第140話 そして夏が動き出す

 ここは鬼の貴族・マヤが住まう異界『カルラコルム』。


 古代より続くこの世界にはかつていくつもの『家』があり、その家々のマヤによって人間が『魔界』などと呼称する【カルラコルムの下層世界】を統べてきた。


 しかしその家の数も近年急速に減少し、今や残された家は片手で足りるほど。

 そしてその世界そのものの空間的容量も凄まじい速度で縮小していた。


 数々の家が途絶えた理由は様々だが、土地が失われた原因ははっきりしている。

それは、全てを飲み込み無に帰すと言われる魔界現象『コカツ』に他ならない。


 カルラコルムを輪状に囲い、徐々に狭まりながら世界を食い尽くしていくコカツ。

 その暴食の黒い壁がカルラコルムを完全に飲み込み、全てを無かった事にしてしまうまでに残された時間は約1年だと、平山不死美は推測していた。


(あと1年……その前にやらなければいけないことは山積みですね……)

 そんなことを考えながら、その『やらなければいけないこと』のひとつである課題を乗り越えるために彼女が足を向けたのは、呂綺家だった。


 不死美が呂綺家の大きな門の前に立つと、どこからともなく背広姿の背年……呂綺家使用人・フーチが姿を現した。

「平山様? い、如何なさいましたか?」

 彼は少し驚いた様子だった。それもそのはず、不死美の来訪は事前連絡なしの突発的なものだったのだ。


「突然お邪魔して申し訳ありませんフーチさん。乱尽さんは御在宅ですか?」

「は、はい。しかし、突然お見えになられるとは、どのようなご用向きで……」

 不死美の視線が慌てるフーチから不意に逸れた。

 それに気が付いたフーチがその視線を追うと、そこには乱尽が立っていた。

「旦那様!?」


 音もなく現れた乱尽はゆっくりと不死美に歩み寄り、不死美はそれを迎えるように彼に正対した。

「……そうか」

 乱尽が呟くように言うと、不死美はこくりと頷いた。


 フーチには全くわけのわからない状況だったが、ふたりの間に何事かの意思の疎通があったのは確実。

 おそらく、不死美は魔法を使って乱尽にだけを伝えたのだろう。


「上がってくれ」

 乱尽は彼女にそう言うとフーチに目配せをし、屋敷の中へと消えていった。

 それは不死美を来客として迎え入れろという指示なのだが、フーチの胸はざわついていた。

「平山様。どうぞこちらへ……」

 不死美を招き入れることは何の問題もない。問題なのは、その目的だ。

 それにこそフーチの胸は波立つのだ。

(この妙な感覚は何だ……)

 一言でいえば、それは不安だ。


 そんな彼の内心をよそに、不死美はいつも通りの淑やかさで目礼したが、そこにいつものような微笑みは無かった。

 それがフーチの心を余計にざわつかせるのだった。




 一方、人間界では夏休み真っ盛りの高校生たちが青春を謳歌していてる真っ最中だったが、アキは完全に体育会系のを謳歌しまくっていた。

 というのも、臨時的に有馬流の門下生となったアキを待っていたのは地獄の特訓ともいえる稽古の毎日だったのだ。


 土日以外の朝7時から12時までの5時間、アキは有馬流の基本稽古を師範である刃鬼と師範代である春鬼からみっちりと仕込まれることになったのだ。


 最初の数日こそ有馬親子の課す鬼の特訓メニューに瀕死の状態まで追い込まれたアキだったがそれにも徐々に順応し、8月の第一週を過ぎたあたりには稽古する姿もすっかりさまになっていた。


 ある日、稽古の見学に訪れたリューにアキは言った。

「最近ようやく慣れてきたよ。体力もついてきたっぽいし、木刀もホラ、結構振れるようになっただろ?」

 そう言ってアキは素振りをしてみせたのだが、リューは思わず息を飲んだ。

はやい……。そして、鋭い!)


 木刀と言えど、剣の経験の無い者が簡単に扱えるものではない。単に格好を真似ることは出来ても、それをの様に振ることは相当な練度を要する。

 しかし、アキはその練度に達していると言っても過言では無い見事な素振りを披露してみせたのだ。

 これには刃鬼も舌を巻いた。


「やっぱり、アキくんには特別な何かがあるのかもね。体力もすっかり一人前だ。たぶん、有段者と試合ってもアキくんが勝つだろう」

 刃鬼はアキをそう評価した。


 リューは複雑な気持ちだった。

 アキの成長はもちろん嬉しい。しかし、彼が武人会の人間として成長するということはそれだけ実戦……つまり危険に近付くと言うことだ。


 リューは着々と実力ちからをつけていくアキを見つめながら葛藤していた。


 と、同時に熱っぽい眼差しを向けてもいた。

(……………アキくん、カッコイイです……)


 めっきり筋肉質になり、顔付きも精悍さを増したアキが武道袴で剣を振る姿に、リューはときめいていたのだ。

(これはこれで悪くないかも……です)



 そんなリューを見つめる春鬼。

「……」

 ただ見つめているだけの春鬼に、心の奥底から彼のうちに住まう、『オーデッド』のため息が聞こえた。

「……分かっている」


 そう、春鬼は分かっていた。

 リューの気持ち。

 そしてアキの気持ち。

 だからこそ、今しかないと分かっていた。



「国友」

 ある日、稽古が終わって帰り支度をしていたアキに春鬼が声をかけた。

「あ、お疲れ様でした有馬さん。今日もありがとうございました」

 ぺこりと頭を下げるアキに疲労の様子は薄い。

「ああ。……少し話がしたいんだが、いいか?」

「はい?」


 成人の門下生でもついていくのがやっとと言うような夏の稽古を、アキは完璧にこなしている。

 そこには彼にしかない何か特別な能力の介在があるのだろうが、それはまた別の話。


 周りには、幸いなことに人はいない。

 今ならふたりだけで話が出来る。

 春鬼は柄にも無く緊張していた。


「国友、お前はリューをどう思う?」

「リュー? いきなりなんですか?」

「……どう思う?」

「ど、どうって言われても……」


 春鬼の視線が熱い。怖いくらいだ。

いくら鈍感なアキでも、その真剣な瞳に何も感じない訳はない。

「……っ」

 二の句を失ったアキの心を狙いすますように、春鬼は大きく踏み込んだ。


「俺はリューが好きだ」


 一閃。

 まるで刀を振り抜くように、春鬼の『真剣』が駆け抜けた。


「あ、有馬さん……」

 突然の告白に言葉もないアキに、春鬼はそのまま2撃目を振り下ろす。

「お前には言っておきたかった」 

「どうして……」

「俺は確かめたかったんだ。お前がリューを、どう想っているか」


 春鬼はそう言い残してその場を去った。

 対象的に、アキは呆然とその場に立ち尽くしていた。


 彼は動けなかったのだ。

 単に動けなかっただけではない。


 即答できなかった。


 その事実と春鬼の告白が、アキの心を締め付けて体の自由すら奪ってしまう。

「……有馬さんが、リューを……」


 今まで感じたことのない感情に弄ばれ、自分はどうすればいいのか……アキには分からなかった。

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