第131話 アリス・イン・ワンカップ大関

 その日、桃井にはもうひとつ大事な用事があった。

 大斗の漫画原稿の受け取りだ。


 だから桃井はヤイコと別れたあとすぐに新幹線に乗り名古屋駅へ。

 そこから在来線に乗り、電車に揺られる事約3時間。

 仁恵之里駅に到着したのは午後一時だった。

(夜までには編集部に戻らないと……大斗さん、今回は大丈夫って言ってたけど、正直油断できないよね……)


 万が一に備え、桃井は予定よりも早く一之瀬家に到着出来るように既にタクシーを手配しており、電車を降りたらすぐにタクシーに乗り込む手筈だった。


 そう、『だった』のだ……。


 仁恵之里駅に降り立った桃井は悠々と駅前のロータリーへ向かい、タクシーへ乗り込むつもりだったのだが肝心のタクシーの姿がない。

「な、なんで……??」


 慌ててタクシー会社に電話すると、配車予定の車両にトラブルがあり、別の車両を手配中だが駅につくのは1時間以上後になると言うではないか!!

「なぁ! ん! でぇぇぇ!!」


 怒りとも悲しみともつかないこの感情を全身でバタバタと表現する桃井。

「うぁ〜! もうなんでもいいから早く来てください! うぁ〜! ヴァ〜〜!!」


 スマホに向かって低く呻いて髪を掻きむしる桃井だったが、何者かの視線を感じて我に返った。

(はっ! 誰かに見られてる……!?)


 そしてその瞬間、こちらに向かって珍獣を見るような視線を送っている女性と目が合ってしまった。


(うわ……めっちゃ見られてる……)

 その女性はキャリアウーマン風のスーツに身を包み、やたらとスタイルが良く、緩く波がかった栗色の髪が綺麗な美女だった。


 知的なシルバーフレームの眼鏡の奥の艶っぽい瞳と、ふっくらした唇が彼女の色気を抑えることなく主張する『大人の女性』。

 そんな女性が、桃井を見つめていた。


(な、何なのあの胸……デカすぎでしょ!)

 その女性のはちきれんばかりの胸元。

 見事な腰のくびれ。

 形の良いお尻。

 長い脚……どれをとっても文句なしだ。

(な、なんでこっち見てるの? 私、そんなに変だった??)


 いや、見つめているだけじゃなかった。

 無言のままこちらに近づいてくるではないか!


(えええ? なんなの? ていうか、前にもこういう事あったよね……!?)

 それは平山不死美との出会いだった。


 今思えば不死美はあの特異な出で立ちからその後の展開がなんとなく納得出来るような出来ないような心持ちではあるが、目の前のキャリアウーマンは全く見当がつかない!


「あ、うあ、あぁ……」

 桃井の口から困惑の呻き声が出たその時だった。

「……桃井さん?」 

 その女性が桃井の名を呼んだのだ。


「………」

 一瞬の思考停止。

 桃井はそのキャリアウーマンの掛けているシルバーフレームの眼鏡の奥に光る瞳に見覚えがあった。


「ら、羅市さん……?」

 するとそのセクシー全開の女性は満面の笑みを浮かべ、すぐにそれを豪快な笑顔に変えた。

「おお! 覚えててくれたか! つーか、記憶を消されなかったって話はホントだったんだな! がっはっは!」


 羅市は嬉しそうに笑い、桃井の背中をバンバン叩いて再会を喜んだ。

「お、お久しぶりです羅市さん」

「おうよ、また会えて嬉しいぜ。それはそうと、桃井さん。今日は仕事かい?」

「は、はい。羅市さんこそ、その格好はどうしたんですか? まるでどこかにお勤めのような……」

「あン? これかい。これはお前さん、あたしの『人間界用の格好』さ。今は、その帰りってわけ」

「……人間界用?」


 すると羅市は懐から名刺入れを取り出し、一枚の名刺を桃井に手渡した。

「あたしね、人間界で会社やってんだよ」

「え? 会社?? ……『有栖特殊金属工業』って、聞いたことありますよ!」


 羅市の名刺には経済新聞に『新進気鋭の新興企業』として紹介されていた会社名と、羅市の名前の前に『社長』という肩書が踊っていた。


「社長なんてガラじゃないけどね。まぁ仕方ねぇよ」

 羅市は肩をすくめて苦笑した。

「ウチの庭で金とか銀とかレアメタルとかが採れるんだよ。あたしはそれを売ってるだけだけど、ウチの庭から出たモンだし? それを売るならあたしが責任者になるのがスジだろうからね」

「ど、どんな庭ですか……でも、どうしてご商売を?」

「いずれあたしらは人間界に住むことになる。そうなったらどうしてもカネがいるだろ。働き口もね。あたしはそのための地盤を作ってんのさ」

「……人間界に住む? そうなんですか?」

「まァ、その話は長くなるからまた今度な。それより桃井さん、タクシーが来なくて困ってるっぽいけど?」

「聞こえてたんですね……」

「あんだけでかい声で喚いてりゃ、ねェ?」

「〜〜〜っ!」


 桃井が耳まで赤くなるのを羅市は豪快に笑い飛ばした。

「はっはっは! それならあたしと一緒に来なよ。 あたしも丁度、待ってたところなんだよ」

「え? 羅市さん、タクシー呼んでるんですか?」

「タクシー? そんなモン、仁恵之里ここじゃあトロくて乗ってらんねぇよ」

「じゃあ、何に乗るんですか?」

「『噂をすれば』だ……」

「?」


 羅市が空を指差した。

「……あれは?」

 空に何かが飛んでいる。

 その何かが、こちらに向かって飛んでくるではないか。


「な、なんか飛んできてますけど……なんなんですか?」

「レレだよ。あいつに乗せてってもらうのさ」

「レレ……?」


 どこかで聞いた名前だと思ったその時。

 正体不明の飛翔体は急に高度を下げ、桃井たちに向かって速度を上げながら突っ込んできた!

「ちょ、に、逃げましょう羅市さん!」

「なんで?」

「なんでって、突っ込んできますよ! 危な……っ!」


 時すでに遅し。

 飛翔体はもう避けることが不可能な機動と速度だ。

「ひぃぃっ!」

 桃井がもう駄目だと思った瞬間。

 飛翔体は急停止した。


「うぎゃっ!」

 ぶわっ! と一陣の風というか衝撃波が巻き起こり、桃井はその勢いで吹っ飛ばされた。

(な、何あれ……ほうき?)

 旋風と共に現れたのは、一本のほうきだった。


(ほ、ほうきが飛んできたの??)

 桃井は泡を食った。猛スピードで飛んできたのは昔ながらの……なんというか『魔法使いの箒』のようなデザインの箒だったのだ。


(魔法使い……? 箒??)

 桃井の記憶が何かに反応する前に、その箒が突然くるりと回転。

 一回転のうちに、なんとその箒は赤い髪の美少女へと変身したのだ。


「お待たせいたしました、有栖様」

 赤髪の少女は羅市に対して畏まっていた。

 その様子から上下関係は明らかだが、羅市はそんなことを気にしている様子はなかった。


「いやぁ、悪いねぇレレ。世話になるよ」

「とんでもない。例え不死美様の御下命でなくとも、有栖様の為なら喜んで」

「じゃあさ、もうひとり運んでくんねぇ? 友達ツレなんだけどさ」

「ご友人? 勿論ですが、どなたでしょう?」

「そこそこ。そこでコケてるの」

「……桃井さん!!」


 レレは驚愕そのものの顔で慄いた。

「ど、どうしてあなたがここに?! どうして有栖様とご友人に?!」

「ど、どうも……お久しぶりです。レレ、さん」


 焦るレレと、そんなレレに会釈する桃井。羅市はその様子に爆笑した。

「がっはっは! お前さん達、知り合いだったのか! こりゃすげぇ。つーか、桃井さんすげぇな! もう仁恵之里に馴染んでんじゃん!」

「有栖様、どうして桃井さんは有栖様のことを……」

「まぁ、そのへんの事は不死美さんに聞きなよ。あの人の耳には入ってる筈だからさ。とにかく桃井さんはあたしのツレだ。頼むよレレ」

「それは勿論、構いませんが……」


 レレは桃井に対してどこか嫌がるというか、警戒するというか、様子が変だ。

「も、桃井さん……ひとつ、はっきりと申し上げておきたいのですが」

「は、はい? なんですか?」

「……不死美様は、あなたのことなんてなんともお思いになってませんからね!」

「え? どういうことですか?」

「なんでもないです! 言っておきたかっただけです!」


 その様子に、羅市は桃井に耳打ちする。

「桃井さん、不死美さんとなんかあった?」

「なんか、というか……不死美さんにからかわれたんですよ。もちろんですけど、キスされそうになったっていうか……」

「あー……だからか。レレさぁ、不死美さん大好きなんだよ。ヤキモチ妬いてんだな。不死美さんもそれがわかっててそういう事するトコあるからねぇ」


 あの人もお茶目さんなんだよ、と羅市は笑った。

「さァ、そろそろ行かないとだ、 レレ。桃井さんは大斗のおっさん家だろ? あたしらは武人会本部までな。ついでだけど、いいよな桃井さん?」

「はい、私はそれで……羅市さんは武人会に行くんですか?」

「ああ。今日は不死美さんの代わりに武人会議っていう会議に出るんだよ。あたしとレレでね」

「そうだったんですか……」

「というわけで、早速頼むよ。レレ」


 レレは『はい!』と元気に返事し、一回転。

 すると再び箒へと姿を変えた。


(わー、ホントに変身した! しかも浮いてる……スゴー!)

 桃井は宙空にふわふわと浮くレレに目を輝かせた。


 羅市は颯爽とレレに跨り、拳を高らかに突き上げる。

「よし、行こうぜ桃井さん!」

「は、はい! でも、ちょっと怖いな……」

「大丈夫大丈夫! 心配ならあたしに掴まってな」


 桃井は恐る恐るレレに跨り、前に座る羅市の腰に手を回す。

(わ、羅市さん、マジでスタイル良すぎ……)

 細いながらもしっかりとした柔らかな感触に、桃井は変な気分になりそうだった。


「では、参ります!」

 ぐぐぐ、と高度を上げるレレ。

「うわわわ……ホントに飛んでる……!」

 徐々に遠ざかっていく地上を見ながら、桃井は初めて飛行機に乗った子供のようにわくわくとした気分になった……のも束の間。


「よーしレレ! ぶっ飛ばしてくれ!」

 羅市の威勢のいい掛け声でそれも一変した。

「有栖様、それは構いませんが、桃井さんは大丈夫でしょうか?」

「大丈夫大丈夫! 桃井さん、こう見えてものすげぇ根性あっから!」

「そういうことなら、全開で行きます!」


 うおォン……!


 スポーツカーのエンジン音の様な音とともにレレの穂先の部分がバッ! と開き、いかにもエネルギーが集中している様な紫電がバチバチと爆ぜた。 

「ら、羅市さん……なんかみなぎってますけど……」

「ああ、レレがマジで翔ぶときはこんなふうに魔力がバチバチすんのよ。カッケーよな!」

「あの、どのくらいのスピードが出るんでしょうか……」

「音速超えるよ〜!」

「は」


 桃井が間の抜けた声を零した一方、レレは気合十分といった様子で声を張った。

「では行きます! 飛翔魔法……『闘剣とうけん・グラディウス!!』」


 瞬間、凄まじい加速と音の壁をぶち破るソニックブームが桃井を襲うが、既に彼女の意識そこにはなかった。



 レレが天高く飛翔し、一瞬で見えなくなった後にはお約束のようにキラリとした光が瞬いたのだった。

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