第134話 蜜の味

 あの有栖羅市が押し倒された!!


「地獄の閻魔と相撲をとっても絶対に負けん!」と豪語する有栖羅市が、普通の男子高校生(中身は違うけど)にあっさり『寄り倒し』で勝負ありという大番狂わせに魔琴は拳を握って立ち上がった。

「yessssッ!」


 この展開には流石の不死美も焦った。

 未成年である魔琴にあまり刺激の強いモノを見せるのは、後で乱尽に怒られそうだしフーチには何を言われるかわかったものではないし、ちょっとどうかと考えたのだ。


「ま、魔琴。え、え、えっちなのはいけないと思います……」

「ええ? 不死美さんマジで言っちゃってんの?」

 魔琴は今まさに押し倒された羅市の慌てふためく真っ赤な顔を指差し言う。

「あんな姉さん、奇跡でも起こんなきゃ見られないよ? つか、今まさにその奇跡が起こってんじゃん」

「…………そうですわね」


 大魔法使いといえど、見たいものは見たい。

 単なる好奇心になんて絶対に負けない!(キリッ!)と胸に刻んだ不死美の誓いは、呆気なく塵芥ちりあくたと化したのだった。

(好奇心には勝てませんでしたわ……)


 そして彼女はこの成り行きを最後まで見届けようと覚悟を決めたのだった。



 押し倒された羅市は耳まで真っ赤になりながらも春鬼オーデッドの拘束から抜け出そうと、必死にその身をよじらせた。


「おいこのお馬鹿! やめろって! 中身は違っても外見そとみは春鬼だろ! 流石にこれは……!」

「うるせぇなぁ〜。大人しくしてろ!」

「え、や、うそっ……マジかよ! ……あぅっ!」


 ほんの少し『こすられた』だけで、思わず切ない声が出てしまった。

 羅市はそれが本当に恥ずかしくて、瞳に涙が滲んだ。

 しかしそれは恥ずかしさだけが理由ではなかった。

 はばからず言えば、嬉しさもあったのだ。


「……でもでも駄目だって! 春鬼は春鬼だ! ホントにやめねェと、ぶっ飛ばすぞ!」

「そんなこと言ってる割に、力が入ってねぇぞ、アリス……」

「そ、そんなこと……う、ぅあっ、ぁぁ……」


 その頃には、羅市の変化は目に見えた。


 切ない声が増えてきた。

 瞳を閉じている時間が長くなった。


 それはその様子を覗き見ている悪趣味なギャラリー達にも手に取るように伝わっていた。


 レレはごくりと生唾を飲み込み、呟く。

「ちょっと、ヤバくないですか?」

 そう訊かれた虎子も落ち着きがない。

「このままだとR-指定のキャパシティを超えてしまうかもな……」

 すかさず時計を確認する虎子。

「うむ。残り時間を勘案すると、確実に超えるな」

「ど、どうしましょう……」


 同じく、魔琴と不死美も手に汗握る展開に身を乗り出し、ガッツポーズをキメる外国人の有名画像の4コマ目の様になっていた。


「不死美さん、音おっきくなんない? 声がよく聞き取れないんだけど」

 ゲスが極まっていく魔琴。しかし不死美は首を横に振った。

「残念ながらこれが最大音量です」

「マジか〜、イヤホンとかない?」

「魔法ですので……しかし、それは今後の課題ですわね」



 確かに声は聞き取りにくい状況だった。

 それもそのはず、オーデッドがそうさせていたからだ。


「……アリス、そのまま聞いてくれ」

 身体を密着させながら、オーデッドが羅市の耳元で囁いた。

「っん、こんな時に……なんだよ?」

「ヤラれてるフリしてろ。大事な話だ」

「は? ……あっ!」


 オーデッドは羅市の身体をまさぐりつつ、彼女にだけ聞こえるように続けた。


「どこで誰が聞いてるかわかんねーからな。それに、ふたりっきりじゃなきゃできねぇ話だ」

「何の話だよ……こんな時に」

「俺達は、何かを忘れてないか?」


 瞬間、羅市の動きがピタリと止まった。 

「お前さん、それは……」

「ヤラれてろって」

「あっ! はぁ……っ」


 オーデッドは虎子達に覗かれていることに気がついていた。

 だが、それはいい。それは問題にしていなかったが、レレが協力者であることは懸念材料だった。


 レレが協力者であるということは、十中八九、平山不死美と通じていると見て間違い無いと考えていたのだ。


 であれば、この話は聞かれたくない。

 が必要だったのだ。

 だからオーデッドは羅市に密着し、その耳元で囁く。


「……俺は500年前の事はよく覚えてるつもりだ。春鬼のしきになる前まで死んでたようなモンだからな。だが、どうしても思い出せない事がある。まるで記憶に蓋をされているような……お前はどうだ、アリス。そういうの、ないか?」

「……」


 羅市はオーデッドの胸に顔を埋めるように、躊躇うような間を置いて答えた。

「ある」


 一拍置いて、羅市はオーデッドの耳元で囁き返すように続けた。

「……だけど、それが何なのか分からねェ。気味が悪いが、思い出せねぇもんは仕方ねぇと思ってる。思い出せなくても問題はなさそうだからね。お前さん、どうしてそんな事を訊くんだい? 何がお前さんをそこまで引っ張ってんだよ」

「妙だと思わないか?」

「……何がだよ」

「龍姫の復活もそうだが、あのアキってガキと龍姫とらこの妹。まるっきり藍之助とさくらじゃねえか。俺にしても、お前にしても、留山のアホにしても、平山にしても、仁恵之里の人間達と鬼達を取り巻く情勢にしても、500年前の再現にしか思えねぇ。出来過ぎなぐらいだ。まるで、裏で誰かが手引をしているようじゃねぇか?」

「お前さん、何が言いてぇんだ……あっ!」

「誰かと誰かの思惑がぶつかってる。思い出させたくねぇ奴と、思い出させたい奴。俺は思い出させたい奴に心当たりがある。こんなにも500年前にそっくりな状況にが出来るのはアイツしかいねぇ」

「……」


 沈黙する羅市。彼女にも心当たりがあったのだ。


 先日の蓬莱山。

 扱えるはずのない九門九龍の技の数々を繰り出し、自分と戦ったアキが無意識のままで告げた『願い』という言葉。


 それはマヤにとって、特別な意味を持つ言葉だ。

 オーデッドは羅市の様子に彼女も同じ事を考えているのだろうと確信した。


「思い出させたい側のヤツは、須弥山芙蓉宝望天狐しゅみせんふようほうぼうてんこ……お前らのだ」

「お前さん! なんで須弥山様の事を……?!」

「その反応はだな」


 オーデッドの指摘に息を飲む羅市。珍しく「しくじった」というそのままの表情で唇を噛んだ。


「誰も彼も天狐の事を一切言いやがらねぇからそうじゃないかと思ってたんだよ。天狐は自分の宝才で自分の存在をに対して隠してる。理由はわからねぇがな。そしてお前らマヤはそれを分かっていて、敢えて天狐の事は何も言わず、結果的に隠してるんだ。俺が天狐の事を覚えてたのは多分からずっと死んでたから、あいつの宝才の影響を受けなかったんだろう。……どうだ? 当たらずも遠からずなんじゃないのか?」


 口を挟まず、黙って聞いていた羅市。その様子からオーデッドは確かな手応えを感じていた。


「……だったとして、それがなんだよ。大体須弥山様はもう何百年も行方不明なんだよ。だから関係があるわけねぇ。……仮にお前さんの言う通りだとして、お前さんの言う『思い出させたくねぇ側の奴』ってのは誰なんだよ」

「平山だ」


 一瞬、時間が止まった。

 羅市が一瞬だけ、石になってしまったかの様に硬直したのだ。


「……あァ? 不死美さんだァ??」


 羅市は我に返った様にオーデッドを押し退け、彼の胸倉を乱暴に捻り上げて唸った。


「てめぇ、不死美さんを疑ってんのかぁ?」

「落ち着けアリス、そうは言ってねぇ」

「言ってんだろ……不死美さんが何か隠してるって言いてェのかよ……不死美さんに、何か後ろ暗いことでもあるって言いてぇのか?」

「まて、落ち着けアリス!」

「うるせぇ! 仲間ァ疑われて黙ってられっか!!」


 ついさっきまでの色っぽい桃色の雰囲気が、突如として殺伐とした賭博場の様な空気へと豹変した。


 その様子にレレは慄き、虎子の汗がどんどん冷えていく。

「と、虎子さん! 有栖様、本気で怒ってません……?」

「……これは、アカンやつや……!」




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