第120話 過去は語る15 〜有栖羅市という女〜

 山を駆け上がる私は神経を研ぎ澄まし、リューの武力を追った。


 山の奥へ行くほどリューの存在がはっきりとして、同時に有栖羅市の気配も濃くなる。

(一緒にいるのか?)


 とにかく早く、一刻も早くリューの所へ……!

 その一心で岩を越え、藪を突き抜け、林を縫うように走る私の鼻孔を、酒の香りがくすぐった。


(この香り!)


 嗅覚は記憶と密接な関係があるという。

 その香りを嗅いだ瞬間、有栖羅市についての様々な事を思い出した。


 そうだ、有栖あいつは……。


「……有栖!」

 酒の香りが一際強くなった。

 深い藪を抜けた先に、有栖羅市がリューを抱きかかえて佇んでいたのだ。


「や〜っと来たか。つーか、ホントに雪ちゃんそっくりなんだな、龍姫様ァ。不死美さんの言ってた通りだ」

 そう言ってすぐ、彼女はぺろりと舌を出した。

「おっと、今は『虎子』だったな」


 有栖は500年前と全く変わらない姿だった。だらしなく着崩れた浴衣も、酒の匂いも、女の薫りも、すべてあの頃のままだ。


「何百年ぶりかだなァ。お前さんが復活するたびにあたしは他所に行ってたからな。逢いたかったぜ」

「お前の軽口に付き合っている場合じゃない。リューを離せ!」

「離せ? ふゥん、そーゆーこと言っちゃう? 言っちゃうんだってぇ、聞いたかい? リュー」

 有栖は抱き抱えた赤ん坊をあやすようにリューに話しかける。そして私に向けてニヤリと、何かを含ませて笑った。


「……何故貴様がリューを知っている?」

「あたしは雪ちゃんとはウマが合ってね。友達ダチだったんだよ。リューに会ったのは久しぶりだから、この子はあたしの事は覚えてないかもだけどね」


 有栖は意外な程リューを丁寧に扱っていた。リューは眠っているのか、目を閉じていてかなり憔悴している様子だが、武力から察するに命に関わる危険な状態では無かった。



「有栖……もう一度言う。リューを離せ!」

「なぁに言ってんだよお前さん、自分で捨ててったくせに。この子、要らねぇんだろ?」

「っ!」

 有栖は事の顛末を知っているのか、私を嘲る様な顔で笑った。


「自分で置き去りにして、3日も放っといて、そんで助けに来たから寄越せなんて都合良すぎだろ。むしろあたしは心配してたんだぜ? 虎子はいつ来るんだろーなーって。でもちっとも来ないから、あたしがなんとかしてやろうかなってね。友達ゆきちゃん子供ガキだからね。しかし、3日もよく我慢したよ……」


 有栖は私を責めるような瞳で言う。

 私は心臓を鷲掴みにされたように苦しかったが、言い訳など有り得ない。


「……その事に関しては全て私が悪いんだ。すべての責任は私にある。どんな咎でも受ける。だから……」

「だからリューを返してくれってか? 許してくれってか? お前さん、そりゃあ勝手が過ぎるぜ」

「……私は、やり直したい。もう一度、リューに九門九龍を伝えたい……」

「おやおやまた勝手な事言ってらぁ。あたしはどうかと思うが、決めるのはリューだ。リューに訊いてみなよ」


 有栖はそう言うと、眠るリューの頬を軽く、優しく叩いた。

「ほらほらリュー、起きな。お前さんを置き去りにした鬼婆オニババが、お前さんを助けに来たってさ」

「……っ!」


 薄っすらとまぶたを開いたリューは有栖を見て微かに強張ったが、有栖が私の方を向いてリューの視線を促した。

 そしてゆっくりとリューは視線を私の方へ向け、押し黙った。


 リューは無表情で私を見つめていた。


 私がそうさせたのだ。

 もう何ヶ月も、リューは笑いも泣きもしていない。

 生命活動の全てを『武』に……いや、戦闘行為に果てにあの表情かおがあるのだ。


 そして、不要物のように投棄されたのだ……。

 に、だ。


 リューの無感情な視線は私の胸を貫き、その全てを諦めた様な表情は私の罪を浮き彫りにする。

 そう、彼女は罪人を見ていたのだ。


「……リュー」

 私の力ない呼びかけが届くものか。

 今更何を言う? どんな言葉が許される?

 現に、リューは私の呼び掛けになんの反応も見せなかった。


「……」

 しかし、無反応だったリューの様子に変化が起きた。

「……ん……」

 何事かを呟いたのだ。

「……おねえ、ちゃん……」


 次の瞬間、リューの感情が爆発した。

「おねえぢゃあああーーーん!!」


 有栖の腕の中で突然暴れ出したリューは顔面をぐしゃぐしゃにしながら叫んだ。

「おねえちゃん! おねえちゃん!! おねえぢゃあああん!!!」


 無茶苦茶に暴れ出したリューはその勢いのまま有栖の胸から転げ落ち、私に向かって一目散に駆け寄ってきた。


「おねえちゃん!!!」

 そして私の胸に飛び込み、号泣した。

「うわあああ! 怖かったよぉぉ! 怖かったよぉぉぉ! おねえちゃんんん!」


 私は上手く呼吸が出来なかった。

 胸が詰まるとはこういう事か。

 様々な想いが胸に詰まり、感情が昂り、涙が止まらないのだ。


 私は震える手でリューを抱きしめた。


 暖かい。

 小さい。

 愛しい。


 私は自らの鬼畜の所業を心から恥じた。

 こんなに小さく、か弱く、可愛らしい命を危険に晒し、愛しさを無視して自らの欲望のための道具に仕立て上げようとしていたのだ。


「……済まなかった、リュー」

 こんな時に気の利いた台詞の1つも言えない自分が嫌になるが、しかし私がいまリューにしなければいけないのは心からの謝罪だ。


「……もう大丈夫だ」

 そして守らなければいけない。

 いや、守りたい。

「あとは私に任せておけ」


 私はリューに笑いかけた。

 思えばリューに対して笑顔を向けたのはこれが初めてではないか。

 私は何という馬鹿者なのだろうか。


 つくづく情けない、情けない『姉』だ。


 有栖はその様子を酒を片手に眺めていた。

 まるで酒の肴にするように目を細め、ただじっと見つめていた。


「なぁ虎子。お前さんはその子をどうしたいんだい?」

 有栖は盃を傾けながら私に問うた。

「……」


 正直、私は即答できなかった。

 自分の考えを自分で否定するような心持ちだったのだ。 

 そんな私を見透かすように、有栖は怒鳴った。


「自分のやってる事に胸が張れねぇなら、武人なんてやめちまえ!」

 彼女はそれまでのほろ酔いが嘘のような、しらふの顔で怒鳴ったのだ。


 有栖のその辛辣な言葉に答えたのは、私ではなくリューだった。

「……やめないもん!」

 リューは私の体にしがみつき、恐怖に耐えながらも有栖に噛み付いたのだ。

「お姉ちゃんは絶対にあきらめない! わたしもあきらめない! 九門九龍は最強だもん! だから、やめないよ!!」


 心が熱い。

 燃えるように熱い。

 全身から力が湧き上がるようだ。


「……有栖よ、それが私の……いや、の答えだ」

 私がそう答えると、有栖は心底愉快そうに笑った。

「ハッハッハ!! お前さん、ここに来た時とはまるで別人だよ!」

 腹を抱えて笑う有栖の顔が、一瞬鋭くなった。

「ようやくお目覚めか、龍姫様よォ」


 そして気持ちを落ち着けるように酒を煽ると、不敵な笑みを浮かべた。

「んで、このままタダで帰っちゃおうとか思ってもねぇよな?」

「……一杯付き合えと?」

「それもアリだが、もっとイイことしようぜェ?」


 有栖が何を言わんとしているか、こいつの性格タチを知るものなら誰でも察する事が出来るだろう。


「……リューは下山させたい。武人会が捜索に協力してくれている。せめて蓬莱神社まで付き添わせてくれ」

「いいやダメだね。それだと武人会の連中に邪魔されかねないからね。ここはあたしに任せな」


 有栖は持っていた瓢箪を逆さにして、中身の酒を地面に撒いた。

 そして、ふっと息を吹きかけると酒が青白く、ぼんやりと発光した。


「『有栖家宝才・雀のお宿』だ。こいつが神社まで道案内をしてくれる。あたしの酒なら雑魚も寄ってこねぇ。安心して神社まで行けるはずだ」


 有栖の撒いた酒はまるで蛇のように動き出し、航跡の様に光の筋を残して山を降りていく。


 その光る航跡からは確かに有栖の気配も感じられた。これなら雑魚鬼は寄り付かないだろうし、野生動物すら危険を感じで逃げていくだろう。


 私はリューを抱きしめ、優しくその小さな頭を撫でた。

「あの光を辿って山を下りなさい。神社まで行けば大丈夫だよ」

「……お姉ちゃんは来ないの?」

「私はあの酔っぱらいに用があるんだ」


 私は思い出していた。

 有栖は嘘をつかない。

 彼女は鬼でありながら義理と人情に厚く、不器用な優しさがあった。


「さぁ、行きなさい」

「……帰ってきてね、お姉ちゃん」

「ああ。必ず帰るよ」


 私が笑顔でそう言うと、リューも微笑み、光を追って山を下りていった。



「……有栖」

 ふたりきりになり、私は有栖と対峙した。

「なんだい?」

「礼を言う」

「なんの?」

「目が覚めた」

「そいつは良かった。景気付けに一杯いっとく?」


 有栖は私に瓢箪を放り投げた。

 不思議な瓢箪だ。あれだけ地面に撒いたというのに、中身の酒は全く減っていない。


 私は瓢箪の栓を抜き、酒を一口だけ呷った。

「……っ」

 強い酒だ。しかし、あの頃と変わらない味だった。


 瓢箪を投げ返すと、有栖も同じ様に酒を呷った。

「準備運動はいらねぇよな?」

「当たり前だ。私を誰だと思っている」


 有栖はを条件に、リューの安全を確約したのだ。

 この女にとって『喧嘩』とは金品にも勝る価値を持つ。まるでガキ大将だ。

 そんなところもあの頃のままだった。


「久方ぶりに楽しめそうだね。死ぬなよ?」

「それはこっちの台詞だ」

 一気に張り詰めていく空気は戦闘の気配。


 ……昔はこうしてよく腕比べをしたものだ。

 そんな、まるで旧友に再会したような心持ちに可笑しくなってしまう。


 或いは、有栖のこの一連の行動は私を思ってのことなのかもしれない。


 もし、万が一私がここに来なくても、有栖はリューを助けただろう。

 もっと言えば、この3日間、リューを守っていたのは彼女なのかもしれない。

 そして今、彼女は弛んだ私にを入れようとしてくれているのかもしれない。

 不器用な奴だ。


 そして、優しい奴だ。 


 ……有栖の気持ちに応えるなら、それに見合った覚悟を以て臨まねば礼節に欠くというものだ。


 全身全霊で彼女の期待に応える。それが武人としての礼儀であろう。


「いいねいいね! その気合……! さぁ、行くぜ虎子ぉ!」

 有栖はさも愉快そうに吠えると、脇目も振らずに突っ込んできた。



(……リュー、どうか無事で……!)

 私は自らのたがを外し、500年ぶりの全力を開放する。

それが有栖への返礼だ!


「来い! 有栖羅市!!」


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