第111話 過去は語る6 〜魔女とお茶会〜
仁恵之里武人会正武人は9人でなれけばならない。
と、武人会会則第一条にある。
時として欠員が出ることはあるだろうが、それにしても、たった3人とは……。
私は聖鬼から彼の知る限りの情報を提供してもらい、自分なりにこの状況を整理した。
まず、正武人の減少には2つの理由があった。
1つは太平洋戦争。
もう1つは平山不死美だった。
太平洋戦争については今更説明する必要もない程に悲惨なものであり、それはこの仁恵之里も例外ではなかった。
お国の為に、愛するものの為にと命を賭した若者や、日本軍の徴発による物資の不足が武人会そのものの運営に悪影響をもたらしていたのだ。
加えて戦後GHQが発布した『武道禁止令』も大きな痛手だった。
結果的にその禁を破って活動をしていたことは確かだが、胸を張って行動が出来たかというとそれは明らかに否だ。
大っぴらに動き回れない中では自然と活動も鈍り、モチベーションも保てない。
敗戦の憂き目を見た人々の士気は段々と下がり、武人会の運営よりも自分たちの日々の生活を優先させる空気が自然と生まれていった。
武人会の活動は戦中はもとより戦後の方が衰退していたのだ。
そして2つ目の要因……平山不死美だ。
平山は戦前から人と鬼について宥和政策を取っていたという。彼女は極力争いを避け、人と鬼との関係について平和的な解決を目指していたというのだ。
そして時代が戦争に突入するとその色を濃くし、人間側に様々な援助を行い、一時的に奉納試合を停止するなど宥和的な態度を一層明確にし始めた。
そして戦後は鬼と人との共存を唱え始め、これまでの諍いを平和的に解決し、完全な和平を目指すと改めて表明した。
つまり『平和になるなら正武人はそんなに必要ないよね』という意識が人々の中に芽生え始めていたのだ。
私はそれを聞いたとき、自らの血の気が引いていくのをはっきりと感じた。
なぜなら、500年前と殆ど同じ状況だったのだ。
細かい違いはあれど、平山主導で和平へ向けて大きな流れが出来ていく様はあの頃の再現だ。
……で、あれば結果も同じになるに違いない。
鬼は裏切る。
嘘を
そして、命を踏みにじる。
私は聖鬼に『騙されてはいけない』と声を荒げたが、聖鬼はそんな私を必死になだめた。
彼にも平山の動きに思うところはあるようだが、それでも平山の考えを尊重すべきだと主張したのだ。
時は戦後間もない混沌の時代。
人々が戦争の痛みを引き摺りながらも前を向き始めた頃だ。
この数年間、全ての人間は散々に戦い散々に傷付き、失い、疲弊し尽くした。
皆、限界の一歩手前……生きるか死ぬかの刃境で、今日を明日へと懸命に繋いでいる。
今は未来を見据えるべき時。
故に、これ以上の争いは避けたい。
避けるべきだ。
それが聖鬼の主張だった。
私はともかく、鵺は
記憶を失っているとはいえ、辛い思いは
少なくとも、彼女の実の両親を奪ったのはあの戦争だ。それは間違いない。
「……藍殿、さくら……」
思わず声に出た。
返事などあるはずもないのに、時折声に出して呼んでしまう。
そして後悔する。
私の大切なものを奪ったのも、根本は
勿論、彼らを直接殺めた乱尽は許せないが、あの戦そのものがもしも起こらなければ、藍殿とさくら、そして私の運命も大きく変わっていたことだろう。
幾度となく思い描いたもしもの世界だ。
私には何が正解かは分からない。
しかし、少なくとも今を生きる者達の幸福に繋がることが、武人会としての正解と言えるだろう。
ある日、武人会本部へ平山が鵺を訪ねてやってきた。
「鵺さんが正武人に御昇進されたと伺いましたので、その御祝いを……」
私は台所へ走り塩を鷲掴みにしてそれをそのまま平山目掛けて全力投球してやろうかと思ったが、そう思った瞬間金縛りにあったように体が動かなくなった。鵺に体の主導権を奪われたのだ。
「お気遣い痛み入ります」
深々と頭を垂れる鵺。それは私の頭でもある。
嗚呼、平山はどんな顔をして私の頭頂部を眺めているのだろうか……。
やはりあの忌々しい魔女を浄めるためにも塩は
(ご宗家! 何を考えているんですか!)
心の中で鵺に叱られてしまった。
(じょ、冗談だよ冗談……)
とりあえず落ち着きを取り戻した私は、鵺に体の主導権を取らせてほしいと願い出た。
鵺は渋ったが、私は平山とどうしても話し合いたい事があったのだ。
勿論、和平についてだ。
平山に事情を説明し、承諾を得た上で私は鵺の厳しい監視のもと、体の主導権を引き渡された。
そして話し合いのための部屋を聖鬼に用意して貰ったのだが、庭が一望できる日当たりの良い、しかも本部でも一番広い部屋を用意してもらうことが出来た。
ここなら万が一取っ組み合いの喧嘩になってしまった際、すぐさま外へ出られるだろうという私の意見と、外でやってもらったほうが部屋を壊されるよりはマシという聖鬼の判断と、外が見える開放感のある部屋なら多少は気も紛れて喧嘩にならずに済むというよりそもそも喧嘩前提で物事を考えるのはやめてくださいという鵺の提案が奇跡的に一致し、この部屋になったのだった。
部屋は洋室で、平山が持参した紅茶がその優雅な雰囲気を一層引き立てた。
「これは嬉しい誤算ですわ」
上品な笑みを湛えるその美貌を眺めていると、何故か思考が鈍る。
そのせいか、薄っすらと湯気をたてる紅茶のカップが、一瞬湯呑に見えた。
そんな馬鹿な。
やはり見間違いだ。私の目の前には紅茶のカップと、それを音も立てずに啜る平山がいる。
(
平山は紅茶を嗜むのが趣味のようだ。
このような場ではいつも紅茶の向こう側に平山は居た。
しかし、今だけはそれに違和感を感じた。
(……っ!)
鈍った思考が雑念をも鈍らせ、
私は雷に打たれた様にある事を思い出したのだ。
「……平山、有栖や留山はどうしている?」
平静を装って言葉を紡いだが、内心は穏やかでは無かった。
何故、今まで彼らの事を忘れていた!?
500年前のキーパーソンとも言える彼ら「マヤの重鎮」の事を、どうして今の今まで意識の外に置いていた??
そんな焦る私を見透かすように、平山は含みのある微笑みとともに答えた。
「羅市さんも留山も、元気ですよ」
そしてその笑顔に少しだけ陰を落とした。
「ですが、おふたりとも多忙で……せっかく姫様がご復活なされたというのに会いに伺えず、残念がっていますのよ」
「……そうか。宜しく伝えておいてくれ」
「はい。承知しましたわ」
今思っても不思議だが、私はそれ以上彼らの事を掘り下げようとしなかった。
まるで何者かに幕でも下ろされたように、この話をそれ以上続ける事が出来なかったのだ。
思い返せば、或いは平山の所為かと訝しまないでもないが、どちらかといえば自発的な行動だったことは否めない。
不思議な感覚だった。
「ところで姫様。わたくしにお話しがあるとの事でしたが」
「……ああ。そうだったな」
そうして、私は平山と和平について議論を交わした。
彼女の論はまさに理想論で、実現すれば素晴らしい事この上ないが、そのためにクリアしていかなければならない課題も多く、その解決は容易ではないという内容だった。
ただ、それら難題も努力次第では乗り越えられると思わせる力強さも感じた。
……理想と現実が実に良いバランスの取れた論であった。
個人的に彼女の論は夢想の域を出ていないと評したいところだが、その考え方はなかなかどうして正鵠を射ていたし、同意できる意見も多々ある。
ただ、それを饒舌に語る平山が妙に鼻についた。
500年前もそうだった。
彼女は夢を語り、愛を説き、友愛を論じた。
だが、その時は決して不愉快な気分にはならなかった記憶があるが……。
(……?)
私は妙な事を考えていた。
平山の髪はこんなに長かったか?
平山の服はこんなに瀟洒だったか?
平山はこんな話し方をしていたか?
思えば、私の記憶は曖昧な部分が多い。
500年という時の流れがそうさせたのかも知れないが、ところどころに歯抜けのような空白があるのだ。
それはまるで何者かが意図的に隠しているような、不自然な空白に思えてならない。
特に平山に関してはそれが顕著だった。
今こうして向かい合っていても、彼女の隣にもうひとり、彼女によく似た別の誰かが居るような気がしてならないのだ。
だが、それを意識した途端、それらが気にならなくなってしまう。
正確には、気が逸れてしまうのだ。
潜在意識に刷り込まれた本能のように、自分の意志とは別の原因で、平山はもとより500年前の記憶そのものから気が逸らされているような……。
私の感じていた思考の鈍りを言葉にすると、そのような感覚だった。
そうこうしているうちに陽は傾き、我々の議論は一応の段落を付けた。
何が進展したわけでも無かったが、忌憚のない意見交換ができたと思う。
現に平山は満足していたようで、上機嫌で去っていった。
平山を連れ帰る例の闇が霧散するまでその姿を見送り終えると、鵺が感嘆のため息をついた。
「平山さんは本当に素晴らしいお方ですね」
鵺の瞳は平山への尊敬と憧憬で潤んでいた。
鵺は平山の説いた平和論に甚く感動したらしい。
私は口元を真一文字に結んで沈黙を守った。
「……」
そうかぁ? なんていう嫌らしい突っ込み等々が開いた口の端からこぼれ落ちぬように必死だったのだ。
それに、若く純粋な鵺の希望に満ちたその顔を私の個人的な感情のせいで曇らせたくはなかった。
かと言って、聖人君子よろしく夢と希望に満ち溢れ、
「言っていることは立派だったがな。なんだか宗教の勧誘を受けたような気分だよ」
私がそう言うと、鵺は珍しく口を尖らせた。
「またそういう事を……ご宗家、前らお聞きしたかったんですが、ご宗家は平山さんに少し冷たくないでしょうか。邪険にしているというか……お二人の間に、何か因縁めいたことでもおありなのですか?」
「因縁? 別にそんな事は無いよ。そんな事は……」
そうだ。私は以前、平山に少なくとも嫌悪感の類を抱いたりはしていなった。
いや、抱いていたか……?
分からない。或いは好意と嫌悪を同時に抱いていたか?
いやいや、そんなことはあるだろうか……。
「……」
一瞬、500年前の情景が脳裏を掠めた。
そこには平山と……平山?
ふたりの平山が肩を並べて歩いている光景がほんの一瞬だけ思い起こされ、すぐさま煙の様に消えた。
「……ご宗家?」
突然押し黙った私を心配して、鵺が不安げな声をかけた。
「如何なさいましたか?」
「いや、なんでもないよ……」
言葉ではそう言いながら、心は揺れていた。
私は恐怖すら感じていたのだ。
何者かが意図的に私の記憶に蓋をしている……そんな感覚は正直怖かった。
しかしその恐怖も、疑問も、すぐに霧散してしまう。意識の外側へと追いやられてしまう。見当もつかない『何か』によって……。
だからその前に、私は自問した。
『私は一体、何を忘れてしまったんだ……?』
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