第100話 九門九龍に問う

「護法家護符術・籠目守りぃぃ!!!」


 闇夜の森に澄の声が木霊こだまする。


 それを聞いて羅市は内心ホッとし、リューは胸が締め付けられるような心持ちだった。

 勿論、嬉しさでだ。


 澄が来てくれた。

 それだけで、どんなに心強いか。

 同時に自分の浅はかな行動を、リューは恥じた。


 弾丸の如く夜の森を飛翔するアキは突如として雪崩れ込んで来た無数の護符に受け止められ、もみくちゃにされながらもとりあえずその辺りの木か岩に激突して玉砕することは回避。


「うわああっ! だああっ?!」

 などと、絶叫しながら元いた場所まで護符の波に流された。


「ぶぎゃっ!!」

 最終的に護符の海から追い出されるように地面に放り出されたアキは結局地面に激突したものの、大した怪我もなく無事生還。


 そのアキを守るように羅市の前に立ちはだかったのは、澄だった。

「……有栖、羅市……!」


 澄が両手に出現せるだけ出した護符を構えて羅市と対峙した。

 その様子に羅市はふふっとどこか嬉しそうに笑う。


「よォ澄ぃ。久しぶりだな。あたしの事、覚えてるよな?」

「一度しか会ったことないし、なんとなくね。それにあのとき、まだ小さかったから」

「今も小せぇじゃねぇか」

「余計なお世話だよ」

「へへ、こりゃ失礼」


 澄は緊張していた。

 リューはそんな澄を見るのは初めてだった。


 澄は識匠しきじょうの中でもトップクラスの実力者だ。しかも近年稀に見る天才だと称する者もいる。

 だが、それに見合う経験が無い。故に師匠である澄の父は澄の護符術に制限をかけているのだという。

 そんな澄ですら激しい緊張を強いられる有栖羅市の実力がいかほどなのか……。


「有栖さん」 

 澄が護符を構えながら言う。

「羅市でいいぜ」 

 羅市はリラックスした笑顔でそれに応える。

「じゃあ、羅市さん。今日は退いてくんないかな」

 澄の提案は戦闘の回避だっだ。


「いやぁ、それは無理だよ。こちとらもう出来上がっちゃってるからさぁ」

「そこをなんとか。だってウチらが戦う理由なくない? あたし達はリューを探しに来ただけなんだし」

 澄は朦朧とするリューにちらりと視線を移し、眉間に僅かだが確かな怒りを表す皺を寄せた。


「……リューをボコったのはこの際水に流すからさぁ、退いてよ」

「先に手ぇ出したのはリューだぜ。あちこち怪我してんのは崖から落っこちたときの怪我だし、どっちかってぇとあたしはヤメどきだって諭してた方だよ」

「……リューが先に手を出した?」

「そうさ。まぁ、あたしは全然気にしてないけど……その『水に流してやる』ってのが上から目線で気に入らねぇな、澄」

「っ……」


 状況が掴めないがもし羅市が言っていることが本当なら、それは怒りにまかせた軽率な発言だったと澄は唇を噛んだ。

 自分の余計な一言で事を拗らせてしまいかねない。

 羅市はそんな澄を見てニヤリと口角を吊り上げた。

「そうだ、お前さんがリューの代わりにあたしの相手をしてくれよ」

「そう来たか……」


 澄はため息をひとつつき、鋭い視線で羅市を睨みつけた。

「いいよ。それで羅市さんが納得してくれるならね」

「ひひひ、決まりだね」


 羅市は心底楽しそうだ。この状況を余すところなく楽しんでいる。

 対する澄は必死だ。

 気を抜けば怪我では済まない。相手の実力は底が知れない。

 自信がないわけではないが、状況も地の利も向こうにある。


 澄はありとあらゆる局面を想定し、戦闘の準備を進めていく。


「ねぇアキ。リュー連れて下がってて。巻き込んじゃうかもだから」

 澄の小さな体からとてつもないエネルギーが溢れてくる。

 木々がざわつき、大地が振動し、生命が震えている。


「澄……」

 リューはなんとか澄を止めようと模索するが、もはや何もできない。


 澄が本気を出せば例え羅市といえども。

 或いは、羅市が本気を出せば澄といえども。

 いずれにしても最悪の未来しかない。


「や……やめて……!」

 リューが残る力を振り絞り、必死の覚悟で立ち上がろうとしたその時だった。


「待った待った待った待ったーー!!」

 声の主は、魔琴だった。


「姉さんも澄も待った!! ふたりが戦う理由も意味もないよ! つーか姉さん飲みすぎ!!」

 魔琴は慌てて澄と羅市の間に割って入って全身で仲裁をアピールする。ついでに羅市の酒の入った瓢箪をとりあげた。


「なんだよ魔琴。遅かったじゃねーかって、返せっ!」

 羅市はあっさり瓢箪を取り戻した。

「澄の出した護符に巻き込まれて流されてたの! マジで麓まで流されるかと思ったよ!」

 よほど急いで戻ってきたのだろう。魔琴は息を切らして苦しそうだが、それでもリューへと駆け寄った。


「リュー! 大丈夫?」

「ま……こと……」

「あーあぁ、ひどい怪我……しかも姉さんに飲まされたね? 可哀想に」

「私は……大丈夫……わたし、より……」

 リューは震える指でやや離れた大木の根本に横たわる桃井を指さした。


「……誰?」

 魔琴は首を傾げるが、アキと澄は揃って声を上げた。

「桃井さん!?」


 するとそこへ一際小さな影が。

「……帰れって言ったのに……やっぱり帰ってなかったのね、この人」

『これぞ忍者』と言わんばかりに木々の上から降ってくるように登場したのは、大豪院ヤイコだった。


「有栖さん、お久しぶりね」

「ヤイコちゃんまで来てたのかい。こいつは豪華だねぇ」

「残念だけど今日はやる気ないわよ。リューを助けに来ただけだから。ついでに桃井さんもね」

「……ふーん」


 羅市はつい先程まで垂れ流すようだった殺気を収め、瓢箪の酒を一口、唇を湿らせるようにして飲んだ。


「リューは愛されてんなぁ」

 そして虚空を見上げた。

「……なぁ、虎子!」


 それは呼びかけるような、叱りつけるような、とにかく大きな声だった。


 ざわ、ざわ、と木々がざわめく。

 同時に人の気配がする。

「遅ぇよ、おバカ」

 羅市が毒づくと同時に、虎子が霧島に抱えられ、高い木々の間を縫うようにして音も立てずに現れた。


「……ありがとう霧島。降ろしてくれ」

 虎子の言葉に霧島は戸惑った。

 何しろ虎子の右脚は……。


 しかし、虎子な何事もなく霧島の元を離れ、その両足で確かに地面を踏みしめた。

「え? ええ?? と、虎子さん、右脚が……」

 る。右脚がある。


 霧島は夢か幻でも見ているように目を丸くするが、今度は澄が短い悲鳴を上げた。

「虎ちゃん! 左腕が!!」

 無い。左腕がない。

 虎子の着ているシャツの左袖が夜風に揺れ、あるはずの左腕がどう見ても『無かった』。


「虎子……」

 ヤイコがそれ以上の言葉を詰まらせる。

 リューは目を見開き、言葉を失っている。

 アキは口元の震えを止めることが出来なかった。

「と、とら、虎子……」


 魔琴もその様子に呆然としたが、羅市は違った。

「……なんだよお前さん、しばらく合わねぇうちによォ。そんなに『悪い』のかよ……」


 表情も暗く、心配というより落胆するような声色の羅市。

 虎子は周りの目を一切気にする様子もなく、まっすぐに羅市へと向かい、そして対峙した。


「……リューは、お前がやったのか」

 その深く静かな問いかけに、言い知れない感情の奔流が垣間見えるが、羅市はそれを歯牙にもかけなかった。


「半分はそうだよ。たが、その半分で見るべきものは見たぜ」

「見るべきもの……?」

「リューの『覚悟』さ」

 次の瞬間。


 ッパァン!!!


 銃声のような乾いた音が闇夜をつんざいた。


 羅市の平手打ちが虎子の左頬をしたたかに打ち抜いた音だった。


「!!!」

 その場の全員が息を飲む。


 羅市は全力の平手ビンタを振り抜いた。

 虎子はそれをまともに受け、しかし、打たれたままですぐには反撃の意志は見せなかった。


 羅市は俯く虎子の胸ぐらを乱暴に掴み上げ、怒鳴った。


「お前さんがそんな事で、どうするんだよ!!」


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