第104話 知ってはいけない

 アキはシャワーを浴び、武人会が用意した服に着替えて虎子を探していた。

 どうしても虎子に会って確かめたいことがあったのだ。


「お疲れ、アキ」 

 すると背後から虎子の声がアキの背中を叩いた。

「虎子……」


 彼女もアキと同じ服を着ていた。

 長い髪がしっとりとしているので、シャワーを浴びてそれほど時間が経っていないのだろう。


「一時はどうなるかと思ったが、みんな無事で結果オーライだったなぁ」

 虎子はいつもの様子で笑った。


「あ、ああ。そうだな……」 

「リューの怪我も大したことはないそうだ。肋骨のひびもあの程度なら半日で元通りになるだろう」

「半日で?」 

「リューは武力を練る稽古を真面目にこなしているからな。あの程度の怪我なんてかすり傷だよ。今回リューが一番ダメージを喰ったのは有栖の酒だな。アレは効くんだよ……」


 大事には至らなかった事によほど安堵しているのか、虎子はどこか上機嫌だった。


「アキ、なんか飲むか?」

 虎子は近くにあった休憩用のソファを指さした。側には自販機が設置されていた。

「え? ああ、うん」

「遠慮は無用だぞ。武人会の自販機は全部タダなんだよ。刃鬼って太っ腹だよな〜」


 虎子は自販機のボタンを2度押して、缶コーヒーを2本取り出した。

「ほら、飲めよ」

「あ、ありがとう……」

 そして向かい合ってソファに腰を埋めるふたり。


「それにしても疲れたなぁ。腹も減ったし。こんな夜はラーメンでも食いたくなるな。マシマシのマシマシでな」 

 虎子は笑っているが、アキはそんな気分とは程遠かった。

「……」  

「なぁんだよアキ。さっきから元気ないなぁ。そんなに疲れたのか? 若いのに、体力ないぞ?」

「いや、あのさ、虎子……」 

「ん、なんだよ急にしおらしく。恋の相談か?」

「違うよ。あのさ」

「勿体つけるなよ。聞きたいことがあるなら、この虎子お姉さんになんでも言ってみ?」

「……腕、大丈夫なのか?」



 虎子の笑顔が凍りつく。

 空気まで硬直してしまったのか、その急変にアキは息が詰まる思いだった。


「ひ、左腕……さっき無かっただろ? 今はあるけど……」

「アキ!」

 虎子は突然声を上げ、アキの眼前で指を鳴らした。山でそうしたように、彼女の指でパチッと乾いた音が鳴る。


「……やめろよ、虎子」

「っ!!」

「みんなはどうしてか知らないけど『それ』で忘れちゃったみたいだけど、俺は違うらしいんだよ……」

「アキ! よく見ろ! よく聴け!」


 虎子は2度、3度と指を鳴らすが、アキにはなんの変化も無かった。


「そ、そんな筈は……!」

 さらに指を鳴らそうとする虎子に、アキはもう我慢しなかった。

「やめろよ!!」

 アキは怒鳴り、目の前で揺らめく虎子の右手を握りしめた。

「もうやめてくれ……」

「アキ……」

「前にも一度あっただろ。桃井さんがウチに泊まるか泊まらないかで揉めたとき。その前にも、俺が桃井さんと初めて会ったとき……変だと思ったんだよ。桃井さんがまるで記憶を変えられたみたいになっちゃって……アレ、お前の仕業だったんだな、虎子」

「……」


 虎子は観念したように脱力し、ソファに崩れ落ちるように腰を下ろした。


「……アキ、お前は何者なんだ?」

「は? なんだよいきなり」

「リューから聞いたぞ。有栖相手に九門九龍を使ったらしいな」

「俺もほとんど覚えてねーよ。なんか体が勝手に動いてた感じだよ」

「……突然実力を遥かに超える力を発揮したり、識を無効化したり……私の『これ』すら通じないなんてな」

 虎子は自嘲気味に微笑んで指を鳴らす仕草をした。


「しかも、見てくれまで瓜二つときたものだ……」

 それは微かな呟きだったが、アキは聞き逃さなかった。

「……それって、蓮角藍之助さんと……だよな?」


 虎子の指がピタリと止まった。

 そしてそれはすぐに震え出し、声も震えた。


「な、なぜ、お前が、藍殿あいどのの事を……?」

 虎子の唇は見ている方が怖くなるほど震え、その顔はとても一之瀬虎子だとは思えないほど弱々しい、まるで心細さに震える迷子の少女のようだった。


「……裏さんに聞いたんだよ。この前の武人会議のとき、裏さんとたまたまふたりで話す機会があって……その時、あの人の使ってた『宝才』って技の効果を俺が消したっぽくて。その時、藍之助さんの事を少しだけ話してくれたんだよ。でも、裏さんは『藍之助さんの事を思い出すとつらいだろうから、虎子にはこの事を話すな」って言われてて……だから裏さんは悪くないっていうか、なんていうか……」


 アキがそう言うと、虎子は額を押さえて天を仰いだ。

「なんてことだ……あのおしゃべりクソヒゲめ……」


 虎子は未だショックの最中にあったが、努めて平静を装おうとしていることがありありと伝わってきて、アキはそれが妙に切なく感じた。


「虎子……お前はいったい何なんだ? それに、俺も何なんだよ……」

「……アキ、お前については正直なところ、わからない。しかし、私自身については話ができる。お前には、いつか全てを話さなければならないと思っていたんだ」

 そして立ち上がり、しっかりとした声色で言った。

「お前には話そう。私の、真実を……」


 そこへ何者かがゆっくりと近づいてきた。

 廊下の先、暗がりの中からさらに真っ黒いものが近づいてくる。

 虎子はその気配に敏感だった。

「……平山」

 そう、その気配は平山不死美だった。


 突然現れた不死美に面くらうアキ。 

「ど、どうして不死美さんが?」

 不死美はその質問には答えず、ただ虎子の方をじっと見ていた。


「……今しがた、蓮角の宝才をお使いになりましたね? 姫様」


 違和感しか感じない台詞だった。 

(蓮角の宝才? 姫様?)


 アキは戸惑うばかりだが、そんなアキに構うことなく、虎子は不死美の問いに頷いた。

「ああ。しかしアキには通じなかった……平山、留山から何か聞いてないか?」

 すると不死美は少し俯いて、

「国友さんには藍之助様と同様の能力の片鱗があるとだけ……」

 と答えた。


「そうか……平山。協力してほしい」

 虎子の申し出に、不死美は珍しく驚いた様子を見せた。

「……一体、何をなさるおつもりですか?」

「アキに私の過去を『見せる』」


不死美は一寸息を詰まらせるように言葉を止めたが、すぐに真剣な顔で虎子に問うた。


「……よろしいのですか?」 

「いつかはこういうときが来ると思っていた。遅いか早いかの違いさ」

 そう言って微笑む虎子は、アキの知る虎子の顔だった。


 そして虎子と不死美は並んでアキの目の前に立った。

「な、なんだよ……」

 ふたりの気迫に気圧されるアキ。

 虎子はそんな武人の眼差しのまま、アキに言った。


「アキ、お前には知っておいてほしいんだ。私と、リューの過去を……」


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