第113話 過去は語る8 〜新時代の君達へ〜
鵺の告白には心底驚いた。
これまで色恋沙汰の欠片もなかった彼女が、頬を赤らめもじもじしているのだ。
「だ、誰だ?」
キャーウソーマジデー! と嬌声を上げたかったがこれでも武神と謳われた私だ。
威厳を保つためにもはやる気持ちをぐっと抑えてもう一度訊いた。
「誰?」
食い気味な私に気圧されつつも、鵺は恥ずかしそうに答えた。
「……
「花栄? あの
鵺は耳まで真っ赤になり、こくんと頷いた。
花栄は有馬流と交流のある弓の名手で、槍術にも秀でた中々の男前だった。
有馬流は剣術だけではなく様々な武術の良いところを取り入れるべく多様な武芸の名手を指南役として招いていたが、そのひとりが花栄だった。
花栄は有馬家に長期間滞在して有馬流の門弟たちに弓や槍を教えていたが、その中に鵺の姿もあった。
その頃、私はあまり表に出ていなかったので気が付かなかったが、鵺は花栄と武術を通じて心まで通じあわせていたのだ。
鵺は当時29歳だった。
武人会の発展と自らの精進に青春の情熱と時間を捧げてきた鵺。
彼女は心のどこかで『武人たるもの色恋は無用』と考えていたようだが、私は武術家だから恋愛禁止などという下らない縛りを課せた記憶はないし、課すつもりもない。
恋愛……大いに結構じゃないか。人間の成長に恋や愛はむしろ重要ですらあろう。
同時に、鵺の貴重な青春を『武』の一筋に捧げさせてしまった事を申し訳なく思った。
私は所詮、鵺の一部に過ぎないというのに……。
花栄なら間違いなく鵺を幸せにしてくれるだろう。
私は(もともと必要ないが)花栄との交際を許し、そして表に出る頻度も減らしていった。それほどに鵺と花栄は逢瀬を重ねていたということだ。
日本は焼け野原からの復活を軌道に乗せ、仁恵之里の和平も着実に前進している。
武人会は私と聖鬼の指導の甲斐もあり活気を取り戻し始めた。
平山の目を盗んで里に現れる鬼を自分達で追い払うことが出来る程度には力を戻しつつある。
2年後、花栄が一之瀬の家に入る形でふたりが結婚した頃には、私の出る幕はもう無いと感じ始めていた。
そしてその時がやってきた。
鵺が花栄との子を授かったのだ。
冬のある日、産院のベッドで産声を上げたばかりの我が子を抱きながら、鵺は言った。
「ご宗家。この子の名前を付けてくださいませんか?」
鵺の抱く赤子の感触は私にも直接伝わってきていた。
なんと可愛いことだろう。
かつてさくらがそうであったように、まさに宝だ。これ以上の宝があるだろうか。
そんな尊い存在に私の様な者が名付け親になっても良いのだろうか。
「是非、ご宗家にお願いしたいんです。私にとって一番の……親友、ですから……」
師匠を友と呼ぶことに無礼を感じているようだが、そんなことは無い。むしろ無上の喜びだ。
私は鵺に親友と呼ばれたことが、心の底から嬉しかった。
「……『雪』という名はどうだろうか」
私は窓の外で深々と降り積もる雪を眺めて言った。
思えばさくらを名付けたときも同じような感覚で名付けたことを思い出し、私のセンスも進歩がないなぁと頭を掻いたが、鵺は気に入ってくれたようだ。
「雪……素敵な名前です」
私はもし、この大役を仰せつかることが出来たのなら、それを最後の仕事にしようと思っていた。
そしてそれは果たされた。
身に余る光栄だった。
「……ご宗家?」
静かに去っていくつもりだったが、鵺にはわかってしまうようだ。
「ご宗家!」
「……鵺、今までありがとう……」
「……」
鵺と私は一心同体だ。だからわかってしまうのだろう。
私がどのような気持ちで、どのような行動を取るのかを。
「……私こそ……ありがとうございました、ご宗家……本当に、本当に、ありがとう……」
人との別れはいつだってさようならだ。
しかし、私と鵺は互いに感謝の言葉を贈り合い、別れを果たした。
こんな晴れやかな気持ちはいつぶりだ。
やり残したことが無いとは言い切れないが、それはきっと後進たちが果たしてくれるだろう。
もはや、私の様な者がしゃしゃり出るのは無粋の極みというものだ。
私は自分を笑う様な心持ちだったが、実に愉快だった。
さぁ、そろそろ私も逝くとするか。
愛する家族の元へ……。
ふっと意識が薄くなり、目の前が白む。
嗚呼、これが死か。
以前のそれとは全くの別物だ。
悪くない。
そして徐々に暗くなる視界に安らぎを感じた、次の瞬間だった。
辺りが炎に包まれたのだ。
突如眼前に広がったのは、燃え盛る業火に焼かれる仁恵之里だった。
「何だ……これは!」
それはまさに戦場……かつて見たあの戦の光景が、現代の仁恵之里で再現されていたのだ。
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