不思議仁恵之里

第126話 恋する仁恵之里

 梅雨が明け、仁恵之里に本格的な夏がやってきた。

 

 仁恵之里高校は今日が終業式。

 生徒たちは夏休み突入前夜の興奮に湧き、開放感に歓喜している。


 しかし、アキは別段はしゃいだりせず、普段通りだった。


 現に今も自分の机やロッカーの整理をしていた。

 彼はすでに新学期へ向けての準備をしているのだ。


「数学の教科書は持って帰った方がいいな。休み中、またリューに教えるかもしれないし……」



 夏休みだのなんだの、彼はもともとそういうことでウキウキするタイプではないし、それに今日までいろいろとがありすぎた。


 リューの事、魔琴や羅市の事、そして虎子の事。

 アキはそれらすべてに深く関わった。

 特に虎子の事はあまりに深刻すぎてどうしていいか分からない。



 虎子の過去を追体験したあの日からもうひと月近く経つ。

 あれから虎子と顔を合わせる機会は当然あったが、彼女はアキにいつも通り接した。

 特にあの日のことを振り返ったり、補足したりという事は無かったのだ。


 いつも通り週末に現れ、リューに稽古をつけ、みんなと遊び、楽しみ、日曜の夜にいつも通り帰っていった。


 あの日のことは夢だったのかと思うほど、虎子はいつもと変わらなかった。


 しかし、不死美の言葉がアキを夢から現実に引き戻す。


 虎子が近い将来消滅すると、不死美は断言したのだ。

 あの平山不死美がいい加減な事を口にするとは思えない。


『事実』という、あの言葉がアキに重くのしかかる……。


 思わずため息が出た。

 自分はどうすればいいのか、何ができるか……答えのない問答は、回答のかわりにため息を漏らしてしまうものだ。


 その時。

 アキのそんなアンニュイな気分をかき消すように、ポケットの中のスマホが鳴った。

 ディスプレイには”着信・護法澄”と表示されていた。


「……もしもし?」

「アキ! 今すぐ食堂に来て! 早く!!」    

 澄は怒鳴るようにそう言うと、すぐに通話を切ってしまった。


 ……尋常じゃなかった。

 いきなり怒鳴られて腹立たしいが、あの様子は普通じゃない。

(なんか嫌な予感……!)

 アキは本能的にヤバめな空気を察知し、食堂へと急いだ。



 そして食堂へ到着したアキに飛び込んできたのは、とびきり愛らしい女の子だった。

「あ〜〜! あきくんだぁ〜!!」

 見覚えのある銀髪がアキの胸でさらさらと揺れた。

「ま、魔琴!?」


 澄は魔琴をアキから引っ剥がそうと羽交い締めにしつつ、吠えた。

「アキ! これ一体どういうことよ!なんで魔琴が居んのよ! 説明すれっ! つーか離れろ白髪!」

「白髪じゃないもん銀髪って言うんだよ〜! つーか見てわかんないの~? これだからゆとり教育世代は教養のない事!」


 ……澄と魔琴はすっかり仲良くなったようだ。そんな2人をリューは紅茶をすすりながら笑顔で眺めていた。


「な、なぁリュー、とりあえず状況説明頼む」

「ええとですね、私が図書室で図書委員のお仕事をしていたら、魔琴が遊びに来たんです。そこに澄が来て、びっくりしてアキくんを呼ぼうとしたので、そのまま図書室に居るわけにはいかなかったから食堂に移動して、今に至る。です」

「……魔琴が遊びに来たって普通に言うけど、いいのか? 魔琴はその、アレだろ?」


「鬼」という言葉を使いたくなかったアキの気持ちを察し、リューは頷いた。


「魔琴は大丈夫ですよ。それに、蓬莱山ではたくさん助けてもらいましたからね」

 それを聞いて、魔琴は「なんのなんの」と、手をパタパタと小さく振った。


「困ったときはお互い様っしょ? それにボクは大したことしてないし。頑張ったのは澄だよ」

 突然名指しされ、澄が声を上げた。

「は? あたし?」

「そうだよ。有栖姉さんのケンカを買うなんてカッコ良すぎよ。結局ボクが止めちゃったけど、あのあと姉さんにチクチク言われたんだよ? 『邪魔すんなよな〜』ってね」


 それを聞いた澄はちょっと照れたようにそっぽを向いて、魔琴の拘束を緩めた。

「ま、まあ、あたしこれでも武人会の正武人だし? リューの為でもあるし? 普通だよ、フツー。はははっ」


 満更でもない様子ですっかり魔琴を開放した澄を眺め、リューは魔琴の話術に感心していた。

(澄の性格を把握している……やりますね、魔琴……)


「で、魔琴は何しに来たんだ?」

 アキが問うと、魔琴は「特に用事はないよ?」と、逆に問いかけるように答えた。


「なんとなくね。ちょっと時間ができたからふらっとさ。学校って居心地良くて。お屋敷ウチに居るよりずっといいよ。つーか、来ちゃダメ?」

「い、いや、そんなことはないけど……武人会にバレたら面倒くさい事にならないかなと思って」

 それを聞いた澄が唸った。


「まぁ確かに会長おじさんにバレたら厄介過ぎるけど、学校だけなら大丈夫っしょ。鬼頭にバレてもあいつそーゆーこといちいちチクるタイプじゃ無さそうだし? 麗鬼にバレてもあたしから口止めするし? あとは……」


 澄は肝心なあとひとりの名前が何故か出てこない。

 すると、魔琴はそれを先回りするように言った。


「ありましゅんき?」

「そうそう、春鬼。……春鬼かぁ。春鬼にバレたら面倒かもね。あいつ、そーゆーとこおじさん譲りで厳しいから」

「こっち見てるよ」

「何が?」

「ありましゅんき」

「は?」 

「さっきから。ほら」 


 魔琴の指差す方には、こちらをじっと見つめて佇む春鬼が居るではないか!

「げ! めっちゃ見てるし!」


 春鬼は食堂の入口付近で立ち止まり、こちらに刺すような視線を送っている。

 流石の澄も若干焦った。 

「こ、こっち見んなし!」

 しかし、春鬼の瞳は鋭さを増した。

 その威圧感に、リューもそわそわしてしまう。

「な、何でしょうか……あの目つき、シュン兄さんらしくないですね……」

 魔琴はその眼光に何かを感じ取っていた。

「……ねぇ、あの人さぁ」


 魔琴が何かを言いかけたその時、春鬼は突然視線を外し、何処かへと去っていった。


「ふーっ、ヤバかった……なんなのよ春鬼のヤツ……」

 澄が冷や汗を拭う。

 リューも同じ様に胸を撫で下ろした。

「ちょっと怖かったですね。でも、シュン兄さんなら何かあれば直接言いに来ると思いますし、とりあえず心配はいらないと思いますよ、魔琴」


 リューは魔琴に微笑んで彼女を安心させようとするが、今度は魔琴の眼光が鋭くなっていた。

「魔琴? どうかしましたか?」

「ん、いやぁ……あの人の事なんだけど」

「シュン兄さんが何か?」

「……ううん、なんでもない」

 魔琴はぶんぶんと顔を振って何かを誤魔化すような素振りを見せ、「それよりも……」と澄を見詰めた。


「澄って、ありましゅんきの事が好きなの?」


 ざわ……

 リュー達の周囲が一瞬静まった。


「……え? は、あたしが? 春鬼を?」

 目に見えて動揺する澄を魔琴は容赦なく追い詰める。

「好きでしょ?」

「え、は? え? しゅ、え? な、何を根拠に?」

「恋してる人ってイイ匂いがするんだよ。ボクは鼻がいいからわかっちゃうんだ。そういうの」

「鼻? い、犬かあんたは!」

「好きだよね? ありましゅんき」

「……っ!」


 既に耳まで真っ赤な澄。

「い、ひ、う、う、うわあああ〜っ!」

 取り乱し、澄は突然何処かへと走り去ってしまった。


「す、澄!?」

 リューは立ち上がり澄を追いかけようとしたが時すでに遅し。澄は叫びながら食堂から出ていってしまった。


「……魔琴、あまりそういうことはあけすけに言わないほうが……」

 リューは苦笑いで魔琴を見やるが、魔琴は『?』ひとつ分といった表情でリューを見返した。

「なんで? リューだって知ってるんでしょ? 澄がありましゅんきの事を好きなの。別に隠すことでもなくない?」

「私は澄とは長い付き合いですし、澄とそういう話もしたことがありますし……でも、そこは気遣いというか、なんというか……です。それに、そういう事は隠す隠さないとかではなく、秘めたる想いと言いますか……」

「ふぅん、そういうもん? そういうことなら気をつけるけど……」

 魔琴は不意に瞳を鋭くした。


「ありましゅんきは気になるね」

「……え? 何がですか?」

「あの人からもイイ匂いしたよ」

「ええ?!」

「しかもふたり分」 

「えええ???」


 色めくリューとアキ。

 あの有馬春鬼の想い人という全校生徒が知りたがる機密情報に思わず震えた。


 しかもふたり分とはどういうことだ?


 流石のリューもそう言うことならと、興味津々を隠せない。

「だ、誰なんですか、その人って……」


 自分で『そういうことを言うのは控えろ』と言っておいて……という自覚はあったが、そこはリューも年頃の女の子。知りたいものは知りたいのだ。

 しかし魔琴はにやりとした笑みを返した。

「ナイショだよっ」

「そ、そこをなんとか……」

「へへ、気遣いってヤツ?」

 そして彼女は立ち上がった。

「ひとり分は確定。でも、もうひとり分は未確定……気になるから、直接確認してくるね!」

「え? ちょ、魔琴??」

「いってきまーす!」

 そして魔琴も食堂から走り去ってしまった。


「魔琴ったら……」

 飛び出して行ってしまった魔琴。彼女が座っていた椅子を元の位置に直すリューは、思案顔のアキが気になった。


「どうかしましたか? アキくん」

「いや、魔琴の言ってた『ふたり分』てのが気になってさ」

「それはシュン兄さんが『ふたりの人が好き』って意味なんじゃないでしょうか?」

「俺もそう思ったけど、あいつの言い方が『ひとり分、ふたり分』って、有馬さんがふたりいるみたいな言い方だったから……もしふたりの人が好きなら、『ぶん』って言い方はしなくないか?」

「……言われてみれば……」


 アキもリューも、どこか狐につままれたような心持ちで唸り、虚空に視線を泳がせたのだった。

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