた。
澄も同時に同じ場所を見た。
気配がしたのだ。
深く、静かで、強大な存在の気配。
ざわっ……。
空気がざわめいた。
そしてどこからともなく闇が這い出て集合していく。
来た――。
刃鬼、澄、そして警備員達……その場で待機するすべての人間の視線がその闇に集結した。
闇は渦を巻き、沸き立つ様に蠢きながらまるで暗幕が上がっていく様にその存在を白日の下に晒す。
まずは足元。女性物の黒い靴。
そして黒いドレスの裾。
やがて金色の髪……平山不死美だ。
しかし、その横にも同じく闇が踊り、同じようにもうひとりの姿を現していく。
まず、男性用の黒い靴。
そしてスーツ……やがて、成人男性然とした手が見えた。
そこで刃鬼は息を呑んだ。
(……誰だ!?)
気配を故意に消しているのは明白。
裏留山かとも思われたが、闇から覗いた手が、留山のそれとは明らかに違う。
色白で細身を思わせるそれは、留山の逞しい手とは全くの別物。
(まさか……)
刃鬼が視線を鋭くするが、イレギュラーはそれだけでは終わらなかった。
その男性の側に、もうひとりの人影があったのだ。
闇が消えて覗くそれは、女性物の靴。
そして不死美とはまた違う趣の瀟洒な黒いドレス。
透き通るような白い肌。
背丈、体格ともに成人になりかけている、十代と思しき体つき。
そして、嘘のような銀髪……。
隣に並んだ男性もまた、同じく美しい銀髪であった。
その男性と、少女の姿をひと目見て、澄は言葉を失った。
刃鬼はその3人を前にしても冷静を保っていた。
武人会の長として、どんなことがあっても取り乱してはいけないという強い意志があったからだ。
「……ようこそおいでくださいました」
だが、澄は違った。
彼らに背を向け、彼女はその場から走り去ったのだ。
それは年齢、経験、人生の未熟ゆえ?
いや、そんな事が原因ではない。
彼女をその場から走らせたのは、そんな些細な事ではなかったのだ。
「リュー!!」
澄は息を激しくきらせつつ、控室のドアを開け叫んだ。
「澄!? どうしたんですか??」
リューが澄に駆け寄る。
皆もどうしたことかと集まるが、澄は顔を上げてリューだけを見た。
「呂綺乱尽が、来た……!」
ざわっ!
控室の空気が一気に張り詰める。
特に虎子の緊張は見てわかるほどで、側にいたアキはあるはずのない痛みすら感じた。
しかし、リューは至って冷静だった。
「……そうですか」
怖いほど冷静に、その言葉を受け取った。
そして、続けた。
「では、魔琴も来ているのでしょうね」
「……え?」
澄の顔から血の気が引いた。
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