第90話 闇蠢く蓬莱山

 その後、有馬家の門の前に藤原は車を回し、大斗と虎子に付き添われた桃井は力無くそれに乗り込んだ。

 彼女は今回の件からは潔く身を引く決心をしたのだ。


「ごめんな桃井さん。でも、気持ちだけで十分だぜ」

 大斗は半分ほど開けられた後部座席の窓越しに彼女を励ますが、桃井は俯いたままでつぶやくようにして応えるのがやっとという状態だった。

「……リューちゃんの無事を祈ってます……」


 その様子に大斗と虎子は顔を見合わせ、肩を落とす。

 これ以上何を言っても仕方ない。何を言っても桃井を苦しめるだけだ……そう感じた虎子は藤原に目配せした。


「頼んだぞ、藤原」

「はい虎子様。責任を持って、桃井さんを駅までお送りいたします」

「……桃井さん、すまないな……」

「……」

 桃井は無言で俯いたまま、軽く頭を下げた。

 藤原はその様子を確認し、そっと囁くように言った。

「では、出発いたします」


 滑るように発車し、車は屋敷から遠ざかっていく。ふたりは車が見えなくなるまでその場を離れなかった。


「……さぁ、俺らもそろそろ行くか」

「ああ。そうだな」

 ふたりが屋敷に戻ろうと振り返ると、門の向こう側でヤイコの小さな顔がこちらを見ていた。 


「あの人が本当に帰ったか、確認しに来たのよ」

 ヤイコは聞かれてもいないのにそう言った。

「すまねえな、ヤイコ。嫌な役をやらせちまって」

 大斗が頭を下げると、ヤイコはふん、と鼻を鳴らした。


「別に謝る必要ないわ。私は本当の事を正直に言っただけだもの。大体、ああいう真面目で責任感が強くて自己犠牲もいとわないタイプは真っ先に死ぬのよ。そういうのを助けるのも私達の仕事なの。だから別にわざと悪態ついて追い返そうとしてたわけじゃないんだからね!」


 ヤイコは捲し立てるとプリプリしながら屋敷の方へと去っていった。


「うわー、今どき逆に新鮮なツンデレだな……」と、大斗。

「あれがあいつなりの優しさなんだよ。素直になれないところがまた可愛いじゃないか」

 虎子は大人で子供で、でもやっぱり大人なヤイコの可愛らしい背中に目を細めた。


 ヤイコはヤイコで素直になれない自分を自覚している。

 そしてそんな自分を「いい歳して……」と、恥ずかしくも思っていた。


 だからこそ、こんな時は自分自身を律するためにもより一層クールに装い、こうつぶやくのだった。

「……やれやれだわ」



 時刻は午後7時30分。

 日は落ち、蓬莱山の気は徐々に乱れの幅を広げていく。


 蓬莱神社では広い境内を利用して既に仮設の捜索本部が設置されており、その中心では蓬莱常世が指揮を執っていた。


「さあ! 死ぬ気で仕事しなさい! 私の銃はサボってるやつの方を向く癖があるのよ!」

 流石はミス・ウォーズの異名を取る蓬莱常世。こういった『現場』の指揮を執りなれているので非常に手際が良かった。


「蓬莱! 突然すまないな……境内まで借りてしまって」

 まず虎子が境内を駆け抜けてきて、それに続いて他の武人たちもやってきた。

「水臭いこと言わないでよ虎子。それよりまだリューちゃんの手がかりはないわ。やっぱり奥の方を直接探すしかないわね……」

「そのようだな。よし、早速ブリーフィングだ」


 常世は仮設捜索本部の中央に設置した大きな机の上に蓬莱山の地図を広げ、その上にボードゲームの駒のような物をいつくか置いた。


「今、この辺りを重点的に捜索中よ。あとはこの辺り……結界ギリギリまで迫ってるけど、まだ手掛かりすらみつからないわ」

 その言葉に武人たちは緊張した。


「『こちらがわ』の次元結界じげんけっかいを越えている可能性もあるな……」

 春鬼がつぶやいた。

「……」

 それを受け、場の空気が更に重くなってしまった。


 しかし、アキには何のことかさっぱりわからない。それを察した虎子が助け舟を出した。

「アキ、お前は山に入るのははじめてだったな」

「あ、ああ。子供の頃はわからないけど、少なくともこっちに来てからは神社までしか……」

「では、念の為説明しておこう」 

 そう言って、虎子は赤いペンで神社に丸をつけた。


「蓬莱山の入り口はここしかない。しかし登山道などが整備されているわけでもなく、ほぼ全てが原生林だ」


 そして今度は山の全周を赤ペンで囲んだ。


「山の範囲はこの程度……そこから先は他県になる。そしてこの赤枠の範囲内は全て『次元結界』という『鬼除け』の結界が張られていて、基本的に雑魚鬼はその結界は越えられない。しかしその結界も完全ではなく、稀に結界の隙間や綻びからザコが侵入してくる。それが我々武人会が日々退治している鬼だ」

「……さっき有馬さんが『こちらがわの次元結界』って言ってたのは?」

「それがこの山の問題でもあるんだが……」


 虎子は先程の大きな丸の中心に線を引き、二分割した。

 半分は他県側、もう半分は仁恵之里側だ。


「これだけの広範囲にわたって誰か一人が結界を張るのは相当な労力だ。だから人間と鬼、双方が折半して結界を張っているんだ。鬼側は平山不死美。人間側は澄がその役を担っている」


 澄はえっへんと胸を張り、凄いだろアピールを忘れなかった。


「雑魚鬼にとってマヤ……特に平山不死美は絶対的な存在だ。だから奴らは平山の結界が守る他県側には絶対に出ない。出れば平山に何をされるか分からんからな。だが、仁恵之里側へは出てくることがある。それは澄の結界のせいではなく、両者の結界が混在する神社周辺の結界がどうしても不安定になってしまうからだ。特に夏はそれが顕著だ。そこは魔法と識の相性の問題と、それを分かっていながら全部魔法結界にしない平山の底意地の悪さが原因だ」


 最後は平山不死美の悪口だったような気がするが、とりあえず全体像は把握したアキ。

 そこで澄が人数分の護符を出現させた。


「これ、トランシーバーみたいに使える護符ね。持ってるだけで発動するから、これで連絡取り合おう。ほらアキ、あんたも!」

「お、おう……で、どう使うんだ?」

「持ってるだけでいいって言ったでしょ。で、誰かと話す感じで名前呼べば会話出来る状態になるから」

「へー……すげーな、お前」

「い、いいから早く持っとけって!」


 不意に感心されたのが照れくさかった澄。押し付けるようにしてアキに護符を渡した。


 そして一同がそれぞれ護符を手にすると、その手元で星の様な光がチラチラと舞った。

 それは澄の護符術が発動した証だ。


 アキはこれまで何度かそれを目にしていたが、自分の手渡された護符は何の反応も見せなかった。


「……俺だけなんにも起きないぞ?」

「は? そんなわけないでしょ。誰でも使える様にしてあるし。ちょっとあっち行って、なんか喋ってみて。小声でね」


 澄が少し離れた場所を指差し、アキはそこで言われたとおりにしてみたが、アキの護符はなんの反応も示さない。


「……だめっぽくね?」 

「ホントだ。おかしいな……」

 確かに澄の護符からはアキの声がしなかった。とはいえ、他のメンバーの護符はしっかりと起動しているので護符の不調というわけではない……。


「もー! こんなことに時間割いてる場合じゃないのにー!」

「俺に言うなよ……他の護符は?」

「もういいいわ! アキは私と組むから! いいよね会長おじさん!」

 刃鬼は頷き、澄の肩に手を置いた。

「うん、そうしなさい。アキくんを頼むよ、澄」

 そして彼は全員に向き直った。

「さぁ、リューを探しに行こう!」



 その頃、桃井は駅へと向かう藤原の運転する車の中、力無くシートに体を預けてほとんど明かりのない車窓を眺めていた。


 藤原はルームミラーでその様子を見やり、桃井の心中を察して何か励ましの言葉でも……と思っていたとき、不意に桃井が口を開いた。


「藤原さん」

「は、はい?」

「……仁恵之里って、『おに』が出るって本当ですか?」



息を飲む藤原。

ルームミラー越しの桃井の表情は車内の暗さでほとんど見えなかったが、それだけが理由とは思えないくらさに藤原の背中はざわついていた。



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