第122話 過去は語る17 〜生きるための九門九龍〜

 数日後。


 左腕の骨折以外、ずいぶん良くなった。

 ”作りもの”とはいえ、この体は普通の肉体と全く変わりは無く、回復のプロセスも同じだ。


 それに武力を自然治癒能力に全振りしているので、あと一週間ほどで完全に元通りになるだろう。


 ひとりで歩けるようになった私は刃鬼を訪ねた。

 彼に相談があったのだ。



「私はこのまま、リューに九門九龍を伝え続けても良いのだろうか……」

 私は心のうちを刃鬼に吐露した。

意地もプライドもかなぐり捨て、彼の助言を求めたのだ。


 私は悩んでいた。

 九門九龍はか弱い人間が鬼に立ち向かうためのものとはいえ、本質的には『殺しの技』だ。


 当然、に置き換えてもそれはそのまま当てはまる。


 ……そんな技は、リューには向いていない。

 如何に才能があろうとも、如何に実力が伴おうとも、彼女はあまりに優しすぎるのだ。


「……」

 刃鬼は黙ったまま、窓から広い庭を眺めていた。

 庭では少年が剣を振っていた。

 ひとりで稽古に励むその少年を見詰めつつ、彼は静かに口を開いた。

「虎子。君はリューに九門九龍を伝え続けなければいけないよ」


 ずいぶん断定的な返答だと思った。

 伝え続けなければいけないとは、どういうことだろう。


 そんな疑問を察してか、刃鬼は私の方を向いて、真剣な瞳で私を見つめた。

 先程、庭の少年に向けていた瞳と同じく、それは『武人』の瞳だった。


「いいかい虎子。とどめを刺さなかったとはいえ、リューは仮にも鬼を倒した。恐らくその事はもう周知の事実だろう。『幼い人間の子供が鬼を倒した』……その事実を知った鬼たちはどう反応するかな? 怨恨や疑念、興味や好奇……いずれにしろ、リューは鬼に『狙われる存在』になってしまったんだよ。きっと、今後鬼たちはリューを攻撃対象にするだろう」


 ……やはりそうか。

 今度は私が言葉を失ってしまった。


 いや、分かってはいた。

 そしてそれがすべて自分が撒いた種だということも。


 鬼達はこと『戦い』に関しては真面目で執念深く、快楽的である。

 その最たる例があの万年酔っ払いの喧嘩中毒、『有栖 羅市』だ。


 彼らは闘争というものに喜怒哀楽の全てを込める。

 怒り戦い、哀しみ戦い、喜んで戦い、楽しんで戦う。


 戦闘は彼らにとってコミュニケーションの一つであり、言ってみれば人間の”性欲”に近い感情さえ抱いている。

 彼らは戦うことに純粋なのだ。


 だが、性欲にも低俗なものがあるように、彼らの闘争の中にも当然そういうものはある。


 それは誇りも何も持たない、独善的で一方的な『暴力』だ。

 仁恵之里の人々は、その暴力に長年苦しめられてきたのだ。


 リューは身に付けた強さ故に、その『暴力』に晒されてしまうというのか。

 私は取り返しのつかない事をしてしまったのか。


 出来ることなら私がリューを守り続けてもいい、そうも思うが、果たしてそれは可能だろうか。

 今はこうして人間の体で存在しているが、あくまで私の体は作り物で借り物だ。


 雪が命を賭して私に託した彼女の遺志と、私自身の武力で成り立つこの不確かな体。

 いつ、再び形を失くしてしまうかもわからないこの肉体。


 やはり、リューが生きてゆくためには鬼と戦う力が必要なのだ。

 この、九門九龍が……。


 それに、彼女は戦うことをそう簡単にはやめないだろう。

 私は彼女の心に『復讐』を刷り込んでしまった。

 母を心から愛していたリューにとって、それは今や生きる目標と言っても過言ではないだろう。



「つまり、私は責任をとる必要があるというのだな」

「責任? ……そうだね、半端な武は身を滅ぼしかねない。とくに中途半端な武力は人体に余計な負荷を与えてしまう。今後の心身の成長にも悪影響を与えるだろうね」

「私はリューに九門九龍を……戦うための技術を、殺しの技を伝え続けなければいけないというのか……」


 私の事はいい。私の事などどうでもいいんだ。

 私は結局リューを苦しめ続けることしかできないのか。


 俯く私に、刃鬼はそっと手を添えるように声をかけた。

「虎子、みてごらん」

 刃鬼は庭で剣を振る少年を指差した。 

 よく見れば彼が握っているのは真剣だった。


 体格に見合うよう、本差ではなく脇差のようだがそれでも子供が扱うには重かろう。しかし、彼は見事にそれを操っていた。

「僕の息子の春鬼だよ」

「息子? そうだったのか。道理で筋が良い……」

「龍姫様にそう言ってもらえると、僕も鼻が高いよ」

 刃鬼は眉を下げ、笑った。優しい父親の顔だった。


「刃鬼、彼はいくつだ?」

「リューのひとつ上だよ」

「……8やっつだと? 8歳の子供が真剣をあんなに華麗に操るというのか!?」


 春鬼の剣捌きは見事の一言に尽きた。

 まだまだ拙いとはいえ、それは私の目から見ての事。あれは有馬流の高弟にも匹敵するほどの腕とみて間違いない。

 年齢を考慮すれば、高弟すらも凌駕するだろう。


「凄いな……」

「虎子の妹だって凄いじゃないか。春鬼とリューは、いい友達になれそうだね」

 刃鬼は愉快そうに笑った。


「……友達?」

「そうだよ。友達……仲間? 同胞と言ってもいいかな。『以武会友』さ。”武を以て友に会う”って事だよ」

「……友、か……」


 私はかつて共に戦った仲間達を想った。

 鵺や聖鬼は勿論、遠い過去、同じ志に命を燃やした仲間たち。苦楽を共にした戦友。


 そして藍殿。

 血みどろの闘争の中、私に愛と安らぎを与え、教えてくれた唯一のきみ……。



「虎子。僕はね、武道こそ最高の人間教育だと思っているんだ」

 そう言って春鬼を見つめる刃鬼の瞳は輝いていた。


「危険な技術であるからこそ、それを扱うものには強くて崇高な精神が必要だ。仁義に厚く、礼節を重んじ、常に高みを目指し、正義を貫く。これはすべて武道の精神だけど、それはそのまま人間の生きる理想のさまにつながると思わないかい?」


 庭で剣を振る春鬼は純粋で、美しい。そこには邪念のかけらも感じない。


「鵺さんはね、いつも雪さんに言っていたよ。『ご宗家と一緒だったから、私は道を踏み外さずに生きてこられた。ご宗家の九門九龍があったから、私はどんな事があってもくじけずに生きてこられた』……ってね」


 鵺……。

 鵺との日々が鮮やかに蘇る。

 共に生き、共に鍛え、共に笑ったあの日々を。


 いかん、また涙が溢れてきた。

 それを刃鬼に悟られまいと、私は外を見たまま涙を流した。


「雪さんは君に”リューを強くしてほしい“と願ったんじゃないかな。それはきっと、君が鵺さんに教えた”生きるための強さ”と同じ意味だと思うんだ。もちろん九門九龍を通してね。もし九門九龍が殺しの技だと言うのなら、それを雪さんやリューが目指すような”生きるための技”にすればいい。生きるために戦う技にすればいいじゃないか。九門九龍の流祖たる君なら、出来るんじゃないかな?」



 ……ああ、鵺。それに雪。

 すまない。本当にすまない。


 私は分かっていたんだ。

 お前達が望んでいたものがそう言うものだということを。

 本当は、分かっていたんだ。


 それを分かっていながら、それから目を背けて私は私のエゴをリューに押し付けてしまったんだ。

 自分の目的のために。


 だから、すまない。

 こんな私を、どうか許してほしい。


 そのためなら、なんだってする。

 私の全てを、リューに捧げてもいい。

 だから、どうか……。


「虎子」

 背後から刃鬼が何も言わず、ハンカチを差し出した。

「……なんだ?」

「なんでもないよ」


 刃鬼はそう言うが、その手を引っ込める気配はない。

 私はそれを受けとって涙をぬぐった。


「……なぁ刃鬼、今度リューを連れてきてもいいか? 春鬼に会わせたいんだ」

「ああ、もちろん」


 何故か体が軽かった。

 憑き物が落ちたような感覚だ。


 いや、事実そうに違いない。

 それを自覚し、さらに涙が溢れた。


 かつての武神が何度も何度も、しかも男の前でめそめそと……。

 

 私は自分が自分で情けなくて仕方なかったが、まぁ、良しとしよう。


 私は、これからは自分に素直に生きようと思う。


 自分に素直に、姉として、師として。


 リューと共に生きていこうと心に決めたのだった。

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