第105話 転生する宝才
虎子が刃鬼に事情を説明すると、刃鬼は快く部屋を用意した。
「朝まで使っていいそうだ」
部屋は8畳ほどの客間だった。
「朝まで?」
アキは「そんなにかかるのか?」と言いそうになったが、その言葉は飲み込んだ。
虎子は部屋に置いてあったテーブルを隅に寄せ、部屋の中央に広いスペースを作った。
「平山、時間をとらせて済まないな」
虎子が申し訳無さそうに言うと、不死美は小さく首を横に振った。
「わたくしは大丈夫です。もともと今回の一件について有馬会長とお話があったのでこちらに伺ったのですから……」
そして部屋の中央に設けられたスペースに虎子は座布団を3枚、向かい合うように敷いた。
「……それではまず、私の事から話すが」
姿勢を正し、真剣な顔で虎子が言う。
アキは固唾をのんで次の言葉を待った。
「私は、一之瀬虎子では無いんだ」
虎子の告白は突拍子のないものだった。
「……は?」
「もっと言えば人間ですらない。生命体ですらない。或いは幽霊の様な存在とも言える」
「……はぁ?」
「私は『仁恵之里の武』という概念に過ぎないんだよ」
「いやいや、ちょっとさぁ……ふざけてんのか? 虎子……」
真面目に訊こうとして損した……と、アキが姿勢を崩したその時だった。
「アキ、見ろ」
虎子が自分の右腕に視線を移した。
そこに右腕は無かった。
「っ!!」
慄くアキ。しかし、虎子は平然としていた。
「……夏は特に駄目なんだ。蓬莱山がそうであるように、仁恵之里全体の気が乱れやすい。そうなると、私は自分の体を維持し辛くなるんだ」
目の前の虎子の異常。アキはパニック寸前だったが、不死美は全く動じていない。
むしろ、それを冷静に受け止めているようだった。
「ふ、不死美さん! 虎子の腕、やっぱり怪我だったんですよ! 早く誰か呼んでこないと!」
アキは立ち上がるが、不死美はそんなアキを哀しげな瞳で見つめるだけで動くことはなかった。
「……国友さん。落ち着いてくださいまし。虎子さんの仰っていることは、事実です」
その有無を言わせない深く静かな眼光が、アキを貫く。
「虎子さんは精神体に近い存在です。それがなぜ実態を結んでいるのかはわたくしでも分かりませんが、おそらく虎子さんご自身の武力の強さに依るところが大きいのだと思われます」
「まぁ、それだけ私が『凄い奴』ってことだな。はっはっは」
愉快そうに虎子は笑った。
この状況を受け入れるか受け入れないかはもう問題ではないような気がしていたアキ。
「……笑ってる場合かよ」
座布団に腰を降ろし、全てを成り行きに任せようと決めた。
もうじたばたしても仕方がない。腹を括ろう……そんな心持ちだった。
虎子は消えてしまった右腕の根元を摩りながら言った。
「この体を維持するには武力が必要なんだが、年々その維持が難しくなっている。以前は普通の人間と同じような生活ができていたが、数年前からは日中しか持たなくなってきた。だから夜間は意図的に姿を消して『充電』の様に武力を蓄えてきたが、すぐにそれでも足りなくなった。1年半ほど前からは平日は全て『充電』に充てて土日だけ実体として生活するという有様になってしまった。だから私が平日は遠方で仕事をしているだの何だのは、全て嘘なんだ。そこまでしてもまともに動かんとは、まるで壊れかけの電化製品だな。ははは……」
「そんなこと言うなよ!」
アキは思わず声を荒げてしまった。
虎子の口ぶりが悲しくて、悔しくて、思わず大きな声を出してしまったのだ。
「ご、ごめん……」
アキは頭を下げたが、虎子はそれを優しい微笑で受け止めていた。
「……なんでそんなことになっちまったんだよ、
それでも最後まで話を聞こうと決心したアキの様子に、虎子も心を決めていた。
「……そもそもの始まりはおそよ500年ほど前、私がこの地を治めていた領主の娘に転生した事からすべてが始まったんだ」
「え、ここに来て転生モノかよ」
「狙ったつもりはないが、私も気が付いたら転生していた感じでな。それも転生というより、死んでしまったその娘の命を私が引き継いだという形だ。そして、その瞬間から仁恵之里の歴史は始まっていると言っても過言ではない。それほどに決定的な出来事だったんだ。我ながらにな」
「……転生は百歩譲っていいとして、それならお前はもう500年生きてるってことか?」
「いや、生きている期間は今を入れて数十年年程だ。500年生きてるのはそっちの魔女だよ。いや、500年どころではないか……」
すると不死美は珍しく不愉快そうな視線を虎子に投げた。
「わたくしの事はいいのです。それよりも虎子さんのお話に戻しますが……」
と、強引に話題を引き戻した。
「虎子さんは過去に3度転生をなさっています。1度目はおよそ500年前。2度目は80年ほど前。そして3度目は11年前です。それぞれ姿形は違えど、九門九龍の始祖として仁恵之里の発展にご尽力なさっていることは変わりありません。特に一番最初の転生時は戦死された領主のご令嬢としてご活躍され、人望も厚かったのをよく覚えております」
「……だから不死美さんは虎子の事を『姫様』なんて呼んでるんですね」
「当時、虎子さんは『龍姫』と呼ばれておりました。しかし、虎子さんはその呼び名で呼ばれるのがあまりお好きではないようで……」
「そうなのか? 虎子」
アキが虎子に視線を移すと、虎子はどこか哀しげな瞳で答えた。
「嫌というわけではないよ。ただ、その名で呼ばれると藍殿を思い出してしまってな……」
「……ん、どういうこと? 藍之助さんってお前の高校生の頃の恋人とかじゃないのか?」
「え? 違う違う。藍殿は私の夫だよ。1回目の転生の時のな」
一瞬、場に沈黙が訪れた。
「……おっと? 旦那さん? お、お前、結婚してんのか?」
「うん。子供もいるぞ。娘がひとり」
え?
「ええええ? マジか?? でも、藍之助さんって裏さんや不死美さんと同じ『
「そうだよ。マヤだよ。だから何か? それを言うなら私だって幽霊みたいなものだったんだし、似た者同士だろ。そんなに驚くことか?」
「いや、驚くだろ普通。いきなり1児の母とかいわれたらさ」
驚くアキをよそに、虎子は自嘲気味に笑った。
「正確には未亡人さ。旦那も子供も、いたというのが正しいな……」
その響きには言い知れない悲しさがあった。
「……ふたりとも
虎子の乾いた笑いは物悲しく、不死美はそれを表情が窺えないほど俯いて聞いていた。
「……2度も3度も仇の顔を見るってどういう意味だよ」
アキが問うと、虎子は少しだけ深呼吸をした。それは昂ぶる気持ちを抑えているようにも見えた。
「私達を殺したのは、呂綺乱尽なんだよ」
「呂綺……って」
「魔琴の父親だ」
言葉を失うアキ。そこへ不死美が一歩前へ出るようにして虎子の話を引き継いだ。
「国友さん。同胞を擁護するわけではありませんが、乱尽さんにも事情があったのです。姫様のご心中は察するにあまりありますが、乱尽さんはあの日の事を悔いておられます。彼を許す許さないは別として、どうか魔琴を色眼鏡で見ることのないようにお願い申し上げます」
不死美はアキに深く頭を垂れた。
それはつまり魔琴を『人殺しの娘』という目で見ないで欲しいと言うことだろう。
「や、やめてください不死美さん! 俺は別にそんなふうに魔琴を見たりはしませんよ。第一、俺なんかより虎子の方が……」
虎子は感情を圧し殺す様に唇を真一文字に結び、まるで暗くて深い海の底を覗き込むような目をしていた。
「……私は乱尽を許さない。私の大切な者たちの幸福を踏みにじってきたあの男は、私が必ず殺す。どんな犠牲を払おうと、必ず殺す」
「……っ!」
アキの背筋が凍った。
かつてここまではっきりとした殺意を感じた事があっただろうか。
東京の地下で数多の
不死美もその殺気に反応したか、いつでも動き出せるように態勢を整えている。
だが、虎子は自らその殺意を鞘に収めた。
張り詰めた空気が徐々に弾力を取り戻していく。
「……そう思っていた。何年も、何十年も、何百年も……しかし、それではいけないんだ。それでは和平など夢のまた夢……私怨に囚われて若者たちの未来を暗いものにしてはいけない……それに気がつくのが、遅すぎたんだ」
虎子の瞳から何かが落ちた。
涙だった。
「私のせいで、リューの人生に『復讐』などという下らないものを組み込んでしまった。私のせいで、リューは迷い、苦しみ、後悔に苛まれる一生を送るかもしれない」
虎子の瞳からはポロポロと涙の雫が零れ落ちていくが、彼女はそれを拭おうとはしなかった。
「アキ、リューを救ってくれ」
突然名指しされてアキは戸惑うが、虎子は続けた。
「リューを救えるのはお前だけだ。お前になら、きっとリューを救える。私ではない。お前なんだ。アキ……」
虎子は左手を胸の前まで持ち上げ、指を鳴らす準備をした。
「宝才は
「まさか、それで『お前の過去を見せる』のか? でも、俺には効かないんだろう? その『宝才』ってやつは。藍之助さんみたいに……」
「確かにな。藍殿はとある理由で宝才を失う代償として識も宝才も無効化してしまう能力を得た。だが、お前は違う。お前にはその理由がない。それに、平山の話ではその能力は今の所、不完全だそうじゃないか。ならば、私の全力で臨めば……そして、平山の助力があれば……なぁ、平山」
すると不死美は
「それでも国友さんにお伝えできるのは2度目の転生からでしょう。それ以上深く潜ると、姫様が危険です」
宙に描かれた魔法陣が眩く輝いた。
それを合図に、虎子の指に力が込められる。
「それで十分だ。……アキ、これが私の真実だ。目を逸らすことなく、最後まで見てくれよ……」
「虎子……」
アキにもわかるほどのエネルギーの奔流だった。虎子の武力と不死美の魔力が渦を巻くようだ。
そして不死美がその薄桃色の唇を微かに動かし、詠唱する。
「『必中・眠れる獅子』……!」
瞬間、アキの体が宙に浮いたよう軽くなった。地に足がついていないような感覚に焦るが、間髪入れずに虎子の『宝才』がアキに放たれた。
『バチィッッ!』
凄まじい破裂音と共に流れ込んで来る虎子の『記憶』。
極彩色の記憶の海に放り出されたアキはその海の底を目指し、沈んでいく。
(これが……虎子の……)
深淵に沈んでいく意識の表面で、虎子の声がした。
「アキ。私が消えてしまったら、リューを守れるのはお前しかいない。リューを頼むぞ、アキ……」
虎子が、消えてしまう……?
アキはその意味を考える間もなく、意識と記憶の底へと沈んでいった。
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