第91話 私の願いを叶えるには

「おに、ですか?」


 藤原はその一言のうちに気持ちを落ち着けた。


「そ、そういう噂がネットで流れてるらしいですねぇ。私も聞いたことがありますが……ま、若い子が面白可笑しくやってる類の事でしょう」


 藤原がそう笑い飛ばそうとすると、桃井は逆に食い付いてきた。


「あの武人会ってところ、何かの道場みたいでしたね。男の人はたくましい人ばっかりだったし。もしかして、あの武人会が鬼を退治してる組織だったり……とか?」

「ははは、まさかぁ(この人、鋭い……)」

 藤原の笑顔が引き攣る。



「それにあの部屋にいた人達……こんな時だっていうのにやけに落ち着いてたし、特に『ヤイコさん』って呼ばれてたあの子、私より歳上みたいな得体のしれなさがあったし……まさか、あの人たちが鬼と戦ってる戦士とかだったりして?」

「さ、流石は漫画編集者ですねぇ桃井さん。すごい想像力です……(ヤバい、全問正解)」


 藤原は桃井に悟られないように深呼吸をして気持ちを落ち着かせた。


「……まぁなんというか、武人会は言ってみれば仁恵之里のまとめ役ですよ。今回みたいに困ったことがあったらみんなで力を合わせてなんとかしよう的な……田舎にはそういうの、よくありますよ」

「……そうなんですか……」

「そうです。だから、何も心配いりませんよ。きっとリュー様もすぐに見つかります」

「……なんで藤原さんはリューちゃんに『様』をつけるんです?」

「間違えました。リューちゃんです、ちゃん」

「……」



 いっそ全てを打ち明けてしまいたい。

 藤原はそう思っていた。


 桃井は善人だ。優しい心根と、誠実さを持った『いい人』だ。

 リューを心配する気持ちも、無事を祈る気持ちにも嘘や裏なんて微塵もない。

 きっと今すぐにでも捜索に参加したいに違いない。

 例えどんな危険な目におうとも。



 車は程なく駅に到着し、桃井は車を降りた。

「……お気をつけてお帰りください」

 藤原も車を降り、桃井に向き合って深々と頭を下げた。


『桃井を駅まで送り届ける』

 それが藤原の仕事だ。

 情に流されて桃井を連れて戻る事はあってはならない。

 彼はそう耐えていた。


「ありがとうございました、藤原さん」

 桃井も深く頭を下げると、振り返ることなく駅の改札へと向かっていった。



 午後8時過ぎの仁恵之里駅は駅員以外誰もおらず、その駅員も帰り支度を始めていた。

 間もなくやってくる電車が本日の最終列車だったからだ。


 ホームへ向かい、ベンチに腰を下ろす桃井。

 その心の中はリューや大斗、ヤイコ、武人会……そして不安や怒り、悲しみと寂しさ、そして無力感でいっぱいだった。


「もう、いいや」


 桃井はぽつりと呟いた。


 自分に出来ることなんて何もない。

 なら、諦めてしまった方が楽だ。

 自分は何もしなくても、きっとリューは無事に帰ってくる。


 だから、もう無関係でいいじゃないか。

 自分には関係ないから、もういいじゃないか……そう考えた、その時だった。



「本当にそうでしょうか?」



 唐突に、声がした。

 聞いたことのある声だ。


 瞬間、桃井の全身がぞわぞわと泡立つように震えた。


 その声は明らかに、自分の隣から聞こえた。

 その声は明らかに、人の声だった。

 その声は明らかに……


「平山さん……」

 桃井の隣には、いつの間にか平山不死美が桃井と並ぶように腰を下ろしていた。


 あまりに突然で、突飛な出来事に桃井は言葉を失う。

 そんな桃井を素通りするように、不死美は再び問うた。


「桃井さん、それは本当にあなたの求めることでしょうか」

 不死美はそこにいることがさも当然のように微笑んでいる。


 桃井はその様子に全く現実感がなく、かと言ってこれが夢ではないとも自覚していた。

 不思議な感覚だった。 


「ひ、平山さん……あなたは本当に、何者なんですか……?」

「質問にお答え下さいまし。あなたの本当の願いをお聞かせ下さいまし。願いとはそういうものです。声に出し、誰かに伝えるのです。願いというものは、形にしてようやく叶えられる権利を得るのです」


 黒いドレスと金色の髪。この世のものとは思えない美貌と、神々しいまでの……闇。


 そんな女が、笑っている。


 穏やかにたおやかに、そして見下すように笑っている。


 悪魔に魂を売る、という言葉がある。

 今の桃井がまさにその瞬間だった。


「……リューちゃんを探しに行きたい!!」

 桃井は叫んだ。


 すると涙が滲んだ。

 それほどの激情だった。


「私もリューちゃんを探したい! リューちゃんを助けたい!! 私は、あの子が好き! あの子を、守りたいの!!」


 残響がホームに響く。

 不死美はそれを満足そうに見つめていた。


「……桃井さん。わたくしもリューさんが大好きでしてよ。心から、そのすべてを独り占めしてしまいたいくらい……」


 不死美は懐から鳥の羽根を取り出した。

 それは大きく、美しい鳥の羽根だった。


「あなたとわたくしは、似ているのかもしれませんね、桃井さん」

 そしてその羽根を桃井に手渡し、囁いた。

「……利害の一致ですわ」 


 意味のわからない一言を桃井が反芻したその一瞬の隙をつくように、不死美はまるで魔女が魔法の呪文を唱えるように言葉を発した。

「空間転移・合成鳥キメラの翼……」


 瞬間、桃井の体は重力を失った。

 まるで手にした羽根が自分の背中から生えたのかと思うような浮遊感。

「〜ッッッ!!」


 一瞬の暗転の後、桃井の靴が枯れ葉を踏んだ。

「……え?」

 一瞬前までコンクリートだった筈の足元には土と草、そして枯れ葉や名前も知らない小さな花。


「……え? え?」

 一瞬前まで蛍光灯の明るさで満たされていた空間は月明かりだけが頼りの暗闇。

 辛うじて目視できる範囲で風に揺れる木々は鬱蒼として、まさに森……この状況を総合的に判断するとすれば、この場所は『夜の山中』でしかなかった。

 

「こ、ここって、まさか……蓬莱山?」


 瞬間移動ワープした……?

 まるで夢だ。

 いや、夢か?


 混乱を極める桃井。嘘のような本当の出来事に目を回しそうになっていると、遠くで誰かの話し声が微かに聞こえて来た。


「この声……リューちゃん!?」

 しかし、どこから聞こえるのかわからない。

「と、とにかく探さなきゃ……!」

 桃井は勇気を振り絞り、ほとんど視界のない夜の山を手探りで歩き始めた。 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る