第92話 お楽しみはこれからだろ
午後9時。
山には二人一組になった武人会の武人(東京の忍者ふたり含む)がリューの捜索に入り、全ペアがなんの収穫もないまま焦りを感じ始めていた。
ヤイコと春鬼ペアは既に次元結界を越えて捜索を続けていたが、やはりなんの手掛かりもない。
「……気の乱れがすごいわね……」
ヤイコは忍者の鋭い感性でそれを感じ取っていた。
「今日は特に酷いわ。もしかしたらこれまでで一番かもね。そう思わない? 春鬼君」
「そうだな」
………。
ヤイコが予想していた反応とはちょっと違った春鬼の返事に、ヤイコは確認するように春鬼の方を見た。
すると春鬼は同じようにヤイコを見ていた。
「……なんだよ」
「え、うーんと、なんでもないわ」
ヤイコはどんな顔をしていいのかわからなかったのでとりあえず無表情で通したが、春鬼は明らかに不愉快そうだった。
「あーくっそ蒸し暑い。めんどくせぇなぁ虫も多いし。『あいつの妹』なら放っといても帰ってくんだろ。それをこんな大勢でさぁ……あんたもそう思わねーか? ちっこいねーちゃんよ」
「うん、ごめん。ちょっと待って」
ヤイコは春鬼に近づき、その『乱暴な言葉なんて使いそうもない』端正で清潔な顔を覗き込んだ。
「……キミさぁ、プライベートだとキャラ変わる系?」
「はぁ?」
「昔そんな感じの男の子が出てくる漫画があったわね……その子の名前も確か『有馬』だったような」
「あー知ってる知ってる。
「読んでないわよ! それに誰もリアルタイムで見てたとは言ってないでしょ?!」
「いやー、怪しいなぁ……とまァ、そんな事ぁどうでもいいわ。とりあえずなんか来たぞ」
「……そうね。そんな事はどうでもいいわ。あいつに比べたら……」
春鬼(?)とヤイコの視線が深い森のある一点に集中した。
すると、ほどなくそこに何者かの気配と、はっきりとした殺気が現れたではないか。
ふたりはそこに何かが現れることに感付いていたのだ。
それほどの、濃い気配。
「……武人会の方でしょうか?」
その気配の元は、はっきりとした言葉でそう問うた。
「俺はそうだが、こっちのちっこいのは違う」
「ちっこい言うな!」
濃い気配の『何か』は少しづつ近づいてくる。
「……まぁまぁのヤツだな」
春鬼(?)がその気配を値踏みをする。
「『武人クラス相当』ね。やっぱり私達が来といて良かったわ」
ヤイコも彼の見立てに賛同した。
つまり、かなり上位の『鬼』とみて間違いないということだ。
やがて月明かりでその姿がお互い確認できる程度に距離が詰まると、その「気配」の姿に春鬼(?)は見知った相手にそうするように手を上げた。
「よう、乱尽とこのフーチじゃねーか」
気配の元は呂綺家使用人・フーチだった。
「おや、どなたかと思えば有馬春鬼様……ではありませんね」
その言葉にヤイコの視線が鋭さを増した。
(やっぱりコイツは春鬼君じゃない……?)
明らかに様子がおかしい春鬼。それが意図的な演技かどうかを看破できないヤイコではない。
(かと言って二重人格って訳でもなさそうね……もっとこう、禍々しいものを感じるわ……)
フーチは謎を解く探偵のように考えるような仕草で続ける。
「ふむ。蓬莱山の気の乱れが有馬春鬼様の
春鬼(?)は『イイ読みだ』と言いたげにフーチを指差し、戯けるようにウィンクをしてみせた。
「ま、当たらずも遠からずってとこだな。とはいえ、あんまり好き勝手にべらべら喋ると『春鬼』の野郎に後でうんざりするほどお小言いわれるんでね。それに俺としては山登りは趣味じゃねぇから用事を済ませてさっさと戻りてぇんだよ」
「では、そうされては? 私としても『あなた』よりも有馬春鬼様に色々とお話を伺いたい」
「戻りたくても気の乱れのせいか知らねーけど春鬼が起きてこねーんだよ。つーか話ぐらい俺でもいいだろ? 言いたいことがあんならさっさと言えよこの変態紳士」
……。
一寸の間があり、フーチは微かに首を傾げた。
「……私の事でしょうか?」
「この蒸し暑い山ん中で背広着てウロウロしてるお前以外に誰が該当すんだよ」
「失礼な人ですね……いや、人ではないか……」
フーチの殺気が急激に膨れていく。
それはヤイコが咄嗟に動くほど危険で、予想のつかない動きをする『脅威』に他ならなかった。
「待って! 何がなんだかよくわからないけど、まずは話をしましょう! とりあえずコイツの非礼は詫びるわ」
ヤイコは前へ出るついでに春鬼の足を思い切り踏んづけた。
「ぃ痛ッッッ!」
しかしフーチの殺気の密度は変わらない。
そしてその原因が春鬼の余計な一言ではないということは、ヤイコも分かっていた。
(気の乱れが鬼を凶暴にするとは聞いていたけど……しかもここは鬼のテリトリー。何事もなく帰れそう……もないわね)
ヤイコは右手を腰に仕込んだナイフのホルスターに掛け、最悪の事態に備えた。
「フーチ、あなたが怒っている理由は分かるわ。武人会の武人が断りもなしに結界を越えてあなた達の
ヤイコはあくまでも落ち着いた口調で話をするように努めた。
どんな理由があるにせよ結界を越えている事は不利だ。もちろん戦闘行為も含めて、あらゆる意味で人間側の不利は明白なのだ。
「でもね、これには
するとフーチは首を横に振った。
「私は別段怒ってなどいませんよ。お仲間の件も私には関係のないことです」
「そう? ならそのヤバめな殺気を引っ込めてもらえないかしら。落ち着かないのよ」
ヤイコの腰に回した右手の先が、ナイフの柄を撫でている。いつでも抜ける体制と気構えを維持するにも限界があるのだ。
「何を仰います。今宵のような素晴らしい夜を無為に過ごすなんて、無粋なことを」
フーチは一歩前に出た。それだけで痺れるような殺気がヤイコを襲う。
「……無駄な戦闘は避けたいわ。あなたも呂綺家の使用人ならそれが何故か、わかるわよね?」
「和平協定ですか? もちろん存じております。ですから、それに影響がない程度に私と踊っていただけませんか? 大豪院様」
「……私のことを知っているの?」
「はい。私はもともと『裏留山』様の使い魔にございます
それを聞いたヤイコの気配が変わった。
「その名前、聞きたくなかったわ」
しゃらん、と涼やかな音。
ヤイコのナイフはそれまでの『待機』を無意味にするように、呆気なくその刀身を闇夜に煌めかせた。
「留山みたいなクズに仕えてるなんて気の毒ね。ストレス解消の手伝いしてあげようか?」
先程までとは打って変わってヤル気十分なヤイコに、フーチは何かを期待するような笑みを向けた。
「いえ、今は呂綺家にお仕えさせて頂いておりますし、裏様には大変良くしていただいております。ですが、私と踊っていただけるのであれば、是非にとも……」
双方の殺意が整っていく。
程なくしてぶつかり合うであろうこの殺気に、春鬼(?)は意外にも冷静な反応を見せた。
「待て。アツくなんなよちっこいねーちゃんよ」
「何よ、ガキはすっ込んで……」
鋭く言い放とうとしたヤイコの言葉が急停止した。彼の左手に握られている美しい装飾を施された一振りの刀にその瞳が釘付けになった。
「それは……」
「春鬼の
金の蒔絵が見事な黒漆塗の鞘に、銀の
その刀は突如出現した。
何もない空間から……というより、春鬼から『生えてきた』という表現をするのが適切ですらあった。
それは有馬の血族が受け継ぐ『識』。
有馬家の血を引く者はその身体、その魂に得物を宿すという。
その銘は、それぞれ字は違えど呼び名はすべて『しき』と発する。
「……有馬家の武人は代々『武士』じゃなくて『識匠』だって言うのは本当のことだったのね」
ヤイコはこんな状況だというのに、その豪華絢爛な刀に心を奪われそうだった。それほどの美しさと、威圧感……。
「別に隠してる訳じゃねーけどな。それより、あの変態は俺がやるぞ」
「……」
一瞬不満げな目を向けたものの、その言葉の真意を察したヤイコは前へ出る春鬼の邪魔をしなかった。
「あの変態紳士、この気の乱れにヤラれてハイになっちまってるみてぇだし、スルーしてくれそうもねぇしな。俺があいつと遊んでる間に、お前はリューを探せ」
「わかってるわ。あと、私に命令しないで頂戴」
「おお、怖ぇ」
春鬼が一歩前へ出ると同時にヤイコはその場を離脱。まるで煙の様に消えてしまったヤイコに、フーチは名残惜しそうな顔をした。
「……私は男性と踊る趣味はありませんが」
しかし春鬼はヤル気満々。刀身を鞘に納めたまま死喜を逆手に、居合の構えでフーチと対峙した。
「俺もだよ馬鹿。でもやってみたら意外に……ってこともあるかもよ? 男は度胸! なんだって試してみるのさ」
「フフッ……いい男ですね。有馬春鬼様……」
ニヤリと挑発的な笑みを浮かべ合う美男ふたり。
ヤイコは離脱しつつ、その何かが始まりそうな危険な薫り漂う光景を見て呟いた。
「……ああいうのも悪くないわね……」
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