第99話 見えざる神の手

 アキの放った鉈狩影なたかりえいは正確に間合いを把握していた羅市の眼前で空を切ったが、その鋭さにリューは震えた。 


 アキの九門九龍はリューや虎子の九門九龍とは明らかに異なっている。

 とらこ曰く、同じ武術、同じ練度であっても多少の差は生まれるという。しかし、それは個性であり、面白みでもあると。


 だが、アキのそれは個性というよりも『粗』だった。つまり、未熟が故の未完成。


 しかし、それでも九門九龍であることは間違い無い。九門九龍を知らないアキが、九門九龍を使っている。それこそが重要なのだ。

(それに、あの動きは……っ!)


 あの蹴りを放ったアキの動きは、リューの知っているアキの動きではない。

 アキの筋力、瞬発力、反射速度ではあんなに速い蹴りは繰り出せないはず。

 それなのに……。


 羅市も同じ事を考えていた。

(とはいえ、人間の限界は超えてねぇな……)


 確かに今のアキは羅市の見立て以上の能力を発揮しているが、あくまでも人間の範疇。

 武人やマヤのレベルには程遠い。

(だが、この気配は間違いェ……)


 彼女の意識が『そこ』に向いた一瞬。

 アキが羅市の視界から消えた。

(いけねっ!)


 気がついたときにはアキは低空の片足タックルの姿勢で羅市の懐に飛び込んでいた。

 有栖羅市としたことが、実力で遥かに劣る『ただの人間』に先手を取られたのだ。


「マジかよ!?」

 思わず声に出してしまった。

 同時に羅市の背が地面にどすんと着く。

(こりゃ末代までの恥だぜ……ッ!)


 まさかただの人間のタックルで倒されるなんて夢にも思っていなかった羅市。

「……やっべ〜っ」

 苦笑いにも余裕はなかった。


 リューは白む意識にムチをうち、この一戦は見届けなければと目を見開いていた。


 アキのタックルは九門九龍・絶離たちばな。形は雑だが、見事なキレのタックルだった。そして有栖羅市相手にまさかのテイクダウン成功。 


(……うそ……そんな、そんな事って……!)

 それはテイクダウンに対しての驚きではない。それはアキが選んだ次なる技に対して純粋な驚き……いや、感動だった。


 羅市を倒してからのアキは本当に素早かった。

 倒してすぐに羅市の背後に周り、その体にしがみつくようにして動きを封じたのだ。


「おいおいおいまだやるのかよ!」

 その早業に羅市は思わず笑みをこぼしていた。余りに素早く、正確な『その感覚』に懐かしさすら感じていたからだ。


 背後に回ったアキの選んだ技はシンプルにして強力、そして一度極まれば脱出不可の『裸締め』……ではなかった。


 アキは羅市の背後から腕と脚を突っ込み、体捌きと回転力を利用して羅市を体ごと後方に半回転させ、そのままなんと『三角締め』に移行してみせたのだ!


 その様にリューは愕然とした。

 アキの選んだ技は九門九龍の中でも高難度に類する技だったのだ。


 しかも積極的に狙っていく技では無いことと使用状況が限定されるため、この技は自分もほとんど使ったことのない技だった。


 しかし、一度ひとたび極まれば絶対に抜けられないという技でもある。


 正直、アキはどんな原理なのかはわからないが『見たことがある技』をトレースしているのではないかとリューは推測していた。


 しかし、この技は見ていないはず。むしろ、見る機会なんてなかったはずだ。


 その技の名を、リュー自身も久し振りに口にした。

「『三菱虎頭みつひしことう』……」

 もはやリューは夢でも見ている心持ちだった。



 手順こそ違えど完成した三菱虎頭は羅市を確実に捉え、完成した。


 ……勝負ありだ!!



 が、それは常識の範囲での話だ。

 鬼の貴族・マヤは常に常識の外にいる。


「……いやぁ、まいったね。どーも」

 締め上げられたまま、羅市は笑った。

「まさかこんなことがあるなんてね。長生きはするもんだぜ」


 リューはようやく気がついた。

 三菱虎頭を受けてこんなに喋られるはずがない。あの技は受けた側はほとんど無抵抗のまま昏倒して然るべき技……しかし、それは自分か姉かが技をかけた場合だろう。


 アキは確かに九門九龍の技を繰り出しているが、正しい鍛錬を積んだそれではない。しかも、相手はあの有栖羅市。

 いかに三菱虎頭といえども、それがそのまま羅市に通用するか否かは話が別だろう。


「……誰が『お前さん』を呼んだんだ? 虎子か? 不死美さんか? それとも……『神様』か?」

 羅市はそのままの姿勢でアキに問う。

 しかしアキは答えない。

 アキは相変わらず心が別の場所にあるかのように、虚空を見つめて無表情だった。


 ……いや、アキの視線が羅市に向いている。

 そして、唇が微かに動き、何か言葉を発していた。


 それは耳を済ましていても聞こえない程、小さな声だった。


 しかし、羅市には届いた。そこが目的地だったかの様に、羅市の元へとその言葉は舞い降り、消えた。 


 まるで姿を隠すように消えたその言葉。

 羅市は自分だけに届いたそれを噛み締めた。


 その言葉は、『願い』。


 たった3文字の言葉は闇夜に霧散したが、羅市の心には刻み込まれた。 


 羅市……いや、マヤにとってその言葉は特別な意味を持つ。


 その特別な言葉を、羅市は確かに受け取ったのだ。



「……ありがとよ。お陰で500年も動いてなかったあたしの時間が、ようやく動き始めるぜ……」


 羅市は脚に力を込め、膝をバネにして、ゆっくりと立ち上がった。


 リューは焦った。これもまた有り得ない光景だったのだ。

(まさか、あの技を受けたまま、普通に立ち上がるなんて……!)


 その時だった。


 曖昧だったアキが、意識を取り戻したように声を上げたのだ。

「は?」


 それまでの無表情は一瞬で消え去り、代わりに引きつった表情が顔面に張り付く。


 アキの発した一言は、それは自分もそうだが周りの全ての事柄についての率直な感想だったに違いない。


「は、じゃねぇよ」

 拘束が緩んだアキの両脚の間から、羅市がするりと顔を上げてアキと向かい合った。


「は? え? な、なにこれ……?」

 とりあえず羅市にぶら下がっているような恰好のアキ。というより、もはや羅市に支えられていると言ってもよかった。

「ナニコレじゃねーよ。お前さんがいきなり三角締めかましてきたんじゃねーか」


 自分の股ぐらの間からものすごくスタイルの良い浴衣姿の美女が顔を出し、怒っている。


 何がなんだかを超えた、全く別次元の出来事に、取り敢えずアキは笑ってみた。

「……えへ」

「何笑ってんだよ」

 さらに怒られた。


「あ、あの、すいませんけど、どちら様ですか……?」

「有栖羅市だよ」

「……え? あ、あなたが有栖……さん?」

「ンだよお前さん、やっぱり何も覚えてない流れかよ」

「いや、澄と魔琴と一緒に走ってたあたりは覚えてんだけど、そこから先は……あ、そうだ! リューは?! リュー!!」


 アキはそのままの態勢で辺りを見回した。

 それを見て羅市はため息を一つ。

(桃井さんといいコイツといい、おバカが増えて退屈しなくて済みそうだなぁ)


「あ、アキくん……」

 息も絶え絶え、リューがアキに手を伸ばす。

「リュー! 無事か? 大丈夫か? 怪我無いか!?」

「アキくん……私のことより……」

「え?」


 羅市はアキを右腕にぶら下げたまま、思い切りおおきく振りかぶっていたのだ。

 まるで円盤投げか槍投げの選手のような『溜め』に、アキの背筋が凍りつく。  


「あ、有栖さん?」

「やられっぱなしってのも性に合わないんでね。せめてこれくらいはやり返させてもらうぜ」

「ちょ、ま」

「お近付きのしるしってヤツさァ。遠慮せずに……受け取りな!!」


 羅市は溜めを一杯にした次の瞬間、引き絞った弓の弦を放つようにその力を開放した!


「うおらああああっ!!」

 羅市はそれこそ野球のピッチングの様なフォームで右腕にしがみつくアキをぶん投げたのだ!

 しかもマヤ随一の怪力・有栖羅市の投擲力は別次元!


「ぃぃぎぃぃっ!!」

 と、ほとんど声にならない叫びを置き去りにしながら、アキは闇夜の森の中にミサイルの如く射出された!!


「きゃぁあっ!! アキくん――!!」

 絶叫するリュー。たが、羅市はそんなリューの頭をぽんぽんと優しく撫でた。


「大丈夫大丈夫。お前さんの『友達』がそこまで来てる」

「と、友達……?」

「その友達が、ちゃーんと受け止めてくれるさァ」

 ニカッと笑う羅市。

 その笑顔のまま、一言付け加えた。


「……多分、な」

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