第129話 全部夏のせいにしよう!

 夏休み初日!


 ……だというのに、リューは学校にいた。

 というか、図書室にいた。


 仁恵之里高校の図書室は都市部の公営図書館と言っても差し支えのない規模で、蔵書も多い。


 仁恵之里には地域の図書館が公民館に付属する小さめの図書館しかないので、夏休みの様な大きな休みには仁恵之里高校の図書室が里の住民に開放される事になっていた。


 しかし学校職員だけでは図書室の運営は難しいので、リュー達図書委員が交代で司書としての業務に携わるというのが図書委員の夏休みの仕事だった。


 とはいえ、来館者はまばらだ。

 まだ朝の時間帯というのもあるが、毎年の傾向としてだいたい夏休み初日はみんなテンションが上がって遊びに行ってしまうので人は少ない。

 多くなるのは夏休み後半……みんな、ほとんど手付かずの宿題を抱えて青い顔でやって来ると言うのが例年の常であった。


 そして今日、夏休み初日の図書館司書担当は委員長であるリューという訳で彼女は図書室にいたのだが、そこには澄もいた。 


 リューは制服。澄は私服で司書のテーブルに向かい合い、参考書を広げていた。


 彼女たちは人の少ない時間帯に待ち合わせ、協力して夏休みの宿題を終わらせて行く予定だったのだが、澄の様子がおかしい。


 澄は気だるく頬杖を付き、心ここにあらずという表情でぼんやりしていて、宿題に手を付けようともしなかったのだ。



「……澄、宿題をやりに来たんじゃなかったんですか?」

 リューの問いかけに、澄は曖昧に答えた。

「う~ん、まぁ、そうなんだけど……」

 澄らしくない弱々しい表情に、リューは一抹の不安を覚えるが……。

「大丈夫ですか? 身体の調子が悪いとか?」

「そんなんじゃないよ。ないけど、なんかなぁ……」

「……悩み事ですか?」

「……」

 ついに澄は机に突っ伏してしまった。図星、というわけだ。


「……私で良ければ、話をききますよ?」

 リューは澄の小さな耳に向けて囁くが、反応はない。


(困りましたねぇ。こんな澄は初めてです)

 リューはどうしたものかと思案顔だ。

 すると澄は少し顔を上げ、しかしすぐに頬をテーブルにくっつけるように、顔を横向きにした。


「……あのさ」

「はい?」

「……春鬼さ」

「はい」

「有栖羅市が好きなんだって」

「え?」


 聞き間違いかと思い、もう一度訊き返そうとしたリューだったが、内容があまりにショッキングだったために二の句が出てこない。

 澄は涙声で続けた。


「昨日さ、生徒会室で魔琴が春鬼となんか喋ってて、そこで魔琴が『姉さんの事、好き?』って感じで春鬼に訊いてて、そしたら春鬼が『あいつは俺の女だ』みたいに答えてて……魔琴の言う姉さんって羅市さんのことでしょ? だから……」


 確かに、魔琴は春鬼の好きな人を確かめる的な事を言い残して食堂から走り去ったが、まさか本当に訊いていたなんて……。


 とはいえ、にわかには信じ難い話でもある。

 第一、春鬼と羅市にはそれほどの接点もない。


「シュン兄さんと羅市さんがふたりで居るところなんて見たことがありませんし、だいたい羅市さんは今までほとんど姿を見せなかったじゃないですか。何かの間違いですよ」

「羅市さん、仁恵之里には来てないけど人間界にはしょっちゅう来てるらしいよ。なんでも、こっちに仕事があるらしくて……」

「そうらしいですね。お姉ちゃんから聞きました。でも、だからって仁恵之里以外で会っているというのも考えにくいですよ。そのあたりは有馬会長が目を光らせてそうですし」

「まぁ、それはそうなんだけど……」

「そうですよ。ふたりに接点ないですし、考え過ぎですよ」

「……そうかなぁ」


 澄の声に張りが出て、ちょっとだけ元気を取り戻したと思ったその時。

 リューと澄のスマートフォンが同時に短く鳴った。メールの着信だった。


「あ、武人会からだ」

「こっちもです。一斉メールみたいですね……なになに? 『今週末に開催の武人会議ですが、都合により平山不死美氏は欠席されます。代わり有栖羅市氏がマヤの代表代理としてお見えになりますので……』って、ええ?!」


 慌ててディスプレイから顔を上げたリューの目に飛び込んできたのは、今にも崩れ落ちそうな澄の泣き出しそうな顔だった。


「なんつータイミング……もしかして、春鬼がセッティングしたのかなぁ……」

「そ、そんなわけないですよ。いくらシュン兄さんでもそんなことは出来ませんって!」

「そういえば春鬼、最近たまーに変なんだよね……独り言言ってたり、ヤンキーみたいな歩き方してたり……もしかして、暴力で会長おじさんをやりくるめて、羅市さんが来るように仕向けたとか?」

「いやいや、わけが分かりませんよ……」

「でもさぁ、なんで平山不死美ふーみんじゃなくて羅市さんなの? 奉納試合前の武人会議じゃん! 大事な時なのに、それなのに……はっ!」


 澄は『しまった!』というような仕草で口を抑えた。それは『奉納試合』という言葉に他ならない。


「ご、ごめん、リュー。もうすぐ奉納試合だもんね、リューのほうが大変だよね……」


 血で血を洗うが如き奉納試合を目前に控えたリューをおもんぱかる澄だが、リューはどこ吹く風の涼しい顔だ。

「奉納試合は毎年8月の終わりですし、まだ1ヶ月ぐらいありますからね。それに試合直前の打ち合わせがありますから、不死美さんはその時に来られるんじゃないでしょうか」

「……え、うん。そ、そだね」


 完全にスルーされた。

 リューは自身の奉納試合に関して、特に何も触れなかったのだ。

 わざとなのか、そうでないのか分からない。

 それだけに、澄はリューの落ち着きようが少し怖かった。

(自然体を維持しようとか、平常心とかいう感じなのかな……あたしなら無理だな)


 例年8月の終わりに催される仁恵之里の里祭り。

 その祭りの最後に行われる奉納試合。

 それはヒトと鬼が死ぬまで戦う狂気の沙汰。


 そんな狂気に、リューは挑むのだ。

 それがわかっていながらも、普段通りにしているリュー。

 澄はその落ち着きに不安を覚えずにはいられなかったのだ。

 ……この落ち着きはどこから来る?

 或いは諦念。或いは覚悟。或いは……。

「澄?」


 もの思いにふけっていた澄はリューに呼ばれ、飛び上がるほどに驚いた。

「な、なに!?」

「わっ、それはこっちのセリフですよ澄。急にボーっとして、大丈夫ですか?」

「う、うん。大丈夫だよ」

 澄は乱れた長い髪をかきあげて、ぎこちない笑顔を作ってみせた。

 リューは安心したようににっこり笑い、すぐにさっきのような思案顔に戻った。

「シュン兄さんと、羅市さんかぁ……」


 そしてぽつりと呟いた。 

「……やっぱり、男の人って胸が大きい女性が好きなんでしょうか……」


 アキくんも……?


 とは言わなかったが、リューは自分の胸を撫でてちょっと切なくなってしまった。


「ん、どした? なんか言った?」

 首を傾げる澄。自分と比べるつもりはないが、リューは澄の胸元をちらっと見て、

「なんでもないですよ」

 と、力ない笑顔で誤魔化したのだった。


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