第133話 甘い薫り

「そんでな、桃井さんフラフラだったけど、ちゃんと自分の足で歩いてたんだぜ。あたしの後ろに座ってたにしても、大したモンだぜあの人はよォ」(羅市)


「うむ。実は私も桃井さんには一目を置いているんだ。彼女は鍛錬次第では相当な武道家になる素質がある」(虎子)


「すごいですよね。音速超えてたんですよ私」(レレ)


「桃井さん、漫画編集者やらしとくのもったいないね〜。武人会で働いてくんないかな」(澄)



 刃鬼の後をついて行く格好で会議室を目指す羅市達。和気あいあいと談笑しながら歩いていると、刃鬼が不意に立ち止まった。


「では、僕と澄は会議の準備があるのでここで。まだ1時間以上ありますし、控室でお待ち下さい」

 刃鬼は羅市とレレに一礼し、澄を連れて屋敷の奥へと向かった。



 その瞬間、虎子とレレの視線が期せずしてガッチリ合った。

 作戦開始のアイコンタクトだ。



 まず、レレが動いた。

「有栖様。私、不死美様に定時連絡をしてまいります。先に控室にお向かいください」

「お、そうかい。ご苦労さん」

 そして、そそくさと姿を消したレレ。

 虎子は羅市の背中を押すようにして彼女を方向転換させた。

「ささ、有栖。控室はあっちだ」

「あン? そうだっけ? そっちは客間とかじゃなかったか?」

「お前が人間界こっちに来てないうちに改装したんだよ」

「ふぅん、そうかい。確かに、この前来たのがいつか覚えてねェからな。つか、そこで酒飲んでてもいい?」

「それはダメだ。我慢してくれ」

「いいじゃんちょっとぐらいよォ」

「ダメダメ。だーめ」


 などと言っているうちに目的の部屋へとたどり着いたふたり。


「有栖。ここでしばらく待っていてくれ」

「飲んじゃだめ?」

「……だめ」


 虎子は胸の高鳴りを抑えつつ、あくまでも平常心を保ちつつ羅市に「では、また後でな」と言い残してそそくさとその場を去った。


「……はぁ。仕方ねぇなぁ。不死美さんの顔にドロ塗るわけにはいかねぇからな。我慢すっかァ」

 過去に一度やらかした事などすっかり忘れ、ため息混じりに襖を開ける羅市。

 そして部屋へと入った彼女は、思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。

「あァ? 春鬼? なんでお前さんが控室ここにいるんだよ?」

 部屋には春鬼オーデッドが既にスタンバっていたのだ。


「……春鬼、じゃねェな」

 何かを気取った羅市。

 踵を返して彼に背を向け部屋を出ようとしたが、春鬼の声での言葉が彼女を足止めした。

「待てよ、アリス」


 背中越しに聞くその声は春鬼のそれだが、自分の名を呼ぶ言葉は『あの人』のものだとはっきり分かる。

 羅市はまるで彼の言葉に従うかのように、その場から動けなかった。


「アリス、話がしたい」

「……お前さんに話すことなんて、何も無いよ」


 ぶっきらぼうな言葉とは裏腹に、羅市の声は震えていた。


「……勝手に死んじまったと思ったら、勝手に戻って来やがって。しかも春鬼の身体に乗り移るとかよォ……図々し過ぎるぜ、お前さんは」

「アリス。こっち向けよ」

「……」

「顔、見せてくれよ」

「……」


 ゆっくりと振り向く羅市。

 その顔は豪放磊落ごうほうらいらくを地で行く有栖羅市とは思えない程繊細で、可憐な『女性』の表情かおをしていた。



 その様子をこっそり覗き見しようと、襖の前ではレレと虎子が息を潜めていた。

「……レレ、どうやって中の様子を窺うんだ?」

 虎子は襖に耳を当てて中の声を聞こうとするがよく聞こえない。

 ほんの少しだけ襖を開けて中を見ようにも、相手はあの有栖羅市。速攻でバレてしまうだろう。


 レレは「ご心配なく」と言って、懐から不死美が使用するような短い棒のような、いわゆる魔法使いのワンドを取り出した。


「私、こう見えても不死美様から魔法の手解きを受けているんです」

 そしてそのワンドを襖に向けて詠唱した。

「奇藝・精神世界探索者マインド・シーカー!」


 レレのワンドが魔方陣を描く。

 すると、襖の表面にテレビ画面ほどの大きさの映像が浮かび上がって中の様子を映し出したではないか!


「おお! これはすごい! 隠しカメラみたいだ!」

「カメラの角度を変えることもできますよ。もちろんズームも」

「そんなことまで!! 一体何に使うための魔法なんだ……?」


 そんな疑問は吹き飛ぶほどに中の状態がまるわかりなふたり。

 しかし、虎子はなんだか落ち着かなかった。


「なぁレレ。私達、すごく怪しくないか? 一発で覗いてるってバレるだろコレは」 

「ご心配なく。辺り一面に人除けの結界を張っておきましたから、しばらく誰もここには近づけませんよ」

「流石は平山の弟子だな」

「……それ、どういう意味ですか?」

「まぁまぁ。それよりほら、始まるぞ……!」


 ふたりは襖に映し出された中の様子を固唾を飲んで、そして食い入るように見つめていた。


 そしてそれは平山邸の魔琴と不死美も同じだった。

「いよいよだね、不死美さん!」

「わたくしとしたことが、緊張してまいりました……」



 部屋の中では羅市が立ったまま俯き、オーデッドに悪態をついている最中だった。


「……どのツラ下げて戻ってきたんだこのお馬鹿……さっさと春鬼から出ていきやがれ……」

 悪態をつきつつも、オーデッドへの嫌悪感は感じさせない羅市。

「さっさと成仏しろよ、このお馬鹿……!」

 唐突に、羅市の瞳がじわりと潤んだ。

「あたしがどんな思いでこの500年を過ごしたと思ってやがんだよ……」

「……悪かった、アリス」

「何がだよ……謝るくらいなら、勝手に死ぬなよ……!」


『逢いたかった』とは言えない羅市。

 羅市にもその自覚があった。オーデッドはそれが分かっていた。だから、羅市はそれ以上の憎まれ口は叩かず、せめて涙が溢れ落ちるのを見られまいと彼の胸に飛び込み、オーデッドはそれを黙って受け止めた。


 その様子にレレの口からため息のような感嘆の吐息が漏れる。

「わぁ……有栖様のあんな顔、初めて見ました」

「……そうだな。あの頃を思い出す」

「え?」

「いや、なんでもないよ」


 虎子にとっては、あのふたりの邂逅には感慨深いものがあった。


 500年前。

 虎子が龍姫として仁恵之里を鬼の手から取り戻し、里の復興に尽力していた頃、オーデッドは日本近海で難破した異国の海賊船から本土に流れ着いたとして仁恵之里に迷い込んだ。


 ひょんなことから当時の有馬流宗家・有馬ありま始鬼しきとの一騎打ちに敗れ、そのまま始鬼に師事して有馬流免許皆伝にまで至った『異国の剣士』。それがオーデッドだ。


 外国人らしい恵まれた体格と金髪、碧眼、そして彫りが深く凛々しい顔立ちに有栖羅市は一目で心を奪われ、それはオーデッドも同じだった。


 そして彼は和平を目前にして突如勃発した下級鬼の暴走を発端とする『一夜限りの戦』で龍姫あるじを失い、仲間も里も守れなかった自分を恥じて腹を切った。


 侍としての矜持を示したオーデッドだったが、残された羅市の胸中は如何許いかばかりか。


 オーデッドのむくろを前にしても嗚咽を堪え、ただ肩を震わせていた羅市の背中をはっきりと覚えている不死美。


 再会の喜びにも嗚咽を堪え、しかし涙は堪えきれない羅市に、不死美の胸が熱くなる。


「……姉さん、良かったね」

 涙ぐむ魔琴に、不死美も瞳を潤ませて応えた。

「そうですね。本当に、良かったですね」



 有馬の識として現世に転生を果たしたオーデッド。虎子の存在が奇跡なら、彼もまた奇跡。

 或いは、500年前に酷似した昨今の仁恵之里を取り巻く情勢も、また奇跡なのかもしれない。

 虎子は抱き合うふたりにあの頃の情景を重ねて見ていた。


(あの頃、人間とマヤは親密だった。私と藍殿もそう。そして平山も……いや、平山は確か……)


 瞬間、虎子の思考が霞んだ。


 まるでもやがかかってしまった様に、思考が現在位置を見失ってしまったのだ。

(まただ……なんなんだ? これは……) 


 額に手を当て、俯く虎子。レレは虎子の異常に不安気な声を掛けた。

「どうかされましたか? ご気分でも?」

「……いや、大丈夫だ」


 過去を思い出すと時折襲う、この感覚。

 まるで記憶に蓋をされているようなこの違和感は、一体何なのか……。


「あっ!」

 突然声を上げたレレ。

 大きな声を出してしまったと慌てて口を押えるが、中のふたりに気取られた気配はなさそうだ。

「どうした、レレ」

「あ、あわわ、あわわ……あれ、見てください……!」

 レレの震える指先が『襖のスクリーン』を指している。

「な、何事だ?」

 虎子がそこに目を向けると、レレが声を上げてしまった理由が一発でわかった。

「こ、これは!!」


 春鬼オーデッドが羅市を押し倒していたのだ!



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