第130話 若頭領は(見た目だけ)小学生!
そして週末。
舞台は一旦、東京・六本木へと移る。
そこには敏腕漫画編集者、桃井みつきがいた。
7月ももうすぐ終わりだが、夏はここからが本番とでも言いたげな猛烈な日差しの炎天下、桃井は日陰を渡り歩くようにして目的地に向かっていた。
(あの交差点近くのカフェか。……このまえテレビでやってたなぁ。オシャレだけどコーヒー一杯だけで千円以上するとかどんだけよ……)
彼女がなぜそのカフェに行こうとしているのかを一言で言うと『待ち合わせ』だった。
待ち合わせの相手は
戦国時代より続く
武人会と協力関係にあるヤイコは前回の夜回りに助っ人として参加した際に桃井と知り合い、有栖羅市に立ち向かってリューを守った桃井の気骨というか、度胸と根性に感心していた。
本来なら鬼と接触のあった人間はヤイコの催眠忍術で鬼に関する記憶を消すのが武人会の『規則』だが、ヤイコは刃鬼に直訴してそれをしなかった。
ヤイコは桃井に『仁恵之里に変化を及ぼす』可能性を見出していたのだ。
それがどのようなものかは、彼女自身分かってはいなかったが……。
桃井が店に入ったのは、午前9時。待ち合わせの時間も午前9時だった。
「時間通りね」
桃井が店に入ると、すぐに子供のような声が大人のような口調で彼女の肩を叩いた。
「ヤイコさん……」
そこにいたのは上質そうなスーツを身に着けた少女だった。
「御免なさいね桃井さん。あなたも忙しいのに朝から予定を入れさせてしまって」
「い、いえ。大丈夫です」
「まぁ、座って頂戴……アイスコーヒーでいいかしら?」
「は、はい……」
ヤイコの鋭い視線と隙のない雰囲気はまるでエリートキャリアウーマンだが、見た目は小学生か、高めに見積もっても中学一年生。
しかしその実は従業員300人を抱えるセキュリティ企業の
にわかには信じがたいことだが、すべて事実だと桃井はその身を以って知っている。
ただ、一つだけ信じられないのは、彼女が忍術で体の成長を十代前半で止めていて、実年齢は自分よりも上だということだった。
その年上の子供に桃井は戸惑いを覚えているも、受け入れてもいた。
それは彼女の冷たい印象とは裏腹な優しさを知っているからだ。
ヤイコはいつものように背筋を伸ばし、桃井に真剣な眼差しを向けていた。
「桃井さん、あなたを今日ここに呼んだのは他でもない、仁恵之里に関しての事よ」
「は、はい……」
「この資料に目を通しておいて。そして、内容を頭に叩き込んでおいてね」
ヤイコは桃井に一冊のファイルを手渡した。
「……これは?」
「仁恵之里と武人会についての説明と、もしもの時の対処法、避難場所、その他諸々の『生き残るための情報』よ。読んだら燃やしてね。それ、一応国の極秘扱いの情報だから」
「……え? これって、どういうことですか?」
「つまり、私は私の独断であなたの記憶を消去しないと決めて、それを政府の割と偉い人に認めさせて、会長先生にも許可をもらったってことよ」
ヤイコは一寸間を置くように、運ばれてきたアイスコーヒーに口をつけた。
ミルクもシロップも入れずにブラックのアイスコーヒーを飲む彼女の姿が『ちょっと背伸びをしている女の子』に見えて微笑ましいが、桃井は緊張していた。
「それは、私は今後も仁恵之里に行ってもいいってことですか?」
「そうよ。今まで通り、自由に行き来しても問題ないわ。ただ、今後いろいろお願いすることもあるかもしれないわ」
「お願い?」
「お手伝いって言ったほうがいいかもね。もちろん危険のない範囲でね」
「わ、私にできることならなんでも」
「頼もしいわね」
ふっと、ヤイコは表情を緩めた。
それは彼女が桃井に初めて見せた『友好的な顔』だった。
「……ヤイコさん」
「何?」
「あの……」
桃井はアイスコーヒーを一口含んだ。
緊張で乾いた唇の滑りを良くしたかったのだ。
「どうしてヤイコさんは私にこんなに良くしてくれるんですか?」
「……なにかあなたに良くしてる事があるかしら?」
「偉い人と掛け合って私の記憶を残してくれたり、資料を用意してくれたり……特にこの資料なんてわざわざ用意してくれたんですよね? 今回がイレギュラーな事であれば、こういう資料があらかじめ用意してあるわけでも無いんでしょうし」
「……鋭いわね」
ヤイコは椅子の背もたれに体を預け、ガラス窓の外に視線を投げた。
そこには朝の街の風景があった。
いつもと同じ、街の風景だ。
そこには鬼もいなければ、それに対抗する武人もいない。
普通の、都会の朝の風景があった。
「……わたしはあなたに期待しているのかもしれないわ」
ヤイコはどこか遠い目で呟いた。
「期待、ですか?」
「あなたが仁恵之里に何かいい影響を与えてくれるんじゃないかって。特に子供たちに」
「私がですか? でも、私はただの漫画編集者ですし、教育的なことは何も……」
「それでいいのよ。普通の大人でいいの」
ヤイコはクールに微笑み、立ち上がった。
「じゃあ、私は行くから」
「え? もうですか?? ちょ、ちょっと待ってください!」
桃井はカバンからハンカチを取り出し、ヤイコに手渡した。
「この前お借りしたハンカチです。ちゃんと洗濯しました」
「あら、アイロンまでかけてくれたの? 几帳面なのね」
ヤイコはくすくすと笑った。
それこそ、桃井は初めてヤイコがそんなふうに笑った顔を見た。
「ありがとう。桃井さん」
その笑顔に桃井は何か胸がときめくような感激を覚えていた。
気恥ずかしい言い方かもしれないが、友情が芽生えたような気がしていたのだ。
「あの、ヤイコさん……また会ってくれますか? その、いろいろ相談とかできたら……」
「勿論。困った事があっても無くても、いつでも連絡して頂戴。特に飲みのお誘いは大歓迎よ」
ヤイコはグラスを傾けるような仕草でいたずらっぽい笑顔を見せた。
「またね、桃井さん。ここは御馳走するわ」
「え、あっ」
机の上にあったはずの会計伝票は、いつの間にかヤイコの右手でひらひらしていた。
(い、いつの間に……さすがは忍者)
ヤイコはそのまま振り返ることなく店を後にした。
颯爽と去っていくヤイコは見た目は子供なのだが
「なんか、カッコイイ……」
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