第127話 あのさ、キミは誰が好き?

 魔琴は自慢の鼻を頼りに春鬼を追った。

「……あっちだ!」


 魔琴が感じる春鬼の匂いはお香で言う白檀のように上品な甘い香りと、高級ブランドの香水のような艶っぽい香りの2種類だった。

(お香みたいな香りはありましゅんき……もうひとつのが、ふーちゃんと姉さんの言ってたか……)


 そうして捜索を続けた魔琴はついに香りの発信源を突き止めた。

(この教室に居るね!)

 教室の扉には『生徒会室』と書かれたネームプレートが掲げられていた。


「……失礼しまーす」

 魔琴は『フーチから習った人間界での作法』を思い出しながら、そっと扉を開ける。


 教室には春鬼しか居なかった。

 広い教室の真ん中あたりで春鬼は書類を眺めていた。


(うほっ、いい男……)

 魔琴にとって春鬼はタイプではなかったが、桁違いの男前であることは事実。

 魔琴はそのオーラの前に少しだけ緊張していた。


 春鬼は書類から顔を上げ、魔琴に視線を移した。

「……何か用かな?」

 落ち着いた口調。

 その薄い唇が、続けてその名を呼んだ。

「呂綺魔琴さん」


 それは彼が魔琴を『確実に認識している』証拠だ。その割に、春鬼は落ち着いていた。

(ボクが学校ここにいること、突っ込んでこないんだ……)

 内面の読めないそのポーカーフェイスが、魔琴を更に緊張させた。


「ええと、ありま……春鬼さんにちょっと訊きたいことがあってさ」

「訊きたいこと?」 

「うん。でもとりあえず……その殺気、引っ込めてくんないかな?」


 魔琴は教室の入り口で立ち止まったままだった。

春鬼から放たれる殺気のせいで、迂闊に近づけなかったのだ。


「このままじゃ危なっかしくてそっちに行けないよ」

 そう言って笑う魔琴だが、これは彼女が桁外れの実力を持つ『マヤ』だから平気なだけで、春鬼の放つ殺気は雑魚鬼程度なら遁走して然るべき脅威。


 それでも、春鬼の殺気は障壁バリアのように彼女を足止めしていた。


「春鬼さん。ボクはお話しをしに来たんだ。ケンカしに来たわけじゃないの」

「……」


 ややあって空気が急に軽くなった。春鬼が警戒を解いたのだ。

「呂綺さん。話の前に訊いておきたいのだが……何故キミが学校ここに? それにその制服は何処で手に入れた? 平山さんの許可はとったのか? 武人会への連絡は?」

「まぁ、その辺はその、話せば長くなるっていうか……それよりも、お話しお話し! お話ししよーよ〜(やっぱり突っ込んできた!)」


 澄の言う通り面倒くさそう……と思いつつ、魔琴は強引に話を進めた。


「ねえねえ、いきなり聞いちゃうけど、春鬼さんはよね?」

 それを聞いた春鬼は特に反応するでもなく、だが魔琴から視線を外した。

「……知っているのか?」

「ふーちゃんがに気付いて、姉さんから色々と聞いたよ」

「姉さん?」

「有栖姉さんだよ。有栖羅市」

「有栖さんか……有栖、ありす……」

 春鬼は顔を上げて天井を見つめた。

 そして腕を組み、ため息をついた。


「……も相変わらずお喋りだな」


 瞬間、再び空気が変わった。

 まるで蜘蛛の巣の中に放り込まれた様な、纏わりつく濃密な気配が魔琴をその場に縫い止める。

(やばっ……ものすごい圧力プレッシャー!!)


 分かっていたが、聞くと見るとでは全く違う。

 フーチの言う通り、目の前の人物は明らかに春鬼ではない。

 そして羅市の言う通り、春鬼ではない誰かが魔琴に笑いかけた。


「流石は呂綺の御令嬢。この程度は屁でもねぇか」

「い、いやいや、かなりキツイよ……」

「あらまぁご謙遜」


 彼がと鼻で笑うと、刺すような殺気が嘘のように霧散した。

「喧嘩禁止はお互い様だからな。もしやっちまったら、後で春鬼がうるさくてかなわねぇ」


 人を小馬鹿にするような彼の表情えがおは、春鬼のそれとは明らかに異なる。

 おそらく、春鬼はこんなふうに下品な笑い方はしないだろうと魔琴は直感していた。

 

 やはり、有馬春鬼はふたりいる。

そしてそれは、二重人格なんてチャチなモノではない……。


「んで、アリスの奴は俺のことを何て言ってんだ?」

「……宿。異国から来た青い目の剣士……名前は、オーデッド。……500年前、姉さんと同じ時代を生きてたって。ホントなの?」

「まぁな。でも剣の妖精ってのは違うな。そんな可愛らしいモンでもねーよ。今は目も青くねーし。」

「姉さんの言ってたことはマジだったんだね……」

「何の因果か知らねぇけどな。俺も龍姫みたいに転生ってやつをしちまったらしい。転生したら剣だったけど」

「龍姫? 転生??」

「なんでもねえよ」



 有馬の剣士は代々『識』としてその身に『剣』を宿すという。

 超常の能力を持つそれらの剣には、過去の有馬流剣士の魂が乗り移る。

 その英霊達が現世の有馬流剣士に様々な力を与えるのだというが、春鬼はその『過去の剣士』の力が強すぎた。

 それ故に、春鬼はその剣士・オーデッドの力と人格をその身体に宿したと、有栖羅市は言う。


 眉唾な話だと半信半疑だったが、対面してみて魔琴は理解した。

 それらは全て事実に違いない、と。


「……魔琴。一応言っとくが、俺はお前ら『鬼』のだぞ。鬼を見てると未だに虫唾が走る。全員ブチ殺してやりてえ。……500年前に何があったか、アリスからは訊いたか?」

 オーデッドの視線は鋭い。しかし、魔琴は怯まない。


「簡単に、だけどね。和平を無視して人間を襲ったんでしょ? でもそれは『奴隷くん』達みたいな下っ端がやらかしたんじゃないの? ボク達『マヤ』はそんなことしない。姉さんも不死美さんもも、その戦いを止めようとしてたって。誰も殺してないって、姉さんからそう聞いたよ」

「……そうか」


 事実は違う。

 500年前のあの夜、呂綺乱尽は龍姫と藍之助、そしてその娘・さくらを殺めている。

 羅市はその事実を伏せ、魔琴に伝えたということか。

(アリスらしいな……)


 それは魔琴を傷付けない為の優しい嘘だろう。しかし、一度ついた嘘はその嘘を重ねて行かないと、往々にして取り返しのつかない事になってしまうものだ。


(それでいいのか? アリス……こんな初心うぶ子供ガキによ……)



 オーデッドが魔琴に抱いた第一印象は『いい子』だった。

 素直で健全。無邪気。しかしそれが却って波乱を招く……そんな『いい子』だと感じていた。


 それ故かでの一件の際、虎子龍姫は魔琴に対して敵意や怨恨の念を向けていなかった。

(魔琴は魔琴。乱尽は乱尽ってことか)


 或いは、呂綺の血縁というだけで復讐の対象になり得るであろう。

 だが、虎子はそれをしなかった。

 そこにどのような背景があるのかは分からないが、彼はかつての主君戦友の意思を尊重することにした。


 つまり、呂綺魔琴は自分にとっても攻撃対象ではないということだ。



「あとさぁ、オーデッドさん」

 魔琴は不快感をあらわにして言った。

「その『鬼』っていうのヤメてね。ボクは鬼じゃない。マヤだよ」

 その眼光は強く、鋭い。

 揺るぎない意志を感じさせるその瞳に、オーデッドは感心した。

「そりゃ失礼。今後は気をつけるよ」


 オーデッドは魔琴に対してある程度の威圧プレッシャーをかけ続けていたが、魔琴は怯む様子もなければ、逆に立ち向かって来た。

(大したガキだねぇ)

 オーデッドはこれ以上は不要……というより無駄だと思い、威圧プレッシャーを完全に消した。


「……で? お話ってなんだい?」

「あのね、訊きたいことがあるんだ」




 その頃、食堂から逃げ出した澄は悶々としながら当て所なく校舎を徘徊していた。

「魔琴のやつ、あんなにはっきり言わなくても……しかもみんなの前で!」


 プリプリしながらも決して怒っているわけではない澄。彼女は単に恥ずかしがっているだけなのだ。


「飛び出て来ちゃった手前、食堂には戻りづらいしっつーかリューたちもう帰るとかいってるし」

 澄の手元のスマホにはリューから『またね〜』的なイラストのスタンプが送られてきていた。

「はぁ〜……あたしも帰ろっかなぁ。春鬼に用があったけど、別に帰ってからでもいいし」

 とか何とか言いつつ、澄は春鬼のいる確率が最も高い生徒会室へと無意識に向かっていた。


 すると……

「……で? お話ってなんだい?」

「あのね、訊きたいことがあるんだ」


 と、生徒会室の中から誰かの話し声が聞こえてきた。

「ん? 春鬼と……魔琴!?」

 突然聞こえてきた春鬼と魔琴の声。

 澄は彼らに気取られない様に教室を覗き込んだ。

(なんで魔琴と? つーかなに話してんの?)

 耳をそばだてる澄。

 聞こえづらいが、何とか内容は把握できそうだ。


「単刀直入に訊くけど……今でも姉さんの事、好きなの?」


 魔琴の質問に澄の全身が泡立った。

(え? は? 何? どゆこと?? 姉さんって、有栖羅市のことだよね???)

 混乱する澄。しかし、そんな彼女を待つことなく、春鬼オーデッドはその問いに答えた。

「ああ。あいつは俺の女だ」


 がたっ!


 飛び上がるほど驚いた澄は、思わず生徒会室の扉に頭をぶつけてしまった。

(痛っ! やばっ!!)

 盗み聞きがバレるのを恐れ、慌ててその場を離れる澄。


(え? え? 嘘……春鬼は……有栖羅市と……!?)

 混乱しながら走り去る澄。

(なんで? なんで……?!)


 滲んでくる涙を振りほどきながら、彼女は全力疾走でその場から逃げ出したのだった。

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