第115話 過去は語る10  〜一之瀬虎子〜

 なぜ私は三度みたび蘇ったのか。

 なぜ雪によく似た若い娘の姿をしているのか。

 なぜリューの名を知っていたのか。

 ……なぜ、リューはよりにもよってさくらと瓜二つなのか。


 全ては謎だった。


 謎だが、ひとつだけ確かな事があった。

 私が確かにここにいるということだ。



 その手掛かりはきっと、雪の最期の言葉だ。私はリューを託されたのだ。


 私は『雪の遺志』によって、ここに存在しているのだろう。

 根拠はそれだけだが、私はそう確信していた。



 それを知る由もないその女児は、私に向かって全力で駆け寄ってきた。


「おかあさあああん!!」


 顔を涙でぐしゃぐしゃにしながら飛び込んできた彼女は、私にしがみついて声にならない声で叫び、泣いた。


「お前がリューか……」


 私は直感していた。

 この娘から感じる武力には、鵺によく似た伸びやかさと、力強さを感じる。

 雪にも感じたそれは、まさに天稟の気配。


 この子が鵺、そして雪の血縁であることは間違いない。

 いや、この私が間違えるわけがない。


 私はさくら、鵺、そして雪を想いながらリューの頭を撫でた。


 不意に顔をあげると、そこにはやたらと体の大きな熊の様な男が呆然と立ち尽くしていた。


「リューが……喋った……」

 大男は泣いていた。泣きながら、呟いた。

「……雪……?」

 彼は私の顔を見て震えていた。


「違う。私は雪ではない」

 男の様子と状況から彼がリューの父親で、雪の夫であることは推察できるが、すんなりと認めることが出来なかった。


 まるで海賊の様な風貌のその男と、雪の様な可憐な美女とではとても釣り合わない……。

 

 だが、事実は小説より奇なりと言う。

 私はその男と真正面から向き合い、問うた。


「お前がリューの父親か?」

 リューの名を出した途端、男の涙は止まり、その表情は強張った。

「……あんた、誰なんだ?」

「だれ、と言われても答えられない。わからないんだ」

「……は? なんだよそれ……」


 訝しんだ彼は私からリューを引き離そうとするが、リューは激しく抵抗した。

「お父さん! お母さん生きてた! 帰ってきたんだよ!」


 そう言って泣きじゃくるリューに「違う」とは言えなかった。


 リューは、私とゆきを本当に間違えているというわけではないだろう。

 深い深い心の傷が、そのような錯覚を引き起こしている事に違いない。


 ならば、せめて今だけは……。


 すぐに覚めてしまう夢だけれど、せめて今だけは。


 リューの父親は猜疑心を隠そうともしない表情だったが、それでもそれ以上リューを私から引き離そうとはしなかった。


 彼にも思うところがあったのだろう。

 その瞳から溢れる涙がそれを物語る。


 ふたりの様子に雪を失ってからの辛い日々を垣間見て胸が痛み、同時に乱尽おにへの怒りはその密度を増した。


 私は出来るだけ感情を表に出さないようにリューの父親に言った。

「私は雪にリューを託されたんだ。そのために、ここにいる」

「……雪の知り合いなのか?」

「そんなところだ」

「だから墓参りに?」

「そういうわけではないが……?」

 そこでようやく気がついたが、この男も喪服を身に着けていた。 


「一周忌か……?」

 状況から推察した私がそう呟くと、男は怪訝な顔をした。

「あんた、には来てないのか?」

「会場?」

「公民館だよ。法要の会場」

「そうか、他の住民と合同で……やはり一周忌か」

「はぁ? そうじゃないなら、その格好で何しに来たんだよ、あんた」

「……自分でも何故こんな服装なのかわからないんだ」


 リューの父親は毒蛇でも見るような目で私を見ていた。

「……あんた、新手の詐欺師か何かか?」

「馬鹿な事を言うな。しかしお前の気持ちは分からないでもない。包み隠さず全てを話したい。どこか場所はないか?」

「場所? 場所って言っても……ウチぐらいしかねぇな」

「良し。決まりだな。行くぞ」

「ちょ、ちょっと待てよ! なんなんだよアンタ……」



 そうして私はリューの父親の運転する車で彼らの住む家へと向かった。


 その道すがら、仁恵之里の町並みの変化に驚いた。


 私の記憶は雪の誕生の頃で途切れているから、おそらく30年程度の時間が流れているだろう。

 その間にこの町も随分と様変わりし、嘘のように近代化したようだ。


 車も増え、建物も増えた。

 しかし、更地になった土地や壊れたままの建物も散見された。これは恐らくの傷跡だろう。


「……から1年か……」

 私が後部座席で呟くように独りごちると、ややあって運転席から「そうだな」と反応があった。


 と言葉を濁したが、彼は私の意を汲んだようだ。

 あの日とは言わずもがな、あの戦の日。

 雪の命日だ。


 ざわざわと、胸がむかついた。

 泣きつかれて眠ってしまったリューの顔を見つめ、鬼どもへの復讐を改めて誓った。



 一之瀬家は元々私と鵺、そして現が暮らしていた場所にあったが、以前の家屋兼道場を改築して住居とし、道場はとして移設されていた。


 元々の家屋を改築の後に修繕しているようで、あちこちにその真新しい痕跡がある。

 1年前の傷跡は未だ生々しい。


(そうだ、私は無意識にここへ来ていたんだ)

 鵺や雪が命を落としたあの日、私はここへ来た。そして乱尽とまみえたのだ。


「……くっ!」

 込み上げる悔しさと胸のざわつきを抑えつつ、気持ちを落ち着けようと何気なく辺りを見回した。


 ……あの時は気が付かなかったが、隣に見覚えのない家が建っていた。

 とはいえこの家も半壊していて、取り壊しの最中という状態だった。

(はて、昔はここは田んぼだったが?)

 その家が妙に気になり、思わず立ち止まって考え込んでしまった。


「おいあんた、どうしたんだよ」

 家の引き戸を開けたまま、リューの父親がついてこない私を呼んだ。

「いや、なんでもない」


 まぁ、空いている土地に新しい家が建つことに何も不思議は無いだろう。

 私は誘われるまま、彼の案内で家の中へと入った。


 その際、さり気なく表札を確認した。

そこには間違いなく『一之瀬』の文字があった。

(ということは、彼は婿養子か)

 私は目の前の馬鹿でかい背中を見て色々と思うところがあった。

(雪との馴れ初めとか、彼を婿養子に迎える時の鵺の心境とか、気になる……) 

 それはある種の怖いもの見たさだろう。しかし、それを訊くのはまた今度だ。

 今はやらねばならないことがあるのだ。



 深く眠ってしまったリューを布団に寝かせ、私と大斗(車の中で名前だけは訊いておいた)は居間でちゃぶ台を挟み、向かい合った。

「……では約束通り、包み隠さず嘘偽りなく、全てを話そう」


 そして私は今ここに至るまでの経緯を大斗に説明したのだが、私の説明が下手なのか大斗が阿呆なのか、全く信じてもらえなかった。


「……あんた、何が目的なんだよ。雪にそっくりなでさ……やっぱり詐欺か? 残念だけどウチに金目のもんなんてねーぞ」

「何を馬鹿な事を……」


 もとより信じてもらえるとは思っていなかった。かと言って、蓮角の宝才に頼るつもりもなかった。

 これは自らの言葉で説明すべき事だと決めていたのだ。


 私の話を終始難しい顔で訊いていた大斗だったが、不意に表情を崩して寂しそうに笑った。


「……でも、リューがあんたを見てあんなに喋ってさ、笑ってさ、泣いて……雪が死んでからずっと塞ぎ込んで、人形みたいになってたあいつがあんなにも大きな声で……。あのさぁ、あんた、しばらくここに居てくれねぇか? 別に詐欺でもいいからさ」

「だから詐欺ではないと言っているだろう。とはいえ、私の話を信じろというのに無理があることも承知の上だ。しかし……」

「……別に信じてねぇわけじゃねぇよ」


 大斗の意外な言葉に、私の胸がざわつく。

「なに? どういうことだ?」 

「鵺さんから『ご宗家』の話は聞いたことがある。あんたが今話した通りの事を、鵺さんは俺に教えてくれたよ」

「……鵺が?」

「ああ。でも話半分に聞いてたさ。だってありえないだろ? そんなマンガみたいなさぁ……でも、ありえない話なのに、眼の前にホンモノが現れたとなるとなぁ」

「……それは、私の話を信じるということか?」

「それは正直どっちでも良いよ。リューが元気になってくれりゃ、あんたが何者でも構わねぇ。……俺だけじゃ、もう限界なんだわ」


 大斗のちから無い笑みからは、この1年間でどれほど彼が父親として努力し、そして足掻いたかが見て取れた。

 普段は弱音など吐かないであろう彼が見せた顔は、助けを求める者のそれだ。


 或いは、追い詰められて自分を見失っていたのかもしれない。


 結果的に、私はそこにつけ込んだのだ。


「……ならば、先程話をしたように私はここで暮らし、リューに九門九龍を伝える。或いは厳しい修行になるやもしれんが、構わないな?」


 彼が藁にもすがる者だと分かっていながらこんな事を訊く私も大概悪人だ。だが、私には悪に染まってでも討ち取りたい怨敵が居る。なりふり構ってはいられない。


「……わかった。それでいい」

 大斗はまるで私の思い通りに頷いた。


「良し。では、先ずはを決めてくれ」

 私の台詞に大斗は目を丸くした。

「名前って……え、俺が決めんのか?」

「そうだ。これから仁恵之里ここで暮らしていく上で名前は絶対に必要だろう。それに私のこの姿……歳で言えば10代後半の高校生ぐらいか? であれば、私はお前の娘でリューの姉という事にしておいたほうが何かと便利なんじゃないかと思って」

「娘ぇ? 何言ってんだよ、そんな嘘すぐバレるっていうかそもそも無理あるだろ」

「そこは私に策があるから任せておけ。それより名前だ。子の名は親が名付けるものだろう?」

「なんだよこいつ……滅茶苦茶だ……」


 大斗はぶつくさ言いつつ、目を瞑り腕を組んで沈思した。そして……。

虎子とらこってのはどうだ?」

 真剣な表情かおで私にそう問うた。


「……とらこぉ? 虎は動物のトラか?」

「そう。虎の虎子」

「なんで虎なんだ?」

「リューも最初は『龍』って漢字にするつもりだったんだけど『女の子にそれは……』とか言って雪に止められてさ……だから」

「つまり『竜虎相搏りゅうこあいうつ』から取ったと?」

「よくわからんけど、そんな感じ。イメージだよイメージ。龍といえば虎だろ」

「……はぁ」


 この男は見た目通りの単細胞というか、阿呆というか……だが、憎めない男だ。


「虎子か……なかなかどうして、悪くない」



 そうして私は『一之瀬虎子』になったのだった。

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