第101話 大人たちの葛藤

 突然の一撃に皆が戦慄する。


 それも束の間、即座に虎子が羅市を突き飛ばし、その頬をお返しとばかりに張り返した!


 バチィッッ!!

 

「貴様に何がわかる!!」

 虎子の怒声は空気をビリビリと振動させるほどだった。


 反撃の一撃は見事に羅市を捉えたが、それで倒れる羅市ではない。

 虎子の怒号の残響が消えきらないうちに、羅市は虎子の胸ぐらをもう一度鷲掴みにして乱暴に引き寄せた。 


「わかるわからねぇじゃねえよ! お前さんはリューをどうしたいんだ?」

「……っ」

 羅市の問いに息を詰まらせる虎子。

 彼女は無抵抗のまま、その質問に答えない。

 ただ、神妙な顔で羅市を見つめていた。 


「お前さんはそんなだが、リューはブレてねェぞ。それがどういうことかわかってんのか?」

「……」

「虎子。お前さん、あとどのくらいもつんだよ……」

「……」

「……ちっ!」


 羅市は大袈裟なほどに舌打ちをし、虎子を突き放した。

「しらけた! 帰るぞ魔琴!!」

 くるりと背を向けた羅市の足元に闇が渦巻く。マヤが時空を超える前兆だ。


「え? ちょ、姉さん??」

「やめだやめだ! やってらんねぇよ!」

「姉さん? 急にどうしたの?」

「……友達ダチのあんな弱った姿なんて、見たくねぇんだよ……」

「……姉さん」

 羅市のその声は小さすぎて、魔琴にしか聞こえなかっただろう。


「羅市さん!」

 突如、羅市を呼び止める声が響いた。

 声の主は、なんとリューだった。

 リューはアキに抱きとめられながらも震える脚を踏ん張り、羅市の方を見据えていた。


 羅市は振り返り、リューを見た。

 その顔は先程までのほろ酔いで陽気な羅市の顔ではなく、何かに思い悩みながらも前進を余儀なくされる『大人の顔』だった。


「……なんだい?」

「私は、諦めません! 絶対に、絶対に……!」

「……そうかい」


 羅市は再び振り返り、リューに背を向けたまま、言った。

「だったら最後まで、キッチリやれよ」

 そして、思い出したように付け加えた。


「……肩の傷だが深くまで噛んでねぇから、お前さんならすぐによくなるよ。心配なら絆創膏でも貼っときな」

 どこかぶっきらぼうに言う羅市。リューは素直に頭を下げた。

「はい……ありがとうございます」

「……ふん。調子狂うぜ」

 そう言い残して、羅市は闇とともに去った。


「あ! ねぇさ〜ん! なんで帰っちゃうのよ〜! ふーちゃんがまだ見つかってないじゃん!」

 魔琴が肩をすくめていると、突然フーチがひらりと舞い降りた。


「お呼びですか? お嬢様」

「わ! びっくりした! 脅かさないでよふーちゃん。今までどこに行って……」

 言いかけた魔琴の言葉が止まった。

 魔琴の視線は切り裂かれまくったフーチのスーツに釘付けになっていた。


「ど、どうしたのこれ??」

「お恥ずかしながら、有馬春鬼様と交戦の折、手痛く斬りつけられまして……」

「有馬春鬼?」


 するとアキ達の背後の林から、血まみれの春鬼が現れた。

「くっそ! 斬っても斬ってもくたばらねぇなんてフツーにズルだろ!」

 それを聞いたフーチはフッ、とクールな笑みをひとつ。

「あなた様と私の実力差を鑑みれば、この程度のハンディキャップは有ってしかるべきかと……」

「こんなのはハンデとは言わねーよ! ノーダメージならわざわざ血ィなんて出すなよ! 気持ちわりぃ!!」


 そんな血まみれの春鬼を見て澄が悲鳴を上げた。

「ぎゃー!! 大丈夫なの春鬼!!」

「いちいち騒ぐなドチビ! これはあの変態紳士の返り血だよ! この俺がこんな大出血するくらいヤラれるわけねーだろ!」

「……春鬼? キャラ違くない?」


 するとヤイコが澄に耳打ちした。

「春鬼くん、今後は二重人格キャラで行くらしいわ。昼は優等生、夜はマイルドヤンキー的な?」

「うわ、マジ? やめなよ春鬼。それ二重人格キャラっていうか、中二病キャラだよ」

「うるせぇなあお前ら! だれが中二病だ!!」



 もう何が何だが……さっきまでの緊張感はどこへやら。

 だが決定的な危機は去ったことに違いない。

 アキは安堵するが、もうひとつの大きな危機を思い出した。


「そうだ虎子! 腕! 左腕大丈夫なのかよ!」

 すると虎子はうむ、と唸った。

「この感じだともうすぐ……あ、戻った」

 というと同時に虎子の左腕が『出現した』。

 無かった腕が、元通りになってしまったのだ。


「ええええ????」


 一同愕然とするが、虎子は笑っていた。

「よし! これで元通りだ。さあ山を降りよう! リューを医者に見せないとな」

 そしてずんずんと歩き始めるが、それをヤイコが止めた。


「ちょっと待ちなさい虎子!」

「なんだよヤイコ。そんな怖い顔して」

「……説明してもらえないかしら」

「説明?」

「誤魔化さないで!」


 そこへ霧島が援護射撃に入る。

「そうですよ虎子さん。さっきは脚が消えたじゃないですか。それなのに脚が元通りになったり腕が消えたり……ちゃんと説明してくれるって言いましたよね?」

「あー、まあ。うーむ」


 煮えきらない態度の虎子。

 すると春鬼が突然その輪から抜けた。

「……俺、その辺の沢で返り血流してくるわ」

 と言い残してその場を去ろうとするが、澄がそれを止めた。

「ちょっと春鬼? 虎ちゃんの事はいいの?」

「ああ。俺、知ってるから」

 そして彼は一旦姿を消した。


「知ってるって……」

 全員の視線が虎子に集中した。

「納得の行く説明が必要よ、虎子」と、ヤイコ。

「……わかった、わかったよ。話す。話すから」

 観念したように天を仰ぐ虎子。

「お姉ちゃん……」

「大丈夫だよ、リュー」

 心配そうなリューに笑顔を見せ、虎子は一歩前へ出た。


「全て話すよ。話すが、その前にみんなに見てほしいものがあるんだ。魔琴もフーチも、こっちに来てくれ」

「え? ボクも?」 

「私もですか?」 

「ああ。皆に見てほしいんだ」


 ざわざわ……全員の視線が虎子に集中した。

「実はな、コレなんだが……」

 虎子はゆっくりと右手を胸の高さ、やや前方に差し出し、親指と中指を合わせて力を込めた。 

「よく見てくれよ……」

 そして。


 パッチィッッッ!!!


 鋭く短い音だった。 

 虎子が指を鳴らしたのだ。


 ……一寸の沈黙が流れた。


「で、何の話だったかな?」

 虎子がみんなに質問するように言うと、全員が顔を見合わせた。

「……何だっけ?」

 澄が首を傾げた。


「ヤイコ。私の腕が何か?」

 虎子がそう訊くと、ヤイコは視線を中に漂わせた。

「腕? うで……何だったかしら」

 虎子は今度は霧島を見た。

「霧島。私の脚がどうかしたか?」

「ど、どうと言われても……素敵なおみあしだとしか」

「そりゃどうも。はっはっは!」


 全員が全員どこかぼんやりしていると、茂みの中からずぶ濡れの春鬼が現れた。

「……足を滑らせて沢に落ちてしまった」

 突然現れて春鬼らしくないことを言うので全員が思わず吹き出してしまった。

 特に澄は腹を抱えて笑った。

「ぎゃはは! 何やってんのよ春鬼! ちょ、誰かスマホ! これはバズるわ〜!!」

「よせ澄。トゥイッターだけはやめてくれ」


 もはや先刻までの死闘も緊張もなかったことのような和やかな空気になってしまった。


 春鬼はさり気なく虎子の側まで行くと、小声で問うた。

「終わったか?」

 虎子は頷き、今度は春鬼に問う。

は引っ込んだか?」

「ああ。いつまで寝てるだとか、呼んだらすぐに出てこいなどと散々文句を言われたよ」

「ははは、一発殴って黙らせてやれ」

「俺が痛いだけだ」


 虎子は可笑しそうに笑いながら一歩前へ出て、顔を上げ声を張った。

「……さぁ、帰ろうか!」


 見計らった様な虎子の号令に従うように皆が帰り支度を始める中、アキにおぶられたリューが魔琴を呼んだ。


「……魔琴」

「な、なに?」

 突然声をかけられて驚いたような声の魔琴。彼女もぼんやりとしていた様子だった。

「さっきはありがとうございました……魔琴が来てくれなければ、きっと澄と羅市さんが戦っていた……」

「い、いいんだよそんなこと。それより、怪我は大丈夫? 姉さんも悪気があったわけじゃないんだよ。ああいう性格だからさぁ」

「はい。羅市さんは悪くないですよ。優しいです。帰り際、私のことを心配しくれましましたし……だから、魔琴も……」

「うん、わかってるよ。ボクも今回のこと、あれこれ言うつもり無いし。とにかくリューはちゃんとお医者さんに診てもらって、早く怪我を治してね」  

「はい。ありがとうございます。そちらの執事さんも、ご迷惑をおかけしました」

「え? い、いえ。私は特に何も……」

「それでは……」


 リューが頭を下げると、アキがそのままの姿勢で振り向いた。

「じゃあな魔琴。またな」

「うん、アキくんも、リューも、気をつけてね」


 そうしてアキ達は山を降り、残された魔琴とフーチはどこか呆然とした心持ちだった。

 それはふたりとも、同じことを考えているからだった。


「……ねぇふーちゃん。ボクたち、なにかされたよね?」

 魔琴は虎子の背中を見つめながら言った。

「はい。精神……いえ、記憶や認識に干渉する類のものかと」

 フーチも虎子の背中を見つめていた。

「あれってさ、『アレ』だよね」

「左様でございますね。この感覚は間違いないかと。『アレ』で、どのようなことをされたのか、今となっては知る由もありませんが……」

「ま、忘れちゃったものはしょうがないんだけどさ。そんなことより……」


 魔琴は顎に指を添え、小首を傾げた。


「なんで虎子さんがをつかえるの?」



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