第94話 一之瀬流VS有栖羅市

 有栖ありす家当主・有栖ありす羅市らいち


 平山家、呂綺家、有栖家はマヤ御三家と呼ばれ、永きに渡りその純粋な強さから尊敬と畏怖を集め、『鬼』の世界を束ねて来た。


 その御三家のひとつ、有栖家当主が目の前に居る。

 リューは夢から覚めたのか、はたまた夢でも見ているのか、曖昧な状況だった。



「……折角ですが、遠慮します。未成年なので」 

「あン? あたしの酒が飲めねえってんのか?」

「あと3年程したらお付き合いができるかもしれませんが……」

「長ぇなぁ。今がいいんだよ! いま!」


 リューは時間が欲しかった。

 1分でもいい。1秒でもいい。考える時間が欲しかったのだ。

 だから会話を長引かせようとしていた。

 

 これが夢ではないことは間違いないが、状況としては悪夢に等しい。有栖羅市の性格は資料とで、ある程度の把握はしていた。


 おそらく、戦闘は避けられない。


 その避けられない戦闘を、それでもリューは避けたかったのだ。

 そのために想定し得る会話、行動、選択……それらを思索するにはどうしても時間が欲しかった。

 

 羅市は盃に酒を注ぐと、それを一気にあおった。

「まァいいや。それよりリュー、お前さんの相手はこのあたしってことでいいのかい?」

「……え? それはどういうことですか?」


 不意をつかれたリュー。その反応が演技ではないことを、羅市は見抜いていた。


「日が暮れるちょい前から武人会の奴らが山狩りしてんだよ。あっちこっちでウロウロしてやがる。カチコミに来てんだろ? しっかし、まさかそっちから来るとはなぁ」

「武人会の皆が……」


 自分を探しに来てくれているのだろう。

 ここに来て初めて、リューは自分の状況を客観的に見ることができた。


「有栖さん」

「羅市でいいぜ」と、笑う羅市。

「……羅市さん、武人会の皆は、きっと私を探しに来たんです。あなた方に危害を加える為では決してありません」

「お前さんを? なんでお前さんを探すんだ? お前さん、何したんだよ」

「それは……」


 口ごもるリューに、羅市は「ふぅん」と何か思い当たる節がある様な仕草をした。


「悩み事が原因かい?」 

「え、いえ、別に」

「バレバレだよ。隠さなくてもわかるって。その様子じゃあ……どうせ自己嫌悪的なヤツだろ? 『自分のせいで』とか、『自分が悪いんだ』とか、うじうじ悩んでどうしようもなくなっちまって、山に逃げてきたんだろ? どうだい?」

「……」

「その反応は当たりだな。なんでわかるかって? そりゃあお前さん、今のお前さんが10年前のここで虎子がしてた顔と同じ顔をしてるからだよ」

「お姉ちゃんと……?」

「覚えてないのかい? あたしはよーく覚えてんぞ。お前さんを助けに来た虎子の、あの情けねぇ顔をよ」


 山に放り込まれた自分を助けに来た姉の顔……思えば、その時『初めて』姉の笑顔を見たのだと思う。


『あとは私に任せておけ』


 そう言って励ますような笑顔を見せた姉。

 そこからだ。姉がそれまでの鬼のような恐ろしさを見せなくなり、代わりに優しくて頼もしい、自分の大好きな「虎子お姉ちゃん」になったのは……。



「……お姉ちゃんは情けない顔なんてしてません。お姉ちゃんは、私に笑顔を見せてくれました」

「そうかい。お前さんにはそう見えたんだなぁ」

 羅市は盃を近くの手頃な岩の上に置き、ゆらりと立ち上がってリューと対峙した。

「あたしには、今にも泣き出しそうな顔に見えたがね」


 急に空気が重くなった。

 羅市を中心に空気の密度が増していくような感覚……リューは気取られないように重心を落とした。

 あってはならない『万が一』に備えたのだ。


 それを知ってか知らずか、羅市は不敵な笑みを浮かべていた。

「あのとき、あたしが虎子になんて言ったか覚えてるかい?」

「……いいえ」

「自分のやってる事に胸が張れねぇなら、武人なんてやめちまえ! って言ってやったんだよ」  


 彼女の笑みは、まるでリューの心のうちを見透かすような、そんな微笑かおだった。


「今のお前さんに、同じ言葉を贈るぜ」

 そして羅市は一歩前へと踏み出した。


 それだけでリューの背筋がゾッと波立つ。

 羅市の草履が枯れ葉を踏む音が、リューの神経をざわつかせる。


「羅市さん! やめてください!」

「まだ何にもしてねぇよ」

 ただ一歩踏み出しただけの羅市に対し、リューはそれだけでも身震いするような危険を感じていた。


 ざく、ざく、と羅市はゆっくりと歩を進める。リューは事の重大さに往く事も退くことも出来なかった。


「ちょっと遊ぶだけだよリュー。それに、あれから虎子がお前さんをどう仕込んだのか、お前さんがそれをどう受け止めたのか……見せてほしいんだよ」

「羅市さん! それ以上近づかないでください! それ以上は……!」

「いや、無理だね。あたしはもう我慢の限界なんだ」


 ふたりにはお互いの「制空圏」が見えていた。

 あと一歩踏み込まれれば、リューの制空圏は羅市によって侵犯される。そうすれば、リューは羅市を迎え撃たなくてはいけなくなる。


 少なくとも、何もせず話し合いで解決できるような気配ではない。そして武術家である以上、この殺気に対して無防備はあり得ない。

 羅市はそれらを十分に理解した上で最後の一歩を踏み出し、リューの制空圏エリアに入った。

「さぁ、いくぜ……!」


 ピリつく殺気の糸が切られた瞬間、動いたのはリューだった。

 リューはほとんど無意識に飛び出していた。

 かつて感じたことのない『生命の危機』を匂わせる濃密な殺気が、武術家の本能に噛み付いたのだ。


「九門九龍……ッ」

 神速の飛び込みから深く踏み込むリュー。

「『綾桜あやざくら』っ!!」


 腰をひねり、鞭の様にしならせた右の蹴り足が最大射程、最大速度で放つ『上段』の回し蹴り『綾桜あやざくら』!


 虎子が魔琴に放った『綾桜』が地を這うようなローキックなら、リューの放った綾桜は目の覚める様なハイキック。

 しかも独特な足先の造りは鎌のように鋭利に立ち上がり、上段の綾桜は敵のテンプルを穿うがつ!


 ガツッッッ!!


 硬いものが激しく衝突するような衝撃音!

 リューはその音と、蹴り足に伝わる手応えに震えた。


 リューのローファーは羅市のこめかみに突き刺さっている。

 最大威力の綾桜は完璧な形で完了していた。


 まさかのクリーンヒットだった。

 その事実にリューは震えたのだ。

(避けなかった……)


 そう、羅市は防御も回避もしなかった。

 何の抵抗もせず、彼女はリューの技を受け止めたのだ。


 無事では済まない。

 そう直感したリューだが、それは並の相手ならばだ。

 有栖羅市を『並』と見做みなすのであれば、それは余りに礼を欠く。


「……手加減無用だぜ? リュー」

「っ!?」

 その一言から、羅市にダメージが無い事を肌で感じたリュー。

 即座に両腕を前方で交差させ、防御態勢をとった。


 なぜなら羅市は既に反撃態勢に移行しており、そのスラリとした右腕を今にも振り下ろさんとばかりに頭上に掲げていのだ。

武力ぶぢからを使えよ!!」


 ぶんっ! と力任せに振り下ろされた右腕は、リューを防御ごと軽々と吹き飛ばした。

「うっ! くううう!!」

 夜の山林をリューの体が弾丸ライナーの様に吹き飛び、地面に叩きつけられてもその勢いを落とさず、まるで水切りの様に何度もバウンドして転がり、そこまでしてようやく彼女の体は止まることが出来た。


 その様子を遠く離れた羅市は満足そうに眺めていた。

「武力が間に合ったか。上等上等!」


 かなりの距離を吹き飛ばされ、制服が滅茶苦茶になってしまったリューだったが、体はほぼ無傷だった。武力による身体能力加速が間に合ったのだ。


「っ……!」

 リューは立ち上がって口の中に入った土や草を吐き出し、羅市との距離を目測。

 そして即座に羅市に背を向け、その場から離脱を選択した。 

「おいおい! 逃げんなよーー!!」


 叫ぶ羅市を無視して全力疾走するリュー。

 

 武力を全開放した武人の身体能力は、一流アスリートですらも遥かに凌駕する。

 リューはその人間離れした速度で夜の山中をそれこそ矢の様に駆けた。


(今、戦うわけにはいかない……っ!)

 リューが逃走を選んだのは単に「戦闘禁止」が理由ではない。


 命に関わる状況なら例外的に交戦は認められている。しかし、今の状況は一方的に挑発されているだけで、戦闘しなければいけない状況ではない。


 先に手を出したのは確かに自分だが、回避できるのであれば戦闘は回避するべきだとリューは判断したのだ。


 それに加え、羅市の戦闘能力の把握が全く出来なかったのも大きい。

 武力を乗せていなかったにしても『綾桜』をまともに喰ってノーダメージは有り得ない。


 精神的に不安定である自分の状態を鑑みても、あの一撃で有栖羅市というマヤの全てが予測すらできなくなってしまった。

(……今はダメ……今の私では、きっと……)


 殺されてしまうかもしれない。


 そう意識して、リューの心臓が一際大きく跳ねた。



 森の木々を縫うように駆け、岩を飛び越え、激しい起伏の変化を物ともせずに風を切るリュー。 

 今はとにかく逃走に全力を尽くすしかない。

 そう何度も自分に言い聞かせ、ひたすら羅市から逃げるリューだったが……一瞬、背中に冷水を流し込まれる様な悪寒を感じた。


「ガチの鬼さん相手に鬼ごっこかい? リュー」

 背後から、羅市の声がリューを呼ぶ。

「ッ!?」

 リューの背後には、ぴったりと羅市がついてきていたのだ。


(い、いつの間に?!)

 スタートに差があって尚、この速度について来た事もそうだが、今の今までその気配すら感じることが出来なかった。


 その事実に恐々と振り向いたリューに対し、羅市はどこか可笑しそうな、挑発的な笑みを向けていた。


「あたしが何年『鬼』やってると思ってんだ? プロを嘗めんなよ!!」

 そして羅市は思い切りリューを蹴りつけた。


「ぅぐっ!?」

 羅市の乱暴な蹴りを全力疾走の最中に喰らったリューはうめき声も早々に吹き飛ばされ、木々を薙ぎ倒しながらその勢いのまま切り立った崖を真っ逆さまに落ちていった。

「きゃああああっ!!」



 その絶叫と、木々が倒れる破壊音。そして大きな力同士の激突は、蓬莱山にいる全ての武人と全てのマヤにとって、まるで警報のように神経を逆撫でした。


「……姉さんが……」魔琴の声が震える。

「……リューが……」澄が息を飲む。


「戦ってる……」

 期せずして、ふたりの声は重なった。

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