第107話 過去は語る2 〜一之瀬の娘〜
鵺の所持品は何もなく、着の身着のままと言うような状態だった。
辛うじて『
身体的特徴から推定年齢5歳と目され、以降それがそのまま彼女の年齢となった。
しかし、そんな子供がなぜ仁恵之里に?
戦火を逃れて仁恵之里まで流れ着いたのではないかと推測されたが、彼女には不自然な事が多すぎた。
東京からひとりで、しかも徒歩で仁恵之里まで来たと言うには無理がある。
親とはぐれたにしてもその親の痕跡がどこにもない。せめて何か身元のわかるものを持たせはしないだろうか?
さらに鵺は記憶を失っており、自分がどこの誰かもわからない有様だった。
そんな鵺を気味悪がる者も少なくなかったが、状況から見て戦災孤児には間違いなく、現は身寄りのない鵺を引き取り、家族として迎え入れた。
で、当の私といえば転生とは名ばかりで自分では何ひとつ出来るような状態ではなく、鵺の中にいるもうひとりの人格、という状態だった。
そもそも、何故この子供に転生まがいの状態でいるのかも分からない。
つまりその時の私は実体が無く、しかも何故ここにいるのかも分からず、そして鵺の意識を間借りしているような、なんともいえない宙ぶらりんな存在だったのだ。
意識の一部は私とはいえ、約5歳児である鵺は幼児そのものだったが、かつての愛娘を見る様な心持ちは安らぐものだった。
同時に、それを奪った鬼達への憎悪は密度を増していった。
ただ、幼児とはいえ鵺は抜群に聡明で、そして柔軟な思考の持ち主だった。
7つになる頃には自ら九門九龍を学びたいと現に申し出、彼の弟子となった。
同時に、驚くべきことに鵺は私を意識するようになったのだ。
潜在意識の一部に過ぎなかった私を個別の人格と認め、まるで同居人の様に接したのだ。
「お父様の事はお師匠様。あなたの事は『ご宗家』とお呼びしますね」
と、7つの子供が言うのだからまさに脱帽だった。
そうして私達は時には姉妹、時には師弟。そして時には親子の様な二人三脚の生活を送った。
現は九門九龍の伝承者ではあったものの、当時の九門九龍は殆ど失伝状態にあり、私が編み上げたその術理の一部を伝えているに過ぎなかった。
私は歯痒かった。
武人会は活動を続けていたが、まともな戦力と言えるのは有馬流と護法家護符術だけという体たらく。
弱体化が顕著だったが、それには理由があった。
鬼の被害が私が思うより少なかったのだ。
それが何故かと訊けば、鬼側が人間側に配慮し、鬼の世界から悪さをしに里に降りてくる輩を出来得る限り排除しているのだと現は言う。
つまり、武人会を含めて仁恵之里が鬼と戦う必要性を失いつつあったのだ。
鬼が人間に配慮?
眉唾もいいところだ。
……が、真偽は別として被害は減っているのもまた事実だった。
私は訝しんだ。
(何が起きている……?)
私の情報源は鵺に入ってくる情報のみ。
まだ幼い鵺が武人会の中枢にあるような情報に接するのは困難だ。
だが、方法がないわけではない。
鵺が正武人になってしまえばいいのだ。
私は現の九門九龍に並行して『私の九門九龍』を鵺に伝授することにした。
前述の通り現の九門九龍は術理に重きを置き、実践的では全く無かった。
それよりも彼は武術を通しての人間教育を標榜しており、彼自体が平和主義者だった。
私はそれを軟弱と感じなくもなかったが、折しも敗戦間もない混沌の時代。
後になって知ったことだが、彼は一人息子を戦争に取られ、その息子も南洋でお国の為に散ったのだという。
彼は自身の悲しい経験から平和を求め、同じ思いをする人間をこれ以上増やしたくない一心で、自分なりの武を貫こうと考えていたのだ。
私は彼を軟弱に思った自分を恥じた。
彼もまた、堂々の武術家であったのだ。
話を戻すが、戦争も武人会弱体化の原因のひとつだった。
戦火を逃れていたとはいえ、こんな田舎にも赤紙はしっかりと届いたのだ。
若者は減り、土地は荒れ、鬼も減った。
戦後の武人会は本来の目的を逸れ、里の再生に重心を移しつつある。
それは決して間違いではない。しかし、それではいけない。鬼の脅威がなくなったわけではないのだ。
このままでは、またあの時のような事があれば、今度こそ……。
そんな折、現が死去した。
鵺、16歳の初夏だった。
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