第89話 もうひとつの仁恵之里

 桃井は子供の頃から漫画が大好きだった。


 漫画の世界に夢を見て、いつかは自分もその夢の一部になりたくて、漫画編集者になった。


 その『夢』が『現実』とは決して交わらないこともわかっていた。


 冒険の世界。

 モンスターのはびこる世界。

 それを退治する勇者のいる世界。

 そんな夢の世界。


 だからこそ、まさか自分がその夢の中の世界に足を踏み入れようとしているなんて、思いもしなかった。



 藤原の運転する車で武人会本部へ向かう車内で、大斗は終始無言だった。


 状況的に特に話すことが無いという事もあるが、それ以上に『理由があって話が出来ない』というような雰囲気だ。

(さっき言ってた武人会って、何のことだろう……)


 桃井は冷静になれと自分に言い聞かせていた。

 せめてそれだけでも知っておきたい。知っていれば、心の準備もできそうなものなのに。

 そんなことを考えていると、不意に車が止まった。

 武人会本部に到着したのだ。


「とりあえず降りてくれ、桃井さん……」

 大斗に促されるまま車を降りた桃井は息を呑んだ。

「……っ」

 目の前にそびえる広大な武家屋敷と、立派な門。

 その中央に掲げられた「仁恵之里武人会」という年季の入った看板……桃井は時代劇の世界に迷い込んだのかと目眩を覚えた。


「大斗!!」

 聞き慣れた声が桃井を現実に引き戻した。声の主は虎子だった。

 虎子は門の向こう側から駆け寄って来ていた。


「リューは山に入ったらしい! だから私達も早く……も、桃井さん?!」

 虎子は桃井に気が付き、直ぐに険しい表情で大斗の胸ぐらを乱暴に掴み上げた。

「貴様! なんで桃井さんを連れてきた!

 一般人を巻き込む気か!!」


 その鬼気迫る様子に怯える桃井。それを察した大斗は虎子の手を振り払い、桃井を庇うように彼女の前に立った。

「最後にリューと話をしたのは桃井さんなんだよ! リューのヤツ、桃井さんの顔見た途端、どっかに行っちまったんだよ……」

「な、なんだと……?!」


 心当たりがあるような虎子の様子に桃井は胸が騒いだ。

「説明は後だ、虎子」

 大斗は桃井の手を握り、その手を引いた。

「とにかく刃鬼さんとこ行くぞ。ついてきてくれ、桃井さん」

「は、はいっ」


 桃井は連れられるまま本部の奥へ奥へと進む。

 足早に進む中、流れていく風景は異様そのものだった。


 大勢の人間が慌ただしく動いているが、格好も様々で、スーツ姿もあれば作業着姿もある。

 それを一言で言えば、大規模災害に見舞われた田舎町の災害対策本部のような雰囲気だった。


(これって、リューちゃんのために……?)

 だがもしそうであればこんな武家屋敷ではなく、役場や公民館がその役を担いそうなものだ。

 少なくとも、この場所に役場の職員や警察官や自衛隊員といった人員は見当たらなかった。


「桃井さん」

 大斗に呼び止められ、足を止めた桃井。

 そこは広そうな一室の、ふすまの目の前だった。

「今からここの代表に直接話をしてほしい。他にも何人かいるが、そいつらはここの『主力』だ。そいつらも同席するが、よろしく頼む」

「は、はい……」

 わけもわからず承諾するしかない状況。桃井がそう返答すると、大斗はふすまを開けた。

「入るぜ、刃鬼さん」

 そしてふすまは開かれ、桃井はついに『御伽の国』へと足を踏み入れることとなった。


(……何? これ……)

 その部屋にいる面々を目の当たりにした桃井の感想はまさに『謎』そのものだった。


 護法澄

 鬼頭勇次

 有馬春鬼

 有馬珠鬼

 有馬麗鬼

 国友秋

 一之瀬虎子

 霧島伊助

 大豪院邪畏子

 そして、有馬刃鬼。


 それはアキは別として万が一の場合に即戦力且つ状況打開が可能と目される、現状で武人会が配備できる最強の面子めんつであった。


 万が一の場合とは当然『鬼との戦闘』であり、その中でも最悪の事態は『マヤとの戦闘状態』である。


 しかし、桃井の目には全くまとまりの無い面々で、ほとんどが子供だ。しかも澄とヤイコに至ってはほぼ小学生……一見すると単なる大家族か、親戚の集まりのようにしか見えない。


 まさか彼らが文字通り『一騎当千』の戦士達だとは、桃井は夢にも思わなかった。


 部屋に入るなり直ぐにその集団の中心にいた人物が立ち上がり、桃井に近づき丁寧に頭を下げた。

「ご協力に感謝します。私は武人会会長、有馬刃鬼と申します」

「も、桃井みつきです……」

「大斗からあなたの事は伺っております。我々に関して、大斗かれからは?」

「いえ……何も。ただ、ここに来て、何があったか話をしてほしい、とだけ……」

「そうですか……それは困惑された事でしょう。ご足労いただき感謝します」

「いえ、そんな」


 刃鬼の丁寧さと穏やかさとは対象的に、ヤイコの言葉は刺々しかった。

「会長先生、さっさと説明してもらいましょう。事態は一刻を争うわ」

 見た目が子供なだけに、ヤイコの一言は桃井の神経を逆撫でする……が、今はそんなことにかまってはいられない。


「まぁまぁヤイコさん、落ち着いて……しかし、そのとおりだ。桃井さん、早速ですが何があったのかお話し願えますか?」

「……はい」



 桃井はリューとの顛末を詳細に話した。

 しかし、話の内容からこれと言って原因らしい事は窺えない。

 一同が顔を見合わせる中、虎子だけは神妙な顔をしていた。


 刃鬼は「原因は分からないけど」と前置きをして続けた。

「リューが蓬莱山へ入ったことはスマートフォンの位置情報から確かだ。先遣隊が蓬莱神社周辺を捜索しているけど手がかりすら無い状態だ……」


 重苦しい空気の中、ヤイコが口を開いた。

「ただでさえ気が乱れた蓬莱山よ。このまま夜になれば死人が出るわ。すぐにでも私達が出るべきよ、会長先生」

 ヤイコの意見には澄も賛同した。

「そうだよ会長おじさん! 警備の人たちは神社まで下げとけば常世ちゃんが守ってくれるから、そこを防衛ラインにして私達で山の奥を探しに行こうよ!」

 澄が興奮している。それをなだめるように虎子が刃鬼に進言する。

「行こう刃鬼。こちらの準備は完了したはずだ」


 全員の意志が一致していくのを肌で感じていた桃井。彼女は迷わず声を上げた。

「私も行きます!」


 全員の視線が桃井に集まる。

 だが、その視線は「困惑」を思わせるものばかりだった。

 そんな曖昧な視線の中、唯一桃井に刺すような視線を向けていたヤイコが口を開いた。

「あなたが来ても足手まといよ。邪魔だから帰りなさい」


 その突き放す物言いに迷いは無い。

 ヤイコが放った言葉の冷たさは、子供の容姿からはアンバランス過ぎた。


 桃井は呆気に取られたが、彼女もあとには退けない。退くわけには行かない。

「な、なによあなた……子供が偉そうに!!」

「私がただの子供にしか見えないなら、尚の事あなたは何の役にも立たないのよ。さっさと帰りなさい」

「大人を馬鹿にしないで! なんなの? この子!!」


 顔を真っ赤にして憤慨する桃井に、ヤイコは心底面倒くさそうな視線を投げていた。

「……ねぇ会長先生。この人に全部教えてあげたら?」


 そう言って、ヤイコはわざとらしいほどのため息をついた。

仁恵之里ここが本当はどんなところで、私達が何者で、これからやろうとしていることがどれだけ危険で、それに対して自分がいかに役に立たない存在かを教えてあげたらどうかしら?」


 桃井に対して真っ向からケンカを売るヤイコに、刃鬼は血の気の引いた笑顔を引き攣らせている。

 虎子は刃鬼の代わりにとばかりにヤイコの肩を掴んだ。

「もう止せヤイコ……」

「なによ虎子。私は本当の事を言ってるだけじゃないの」


 中身は大人とはいえ、見た目が子供のヤイコにこれでもかとこき下ろされ、桃井は悔しさで顔を真っ赤にして涙をこらえていた。

 あまりの痛々しさに刃鬼は慌てて桃井に駆け寄り、ヤイコから距離をおかせた。


「桃井さん、あとは我々にお任せください。非常に申し上げにくいのですが、彼女の言うとおりここから先は大変な危険が伴います。ですので、どうか……」


 遠回しだが、刃鬼の言っていることはヤイコの言っていることと同じだった。

 桃井は悔しくて悔しくて仕方がなかったが、これ以上の無様を晒すのも嫌だった。


 リューの事は本当に心配だが、自分がここに居座ることがリューの捜索の支障にしかならないのなら……。

「……わかりました」

 桃井は涙を隠すように俯き、声を震わせた。

「リューちゃんの事、よろしくおねがいします……」


 そんな桃井を、ヤイコを除いた全員が悲痛な面持ちで見つめていた。

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