第125話 過去は語る20 〜わたしからきみへ〜

 我々は仁恵之里武人会の武人。

 鬼と戦い、牙なき人々を守るのがその使命。


 リューもいまや立派な正武人だ。 

 もう、普通の少女ではない。

 鬼と戦う武人会の武人なのだ。


 私がそうさせたのだ。

 リューだけではない。澄や春鬼や勇次たちもそうだ。


 まだ子供と言っても差し支えのない年齢の彼らに、生と死の刃境を征くような狂気じみた運命を背負わせてもよいものか、私は悩んだ。


 私の行動は間違っているのかと、時折そんなことを考えてしまう。



「それでも僕たち武人会は戦わなければならない。それが僕らの存在意義だ」

 そう言い切る刃鬼は、時折感情のない目をする。

 その瞳に宿るのは覚悟。

 それは、時として冷徹。


 だが武人会という特殊な組織の長だ。それくらいの精神でなければ務まるまい。


 修羅の道を征く刃鬼かれの背中を追う、春鬼むすこ麗鬼むすめ


 刃鬼は私とよく似た境遇だ。

 ならば、その胸中は推して知るべしだろう。

 ……いや、彼と私とでは決定的な差があるだろう。

 それこそが、迷いだ。

 刃鬼には、迷いがない。



 ある日、春鬼が真面目な顔をして言った。

「虎子、お前はいつになったらリューに印可いんかを渡すんだ?」

 春鬼にそう言われた時、彼にすべてを見透かされている気がした。


 印可とはつまり免許皆伝。

 リューは実力的に九門九龍を極めていると言っても良いレベルにあった。

 もちろん今後もさらに強くなるだろう。しかし、それはあくまでも現状の状態でだ。

 更に研がれ、更に鋭くなるだろうが、敵の命に届くかと言えば、そうではない。


 『雪の九門九龍』は生かす技。

 その技術体系は非常に完成度が高いが、ひとつ欠けたものがある。


 『私の九門九龍』は殺す技。より効率的に敵を倒すことに重点を置き、欠点もあるが確実なものが有る。


 それは『完全なる決着の手段』。

 相手の息の根を止めるという、最後の構成要素。


 私はこれまで数多くの鬼を斃し、殺してきた。

 鬼とはいえ、この手で生命を奪ってきたのだ。

 リューはこれまでいくら鬼を倒せども、命まで奪うことは無かった。

 明言はしていないが、彼女は不殺を信条としているのだ。


 しかし、九門九龍そのものにそのような信念、信条は無い。


 それが九門九龍の奥伝……つまり奥義に繫がるからだ。


 もし、リューがそれを会得したならば、もう本当に、私が彼女に伝える事は何も無い。


 しかし、それをリューに与えてよいものなのだろうか。

 それを、リューは受け入れる事が出来るだろうか。


 私はリューにとんでもないモノを背負わせなければならない。

 リューだけではない。きっと仁恵之里の若き武人たちにも同じことをしているのだろう。


 生命を奪う。

 敵とはいえ、殺すという行為は心に桁違いの負荷がかかる。人によっては心が侵され、壊れてしまう。


 私はあの若者たちにそれを強いているのだ。



 矛盾だ。私は矛盾の塊だ。


 彼女たちに生きぬく技術・戦う術を伝える事は、同時に彼女たちを命の危険にさらすことになる。


 私は彼女たちに生きてほしい。

 だが、彼女たちが赴くのは死と隣り合わせの戦場。


 どうか、生き延びてくれ……!


 私の心はそれを望んでいて、私の行動はそれと矛盾している。


 だがもうどうしようもない。もう後戻りできないのだ。


 そんな私の弱い心を見破るように、刃鬼は私を許さない。

「今さらやめるとは言わせないよ、虎子。きみにはもう選択肢は無いんだ」


 刃鬼との意見の相違から、本気で喧嘩になった時に彼がどれほど真剣なのか、よく分かった。


「みんな死ぬことになるかも知れないんだぞ、春鬼も、麗鬼も……みんなだ!」

「……覚悟の上だよ」


 その日は思う存分やり合ったさ。

 二人とも生きてるのが不思議なくらいの、取っ組み合いの大喧嘩だった。


「分かってくれ、虎子……辛いのはきみだけじゃないんだ!」

「……刃鬼よ、我々は正しいのか?」

「生き残った者が正しい……僕はそう思う」

「残酷だな……」


 そう、残酷。

 我々はこのままきっと、雪崩のように止まるまで止まることは無いのだろう。


 それでもリューは懸命だ。まっすぐに進んでいる。

 何処へ?


 彼女はどこを見ているのだろう。

「いつか必ず、お母さんの仇を討ちます」

 そうか。やはり、お前はそこを見ていたか。

 ならば、私も覚悟を決めねばならないのか。


 リューは戦うことを選んでいる。ならば、生き抜くんだ、リュー。


「どんな事があってもあきらめるな。あきらめることだけは、師として絶対に許さん。いいな? リュー」


 分かっているんだ。

 私がどれほどの嘘をついているか。

 どれほどの矛盾を晒しているか……。





 誰か、助けてくれないか?



 私はどうなってもいいんだ。リューを、助けてやってくれないか。


 私を止めてくれ。

 リューを救い出してくれ。

 この混沌から、この泥沼から。

 頼む……頼むよ……





「あき?」

「お姉ちゃん、覚えてないんですか?秋くんですよ、国友秋くん。幼馴染の」


 何気ない会話の中で、リューがわたしにそう言った。


(アキ? ……覚えがないな)

 住民名簿にも高校の生徒の名簿にも国友秋という名は無かった。


 その夜、私はリューのいない時を見計らって大斗に尋ねた。

「なぁ大斗、アキとは何者だ?」

「アキか……あいつは『あの日』、リューを助けてくれたんだよ。俺が駆け付けるまで鬼からリューを守ってくれたんだ」


 どうやら鬼に襲われそうだったリューの手を引いて逃げ続けたという。勇気のある少年だ。

「……秋一郎の息子だよ。リューと同い年でな。でも、あれ以来行方不明でさ……今どこにいるかわかんねえんだよ」

「秋一郎……そうか、刃鬼の執務室にあった写真に写っていたあの男性か」

「ん、見たのか? あの写真」

「ああ。彼が国友秋一郎氏か……」

「ウチの隣に住んでたんだよ。ほら、お前がココに来た時、隣に壊れかけた家があったの覚えてないか?」

「そうか……あの家は国友邸だったのか」


 この家に来た当初はまだ家屋としての体裁は保っていたが、今はもう見る影もない更地だ。

 つくづく思う。時間というものは容赦がない。



 国友秋一郎。そして国友秋。

 武人会の記録をあさり、彼らの事を調べた。


 秋一郎氏は識匠だったようだが、その能力に目が釘付けとなった。

 なんと、氏は『識を物質化して高速射出する』事が出来たのだという。

 そんなことが可能なのか……?

 私は半信半疑で刃鬼に真意を問うた。


「ああ、信じられないかもしれないけど事実だよ。秋一郎は識匠としてはちょっと異質な存在だったね」

 刃鬼が言うのなら間違いないだろう。


 しかし、何故姿を消したんだろうか。

 国友親子に何があったのか、それは分からない。

 ただ、私はその”アキ少年”の事が妙に気になった。



「アキのことを私はよく覚えていないんだ。どんなやつだったかな? リュー」

「え? ええと……」

 私の問いかけに、リューは頬を赤らめてはにかんだ。

 私は正直驚いた。

 リューのこんな顔を見るのは、初めてのことだったからだ。


「そ、そうですね、アキくんは頼もしくて、優しくて……いつも私を助けてくれたんです……」

 リューはアキの事をとても信頼しているようだ。

 リューにとってアキとは大きな存在なんだろう。

 しかも、リューは明らかにアキに特別な感情を抱いているようじゃないか。


 ……アキなら、リューを救うことができるかもしれない。

 しかしアキ、お前は今、どこにいる……?




 ある夜、強烈な識が私のこめかみを駆け抜けた。


 まさに「飛んできた」のだ。

 その識は私に向けられたものではなかったので気配しか分からなかったが、それでも私が受け取ってしまうほど強烈なものだった。


 翌朝、大斗が居間で泣いていた。

「秋一郎が、死んだ……」

「何? 秋一郎氏とは音信不通なんじゃないのか?」

「アキを頼むって……識を、『そういう意識』を飛ばしてきたんだ……遺言を!」


 昨晩感じた強烈な識の気配はそれだったのか……。

 しかし、依然としてアキの所在は分からなかった。秋一郎氏の識はそこまで語られてはいなかったのだ。




「賭け喧嘩? アキとはそんなにとっぽい男なのか?」

 それから1年の時を時間を費やし、武人会はついにアキの居所を掴んだ。

 それを受け、リューはアキを”迎えに行く”というが、アキは賭け喧嘩を行う地下闘技場のメーンエベンターだという。


「きっと何か理由があるんですよ。アキくんは無暗にケンカをするような人じゃありません」

「……そうか。まぁ、なんにせよやりすぎるなよ」

「はい、大丈夫ですよ!」


 刃鬼の話では『場合によっては戦闘の可能性もあるので、その許可は出した』との事だ。


 まぁ、今のリューならなんの危険もないだろうが……アキが大丈夫だろうか。



 そうしてアキが仁恵之里にやってきたのだが、彼を一目見た瞬間、驚きのあまり心臓が止まるかと思った。


 藍殿!?


 アキは藍殿に瓜二つだったのだ。


「あ……」

 初めて彼の顔を見た時、私の口をつきかけた『あの人の名』。

 少しでも気を緩めれば、私はその名を呼んでいたことだろう。

 そして、駆け寄って抱き締めていただろう。

 藍之助殿! ……と。



 アキに対し、私は宝才を使う必要がなかった。

 彼は仁恵之里で生活をしていた頃の事を覚えていないという。


 時間がそうさせたのか、単に当時の幼さ故なのか、或いはあの災禍のせいなのかは分からないが、アキはまるで記憶喪失のように過去の事を覚えていないという。

 いずれにせよ、私にとっては好都合だった。


(そうか、私は嘘をつく必要がないのだな……)


 だがな、もし嘘をつく必要があっても、お前に対してそうできるかどうか自信がないな。


 私は、藍殿に嘘をつくことが出来なかったから。



 アキ、お前の前では気が緩む。

 私の『女』が顔を出してしまう。


 だからもしもの時は、お前からきちんと拒否してくれよ。

 そうしなければ、わたしはきっとお前を頼ってしまう。

 きっと、甘えてしまう。



 私の愛したさくらと藍殿。

 そのふたりに瓜二つな、私の愛する家族。


 これが神のいたずらなら、怒らないからもうやめてくれ。


 これ以上、私に未練を与えないでくれ。

 この世に対する未練を与えないでくれ。


 私は確実に、近い将来確実に消滅する。

 それはもう避けられない。

 自分自身でそれがわかるのだ。


 アキよ。もし私がいなくなったら、リューを守れるのはお前だけだと私は思っている。

 

 この思いに嘘は無い。

 私は本心からそう思う。

 そして、お前にならリューを任せられる。


 だから、頼む。

 リューを頼む。


 お前がリューを、幸せにしてやってくれ。

 アキ……



 ………

 ……

 …



 遠くから明かりが差す。

 意識が急速に覚醒していく。

 虎子の宝才が弱く、薄く、小さくなっていくことをは感じていた。


「……はっ!?」


 アキは飛び起きるようにして目を覚ました。


 そこは有馬家の一室。

 アキは虎子の宝才で彼女の過去を追体験していた自分を徐々に思い出していく。


 部屋は明るかった。

 夜が明けていたのだ。


「と……虎子、虎子!!」

 アキは慌ててあたりを見回したが、虎子の姿は無かった。

 ただ、平山不死美だけがそこにいた。 


 不死美の傍らには虎子の着ていた服が綺麗に畳まれ、そっと置かれていた。

「虎子は……?」

 不安そうなアキに、不死美は優しく微笑んだ。

「お休みになられただけですよ。強い宝才でしたから……今の姫様には余程負担が大きかったのでしょう」


 虎子の過去、そして彼女の思いはアキの想像し得ない程に深く、険しいものだった。

 それを想い、込み上げてくる様々な感情がアキの胸を締め付ける。


「……不死美さん……虎子が、消えてしまうって……」

 アキは恐る恐る不死美を見た。

 虎子の過去で垣間見た、彼女の行く末。

遠い昔から関係のある不死美ならそれを知っている筈。


 アキはそう考えた反面、不死美にも何も知らないでいてほしかった。

むしろ、誰にも何も知らないでいてほしかった。


 だが、不死美はゆっくりと瞳を閉じ、静かに答えた。


「事実です」



 あまりに静かな部屋の中、残酷なほどにその言葉の残響は残った。



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