第119話 過去は語る14  〜こわれてゆく〜

 その頃、私と大斗は口論することが多くなった。


 彼はリューの修行をやめさせようとしていたのだ。

 私があまりに過酷な鍛錬をリューに課すためだった。


 しかし生半な修行では鬼には勝てない。

 鬼に敗北けるということは殺され、もしくは生きたまま喰われ、或いは凌辱され、そして塵屑ごみくずのように捨てられる事だ。


 人としての尊厳を穢されないために私はリューを、武人会を強くするのだ。


 邪魔をするな。

 誰も私を止めるな。

 私は大斗を突き放し、吐き捨てた。

「雪の無念は私とリューが必ず晴らす。お前はそこで指を咥えて見ていろ!」


 私の修行は苛烈を極めた。大人でも音を上げる理不尽さすらあっただろう。

 それでも私について来るリュー。


 どれだけ叱責しようとも、どれだけ鉄拳制裁を加えようと、リューは私についてきた。

 もう、彼女が私をと呼ぶことは無かった。


 母の仇を討つ。


 その目的のみのために生きる彼女は再び心を閉ざし、人形のように私の命令を聞くだけの『モノ』と化した。


 大斗と私は会話すらしなくなった。

 彼は私とリューに背を向けたのだ。


 馬鹿め。ようやく理解したか。

 リューは既に私のモノだ。


 私は惨めな大斗の背中を見下しながら、リューの鍛錬を続けた。



 そして1年ほど経ったある日、武人会の夜回りにリューを同行させた。


 7歳の子供を夜回りに同行させようとする私を非難する者もいたが、そんなものは単なる雑音に過ぎない。

 私はそれらを無視し、リューを連れて山に入った。


 程なくして鬼と遭遇。

 私にとってはゴミのような雑魚だが、リューの初めての獲物としてはまずまず……。


「行け! リュー!!」


 私はリューを猟犬のように扱い、その鬼にけしかけた。



 結果は見事な勝利だった。

 いや、圧勝と言っていいだろう。

 7歳の幼子が大人数人でも手こずる鬼を叩きのめしたのだ。

 私は本当にいい気分だった。

 期待以上の『道具』が出来たと拳を握った。


 鬼はリューに打ちのめされて行動不能に陥っていたが、息はあった。


「リュー、こいつはまだ生きている。殺せ」


 私はリューにそう命じたが、リューは首を横に振った。

「規則など無視しろ!」

「……」

 リューは俯いたまま、私の命令を実行しなかった。


 原則、鬼は捕えてマヤに引き渡すことになっているが、やむを得ない場合は殺しても構わない。

 人間は問答無用で殺されているのだ。そんな不平等な取り決めなど無視だ。私は鬼と対敵したら迷わず殺せとリューに教えこんでいた。


「もう一度言う。規則は無視しろ。こいつを殺せ!」


 私の2度目の命令に、リューは再び首を横に振った。


「何故だ? なぜ殺さん? リュー! 答えろ!」

 激昂する私に、リューは答えた。

「九門九龍は生きるための技です! 殺すためにあるんじゃないって、お母さんが言ってました!」


 はぁ?


 私が阿呆の様に首を傾げると、リューは涙ながらに訴えた。

「私は、殺したくない!! お母さんと約束した……殺しちゃいけないって……九門九龍は、そういうものじゃないって……!」


 ……目の前が一気に暗くなった。

 失望とはこういうものか。


 九門九龍は私が編み上げた鬼殺しの武術だ。

 いかに効率よく鬼を斃すかを考え、自らが生き残るために殺す技だ。

 そもそも武術とはそういうものだ。


 我々武人は武を心の支えにする類の人間ではなく、生存競争の為の手段にする類の人間だ。

 それ程の修羅に生きる武人会の武人が、そのような腑抜けた事を抜かすか。


 がっかりだ。

 雪にもリューにも、失望した。



 私はリューの首根っこを掴み、山の奥深く……結界を越え、人間が踏み入らない程奥でリューを放り投げた。


「貴様のその甘さはいずれ命取りになる。武の道は殺すか、殺されるか……それをこの山で知れ!」


 そう言い残し、私はリューを山に置き去りにしたのだ。



 その後の記憶は無い。

 どのように過ごしたのか、何をしていたのか覚えていないが、ただただ失意と虚無の中にあった。


 記憶が再開するのはそれから3日後だ。

 私は自宅の前にいた。


 もう何もかもがどうでもよく、家に帰っているであろうリューを見ても、今後一切無視しようと考えていた。


 もうあんな餓鬼はいらん。

 私一人で目的を達成して見せる。


 そんなことを考えながら家に入ると、玄関で大斗と鉢合わせた。

 彼は異様なほどに慌てた様子だった。

「と、虎子!? お前、今までどこほっつき歩いてたんだ!?」


 大斗は妙に小汚い格好で、髭もろくに剃っていないのか、無精髭が見苦しかった。

 大斗は私を見るなり突っ掛かるように問い詰めてきた。


「リューは!? お前、一緒に夜回りに行ってたろ?!」

「……帰って来ていないのか?」


 私はてっきりリューはあの日のうちに山を降り、帰宅しているものだと思いこんでいた。


 しかし、冷静に考えればあの山の奥深くから、7歳児がしかも夜に下山などどう考えても不可能だ。怒りで冷静さを欠いていた等と、言い訳すら白々しい状況だった。


 大斗は私の返答に意味がわからないというそのものの顔をしていた。


「お前、それ、どういうことだよ……?」

「夜回りの時、山に置いてきた」

「……は?」

「私の命令を聞かなかったから、罰として山に置き去りに」


 私の言葉は唐突に途切れた。

 大斗の馬鹿でかい拳によって遮られたのだ。


「〜〜〜ッ!」

 大斗の乱暴極まる右の拳が私の顔面を捉え、私は思い切り殴り飛ばされたのだ。


 私は玄関の引き戸をぶち破り庭に転げ、大斗は即座に追ってきて胸ぐらを鷲掴みにして、私を乱暴に引きずり起こした。


「てめぇ! 何が置いてきただ! 命令を聞かなかったからだぁ? 何様だお前は!」


 大斗の怒号は空気をビリビリと震撼させ、私はその気迫に震えた。

 かつて武神と謳われたこの私が、素人の拳を避けることすら出来ず、その気迫に気圧され、怯えるなんて……。


 大斗は私の額に自分の額を擦り付けんばかりに近づき、腹の底からまるで怨嗟の様に唸った。


「お前の馬鹿みてぇな修行にリューがついてったのは、お前がリューのだからじゃねぇのか……? リューはお前を信じてたんだ。雪が伝えたかった九門九龍を、姉貴のお前がまた教えてくれるって信じてたから、リューは諦めなかったんだろ? それをお前、自分の道具みてぇに扱いやがって……俺と雪の大事なリューを、お前は何だと思ってやがんだ!」


 全身を虫が這うような、悪寒の様な感覚が爪先から脳天まで駆け上がった。


 そして目の奥から滲み出るように涙が溢れ、嗚咽すら出ないほどに喉がギュッと締まった。


 娘。

 我が子。

 家族。


 それは500年前に感じた温もり。

 鵺と過ごした時代にも感じた温もり。


 それを引き裂かれた怒りと悲しみは筆舌に尽くし難く、それを繰り返させないために私は「復讐」を選んだ。


 だが現実はどうだ?

 私は雪と大斗からリューを奪い、修羅の道へと引きずり込もうとしている。

 これは鬼どもが私にした仕打ちとなんら変わりがないのではないか。


 あの時、殺しを躊躇ったリューの姿と、さくらの姿が重なった。


 そして自覚した。いや、分かっていたんだ。

 他人の子供には強要出来ることが、自分の子供には出来ない。


 7歳の子供に殺せ殺せと迫る自分の姿を思うとそれは無様と憐れそのものの、クズだ。



「わ、私は、私は……っ!」

 ボロボロと涙を零して声にならない嗚咽を漏らす私は、既に自分の体さえ支える事が出来なかった。

 大斗がほんの少し力を緩めただけで私の体はその場に崩れ落ち、出来ることといえば泣くことだけだった。


 かつての武神の姿は見る影もなく、両手で顔を覆って年相応の娘の様に泣く私に、大斗はぽつりと呟いてその場を去った。

「……刃鬼さんの所へ行ってくる。武人会のみんなも探してくれてんだよ……」


 そうか、刃鬼達も動いてくれているのか……。

 それなのに私がこんなところで泣いていてどうする。

 私は涙を拭って立ち上がり、リューを捜索に行こうと足を踏み出したその瞬間だった。


(……この気配!)


 まるで電撃がこめかみを貫き通る様な感覚を覚えた。

 この濃密な存在感は『マヤ』のそれだ。

 だが、平山の気配ではない。

(これは……有栖羅市!?)


 まさに500年ぶりの感覚だった。

 鵺の時代には影すら見せなかったあいつが、蓬莱山に居る……!


(しかも、近くに微かな武力……リューか?!)


 有栖の気配の直ぐ側にリューの気配もあった。


 蓬莱山で何が起きているのかわからないが、私は考えるより先に、蓬莱山へ向かって走り出していた。



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