第135話 春鬼は心に決めている

 羅市の怒りは一向に収まらず、ついにオーデッドを逆に押し倒して馬乗りになってしまった。


「このクソ亡霊! もういっぺん言ってみやがれ!」

「落ち着けってアリス! く、苦し……!」


 もみくちゃになる羅市とオーデッド。

 お互いの服を引っ張り合っているうちにシャツのボタンは弾け飛び、オーデッドのワイシャツは破れるわ羅市の下着が露わになるわの大騒ぎになってしまった。


 不死美はこの緊急事態に青ざめた。

(まさかオーデッドさん、他の女性の名前を口走ってしまったのでは……!)


 魔琴もただ事ではない空気に息を飲む。

「不死美さん、これってこういうプレイじゃないよね? だったらなんとかしないとヤバくない? 姉さんこれ、ガチだよ」

「そ、そうですわね……レレ! 応答しなさい! 何があったのですか?」


 その声は何も無い空間からまるでスピーカーの音声のように響き、レレを急かす。

「不死美様ぁ! 私にもわかりません! 有栖様が突然お怒りになり、ごらんの有様で……」

「ひ、姫様! 無敵の九門九龍でなんとかしてくださいまし!」

 突然のご指名に虎子の肩がビクつく。

「無茶苦茶言うな! トラとライオンの檻に全裸で突っ込むようなものだぞ? 私は絶対イヤだからな!」


 どうにもならない混沌カオスを極めたこの状況。

 そこに追い打ちをかけるように、この場に絶対に来てはいけないであろう少女の声がレレと虎子の背中を叩いた。


「虎ちゃん、レレさん、何してんの?」

 澄だった。



「す、澄ィィッ!?」

 顔面蒼白で振り返る虎子。それはレレも同じだった。

「え?! なんでここに来れたんですか? 人避ひとよけの結界が張ってあるはず……」

「うん、なんか結界張ってあったから、なにしてんのかなって思って、結界破ってきたよ。パリパリって」

「う、嘘……私の結界が、薄焼きお煎餅みたいな扱いに……!」


 澄の底知れない実力に戦慄するレレ。

 しかし、真に戦慄しなければいけないのはそこではない。


「す、澄さん、ここは危険です! ささ、離れましょ!」

「はぁ? そんなふうには見えないっていうか、そのスクリーンみたいのは何?」

 虎子は部屋の中を生中継する襖のスクリーンを身を挺して隠していたが、それももう限界だった。


「虎ちゃん、なにそれちょっとどいて。見えないよ」

「み、見なくていい! お前は特に!」

「そんなの余計に気になるって。いいからどいてよ〜!」

「あ! ちょ、ちょ待……」


 澄の小さな体を上手く使ったフットワークが虎子の防御ディフェンスを突破した!


 そして次の瞬間、スクリーンを直視した澄の全てが全停止。


 ぶわっ!!


 澄の長い癖っ毛が揺らめき、その小柄な体躯から放たれたとは思えない殺気が虎子達を本能的に退避させた。


「やばい! レレ! 伏せろ!!」

「え?! きゃっ!」

 虎子はレレを抱きかかえてその場を飛び退き、中庭に転げ落ちつつそのまま地面に伏せた。


 同時に澄は乱暴に襖を開け、中にいた乱れきった春鬼オーデッドと羅市を目の当たりにし、再び全停止した。


 突然現れた澄に驚いて硬直するふたり。

 春鬼は上半身裸で。

 羅市もシャツを半分以上はだけた状態で、その白い肌と豊満な胸、そして色気に満ちた下着が丸見えの状態で春鬼に馬乗りになって、しかも彼の首元に噛み付いている状態だった。


 その瞬間、硬直したままの澄の両手から無数の護符がサラサラと流れ出し、それは次第にその勢いを増していく。


 そして護符は突然発光し、同時に熱を帯びた衝撃波が当たり一面を打ち付けた。


 不死美は直感的に目を伏せた。

 虎子は覚悟を決め、目を固く閉じた。

 魔琴は咥えていたスナック菓子をポロリと落とし、呟いた。

「やば……」

 次の瞬間だった。


 ドドォン!!


 ……それはまるでミサイルが直撃したかのような轟音だった。



「な、なんだ!?」

 控室のアキたちは突然の爆音と地震のような激しい揺れにざわめく。


 リューは嫌な予感に立ち上がり、爆発があったと思しき場所を目指して走り出した。

「おい!? リュー??」

「お姉ちゃんが危ない気がします! 根拠は無いですけど!!」




 リュー達が爆心地へ駆け付けると、そこでは刃鬼が呆然と立ち尽くしていた。

「会長! 何があったんですか?!」

 リューが声を張ると、刃鬼は精気が抜けきった表情で瓦礫の山と化した屋敷の一角を指差した。

「……父さんが言ってたんだよね……いつかまた家を壊すヤツが現れるだろうから、火災保険だけはケチるなって……」

「な、何を言ってるんですか、会長?」


 よくわからない状況だが、その瓦礫の山の中心で無傷の澄が佇んでいた。

「す、澄! 大丈夫ですか?!」

「う、ううう……っ」

 リューが澄に駆け寄ろうとしたその時、澄はまるで子供のようにわんわんと泣き始めてしまった。

「う、う、うわぁああん! 春鬼の裏切り者! 痴漢! 変態! うわあああん!!」


 すると瓦礫の下からボロボロの春鬼と羅市、そして中庭からはレレと虎子がヨロヨロと姿を現した。


「お姉ちゃん! 大丈夫ですか!?」

「ま、また死ぬかと思った……」

 虎子に抱き抱えられたレレは、未だに気を失ったままだった。


 なので生中継は遮断……不死美は砂嵐のみを延々と垂れ流す魔法のモニターの前で静かに目を閉じていた。


 後に魔琴はその様子を「黙祷してるみたいだった」と語った。



 ややあって、瓦礫をどかしながら羅市が立ち上がって毒づいた。

「くそっ! 一張羅いっちょうらが台無しじゃねェか!」

 彼女はボロボロになってしまった衣服を見て眉間にシワを寄せていた。

 ちなみに、爆発に巻き込まれた肉体的ダメージについては気にしていない様子だった。



「澄、しっかりして。泣かないでください……だめです。困りましたねぇ」

 一向に泣き止まない澄を必死にあやすリューだったが、余程ショックな光景を目の当たりにしてしまったのだろう。澄にはまるで効果がない。


 羅市は瓦礫の山から辛うじて原型を留めていたスーツの上着を拾い上げて羽織り、肌を隠した。

「で、どーすんだよ虎子!」

 その頃には羅市はこの一連の騒動の首謀者のひとりが虎子であることに気がついていた。

「うぅむ。致し方ない」

 虎子は澄にゆっくりと近づき、右手を差し出した。

 その指先、中指と親指は強い力で拮抗し、今にも解き放たれんとしている。

 つまり、蓮角の宝才で澄の記憶を改竄しようというのだ。


「……不本意だが」

 立ち込める蓮角の宝才の気配に、羅市はため息をついた。

「なぁにが不本意だお馬鹿! 全部お前さん達の所為せいだろ」

「……反省してます」


 そして虎子の指の力が開放され……る直前、春鬼の右手が虎子の手をにぎるようにして宝才の発動を阻止した。


「待ってくれ虎子」

 それは春鬼の声、そして春鬼の顔だった。

 虎子は改めて問うた。

「……春鬼か?」

「ああ。、俺だ」

「どうして止めるんだ?」

「……はいつか話さなければいけないと思っていた。今がその時だと思う」


 春鬼は泣き続ける澄を見つめていた。

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