第114話 過去は語る 9 〜討つべき敵はやはり鬼〜

 これは一体どうしたことだ!?


 仁恵之里が燃えている!


 逃げ惑う人々。

 倒れたまま動かない人々。

 燃え盛る炎の中に見慣れた町並みが赤く揺らぎ、見たことのない建物も同じく焼け落ちていく。


(新しい建物……? 此処はあれから数年間経った仁恵之里か!?)


 またしても現世に舞い戻ったかと思ったが、私に実体は無い。

 まるで幽霊のように物事が俯瞰で見えるのだ。


 炎の中に大小様々な異形の影が浮かび上がる。あれは人ではない。あれは……!

(……鬼の襲撃か!)

 いや、それ以外に何がある。

 人々は鬼の群れから逃げているのだ。


「ぶ、武人会は何をやっている!? 聖鬼は? 鵺は!?」


 その瞬間、視界の端に見覚えのある風貌の男が横たわっているのが飛び込んできた。

「聖鬼!!」


 確かに聖鬼だった。しかし、その姿は既に老人のそれだった。

(これは……あれから数十年経過しているのか……!)


 余程激しい戦闘をくぐり抜けたのだろう。

 私でなければこれが聖鬼だと分からなかっただろう。

 それ程の損傷。それ程の欠損。

 聖鬼は既に事切れていた。


 聖鬼ほどの男が……。

 私は背筋が凍った。


「……すまない、聖鬼……」

 弔ってやりたかった。せめてどこか目立たない場所に移動させてやりたかった。


 しかし、今の私にはどうやっても無理だ。

 だから私はその場を離れ、鵺を探した。


(鵺の中に入ることが出来れば、私もきっと戦える!)


 根拠の無い考えだったが、不可能では無いだろう。

 いずれにせよ試してみる価値はある!


 しかし、状況はそれ以前の問題だった。


 鵺も花栄も、私が駆け付けたときには既に変わり果てた姿となっていた。


「う、うそだ……こんな、こんな事……」

 絶望に視界がぐらついたその時だった。

「ご、ご宗家……?」


 鵺はまだ生きていた。

 しかしその声は弱々しく、彼女の命は今にも消えてしまいそうな蝋燭の炎のようだった。


「鵺! 私がわかるのか!?」

「ご宗家……懐かしい……私、もうこんなにおばあちゃんになってしまいましたよ……」

 うわ言の様に呟く鵺の顔に苦悶の色はない。

 既に痛みを感じることも出来ない状態なのだろう。

「鵺……!」

「ご宗家……ほら、私、こんなにおばあちゃんに……」

「うん、うん……そうだな、あれから何年経ったんだろうなぁ」


 鵺は彼女が自分で言うように、随分と歳を取っていた。真っ黒だった髪は白くなり、張りのあった肌は皺だらけになり、それでも鵺だとわかる美しさはあの頃のまま……そんな私の親友が、今まさに死んでゆく。


「鵺……ぬえぇ……」

 なんでこうなったどうしてこんな事になった。


 怒りと悲しみと寂しさと疑問が津波のように押し寄せ、私をめちゃくちゃにしてしまいそうだ。


「ご宗家……雪を……りゅうを……」


 お願いします。


 それが鵺の最後の言葉だった。



 その直後、背後で家屋が激しく損傷する音がした。

 そして倒壊寸前の家屋からひとりの女が転がりながら吹っ飛んできた。


「……雪か!」


 ひと目でわかった。

 まるで若い頃の鵺だ。

 美しく、優しく、強い女性の顔だ。

 そんな顔が、体が、猛烈な戦闘で傷付いている事がすぐに理解できた。


 彼女は何者かと戦っている。

 数多の戦場を駆けてきた私にはよくわかる。

 彼女の強さも、その相手の強さも手にとるようにわかってしまう。


「雪! 雪ぃ!!」

 私の呼びかけに雪は明らかな反応を示した。

「だ、誰……?」

 ふらふらと立ち上がろうとする雪。 

 しかし力が入らないのか、すぐに膝をついてしまった。

「今行く! 私を受け入れろ!」


 一か八かだ。雪に乗り移り、私も戦う。

 そんなことが可能かどうかは二の次だ。


 鵺の娘なら或いは。


 可能性の根拠はそこにしかないが、やるしかない!


 私はとにかく無我夢中で雪の中に入ろうとした。

 潜り込む様に、滑り込むように、とにかく彼女と同化するべく足掻きに足掻いた。

 そして……。


 じわり。

 私が雪に溶け込むような感覚と、雪の意識が私に流れ込んでくるような感触。

 かつて鵺と共に生きていたときのような一体感……!


(良し! 行ける!!)


 私は雪の体の主導権を握り、持てる力の全てをぶちまけるべく勢いよく立ち上が……れない!


「うわっ!?」

 私は前のめりに倒れ込んでしまった。

(力が入らない!?)

 雪の体は戦闘はもとより、立てる状態ですらなかったのだ。

 もっと言えば、生きているのが不思議な程の重傷だった。


(くそ……くそ!! 畜生!!)


 私のそれは既に怨嗟だった。

 そんなことしか出来ない自分が情けなく、辛かった。


 そんなとき、覚えのある気配を感じた。


 とてつもない力を秘めた気配だ。

 これは、マヤの気配……!


 私は芋虫の様に身を捩らせ、その気配を撒き散らす者を探した。

 そして。



 私の目に飛び込んできたのは、長身痩躯、抜き身の刃の様なの男だった。


 呂綺乱尽だ。



「き、貴様……きさまかあああ!!」


 ありったけの攻撃衝動を込めて叫んだ。

 そんなことしか出来ない自分が本当に悔しい。

 涙が滝のように流れ出た。

 これは雪の涙か?


 いや、私の涙だ。



 私から藍殿を奪い

 さくらを奪い 

 家族を奪い

 仲間を奪い

 鵺を奪い

 その娘である雪まで奪ったのは

 貴様か。


 貴様かああああ!


 しかし、私にはもうどうすることも出来ない。

 雪の命が終わっていくのが手にとるようにわかる。

 視界が徐々に暗くなっていく。

 悠々と歩み寄る乱尽の姿がどんどん見えなくなっていく。



 すまない。

 みんな、本当にすまない。

 こんな時に何も出来ないなんて。


 乱尽がわたしを見下ろし、何かを言っているがもう何も聞こえない。


 だが、雪の声ははっきりと聞こえた。

 雪は最期にこう言い残した。


「リューをお願いします」


 と。



 そして、意識は暗闇に落ちていった。


 しかし、私は目を覚ました。


 終わった、と思った瞬間に目覚めたのだ。

 まるでスイッチが切り替わるように、

 映画のシーンが変わるように、

 私は別の場所にいた。


 そこは戦場ではなかった。

 そこは、墓地だった。


(……ここは、仁恵之里か……?)


 見覚えのある山の稜線。

 嗅ぎなれた空気の匂い。


 それらがやはりここが仁恵之里であると主張する。

 唐突な変化に混乱するが、意識は妙に明瞭だった。

(……黄泉帰ったのか?)


 ふと、視線の先に自分の手足が飛び込んできた。

(体がある……?)

 不思議なことに、肉体からだがあった。

(……、か……)


 またしても死にきれなかったか。 

 黄泉帰るにも限度があるだろう。

 なんとしつこい事よ。


 自嘲気味に笑いながら自分の身なりを確認してみると、どうやら喪服を身に着けているようだった。


 顔を触ってみた。

 肌を撫でてみた。

 若い女子おなごの様だ。


(これは一体、どういうことだ……?)

 何故、体があるのかは分からない。

 しかも、今回はの体だった。


 戸惑う瞳は眼の前の墓石に止まった。

 その墓石には見慣れた文字が刻まれていた。


 一之瀬家代々の墓


 息が詰まった。そして恐る恐る墓石の側面を覗くと、そこには現、鵺、花栄、そして雪の名が刻まれていた。

(……っ!)

 私は膝を付き、込み上げる嗚咽を押し殺した。


 今がいつなのか、わからない。

 しかし、あの戦の後であることは疑いようがなかった。


 思い出すだけで、あの炎で焼かれるように肌がヒリつく。

 鮮明に蘇るあの痛みと熱気は、雪の感じた絶望そのものだ。



「雪……」


 呟き、すぐにハッとした。

 磨かれた墓石に映る自分の顔に息を呑んだ。


 鏡ではないのではっきりとはわからないが、ぼんやりとは分かる。

 そこに映ったわたしの顔は……


「雪……?」

 そう言葉にしてしまうほど、雪にそっくりだったのだ。


 そして次の瞬間だった。


「お母さん!!」


 少し離れた場所から、見知らぬ女児が私をそう呼んだのだ。


 ……見知らぬ女児。

 しかし、その姿は今は亡き愛娘・さくらと瓜二つだった。


「っ!」

 私は息を呑んだ。

 しかし、状況がそれを否定している。

 あり得ない。他人の空似そらにだ。


 そう、他人。……しかし、私はその女児の名を口にしていた。


「……リュー」


 私はどうしてかわからないが、そのの女児の名を知っていた。



 それが、私とリューとの出会いだった。

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