第87話 夕闇迫る
ふたりの共同作業の甲斐もあり、本棚の本は全て元通りになった。
「さぁ、そろそろ帰んないとだね」
魔琴は壁掛けの時計に目をやった。時刻はもうすぐ午後5時だ。
6月になって日は随分長くなったが、図書室には夕日が差し込んでいる。夜が来るのももう間も無くだ。
「お手伝い、ありがとうございました。魔琴」
「いやいや、原因の半分はボクだし。それに……楽しかった。ありがとう、リュー」
そして差し出された右手。リューは迷わずその手を取った。
「……ところで魔琴。さっき、あなたに触れた手が弾き飛ばされましたが……」
それはリューが先程の攻防の直前、魔琴の手首を掴んだ際に感じた衝撃の事だ。
リューの手は、まるで爆発に巻き込まれたような衝撃で弾き飛ばされたのだ。
「アレはあなたの『
「うん、そうだよ。痛かった? ごめんね」
「いいえ、もう大丈夫……すごい技ですね。反応する暇も無かったです」
「でしょでしょ? でも、ボクもリューの技をもっと見たかったなぁ。『
「ええ。きっと気に入って貰えるでしょう。だから、いつかまた『お手合わせ』しましょうね」
「そだね。『お手合わせ』ね。そういうことにしとけば、何かと都合がいいもんね」
あくまでも戦闘行為が禁じられているのであって、『手合わせ』であれば問題はない……というのは屁理屈かもしれないが、それはふたりとも分かっていた。
「じゃあ、今日のもお手合わせにしとく?」
ニヤリと笑む魔琴にリューも笑顔で答えつつ、人差し指を唇の前でピンと伸ばした。
「そうですね。でも、これはふたりだけの秘密です」
「……だね!」
魔琴は可笑しそうに笑うと、おもむろに下がってリューとの間に距離をとった。
「じゃあねリュー。またね」
すると魔琴の周囲に闇が集結。不死美がそうするように、彼女もまた闇と共に去ることが出来る。
それは彼女が正真正銘『マヤ』であることの証左だ。
「ばいば〜い!」
魔琴は笑顔で手を振り、闇とともに去っていった。
「……」
急に静まり返った図書室に、ひとり。
唐突な寂しさを感じたリュー。何かをしてそれを紛らわせたかった彼女は、一冊だけ仕舞い忘れた本を見つけ、それを先程の本棚に収めた。
その時。
「リュー、ひとつ言い忘れてた!」
「きゃあっ!?」
突然、リューの眼の前に魔琴の『顔だけ』が現れたのでリューは驚いて飛び退き、勢いで転んで尻もちをついてしまった。
「ごめんごめん。でも『きゃあ!』だなんてカワイイ反応〜」
魔琴は闇でできた『窓』から顔を出すような格好で可笑しそうに笑っていた。
「痛たた……帰ったんじゃなかったんですか? 魔琴」
「うん。でも、どうしても言っときたいことがあってさ」
「な、なんですか?」
「リューさぁ、なんか悩み事してない?」
「えっ?」
「あきくんの事じゃなくてね。なんていうか……よく知らない人が自分のテリトリーに入ってきて、なんか嫌だなー的な? それ系の悩み」
「うっ……」
リューの脳裏をかすめたのは桃井の顔だった。
桃井はまさに魔琴の言う通り、自分のテリトリーに入り込んでこようとしている『異物』だと、リューは無意識にそう感じていたのだ。
……無意識?
自覚があるじゃないか。
もうひとりの自分が耳元で囁いた。
「……うう……っ」
呻くような反応は核心を突いてしまったか。
しかもあまり触れられたくなさそうな反応だ。
「よ、余計な事言ってごめんねリュー。でも、ボクはリューが心配なんだよ」
魔琴に悪気はさらさらない。彼女は単にリューの心の負担を少しでも軽くしたかったのだ。
「ボクは鼻がいいんだ。だからわかっちゃんうんだよ。リューの心はそこだけすごく不安定。ボク、何か力になれることないかな?」
魔琴は真心から心配してくれている。
それはわかっている。分かってはいるが……。
「ありがとうございます、魔琴。でも、大丈夫ですよ」
その微笑みは無理をしている。
そんなことが分からない魔琴ではない。
だけど、しつこくしても無意味な事だし逆効果になりかねない。
「……ヤバいときは周りの人達に頼りなよ。澄とかあきくんとか。あと、めちゃくちゃ頼りになりそうなお姉さんもいるんだし。もちろんボクもね」
「お姉ちゃん……そうだ! 魔琴はどうしてお姉ちゃんの事を?」
「武人会、昨日夜回りやってたでしょ? ボクもたまたま夜のお散歩してたらそれに出くわしてさ。まぁ、いろいろあって虎子さんと『お手合わせ』することになってね」
「そ、そうだったんですか……」
「途中で邪魔が入って終わっちゃったけど、虎子さんヤバいね。強すぎ。めっちゃイイ匂いしたし。『また遊んでね』って言っといてね。あとヤイコさんにもよろしくね。ふたりともサイコーだよ」
「ヤイコさんにも会ったんですか。わかりました。ちゃんと伝えますね」
「うん! よろしくね」
闇でできた窓が少しづつ小さくなっていく。
「じゃあ、今度こそまたね、リュー」
「はい。さよなら魔琴……」
「あ、そうそう。イイ写真あったらちょうだいねってカメラマンのお兄さんにお願いしといてくれない?」
「カメラマン? 写真?」
「たぶんヤイコさんのお友達。言えば分かるよ。じゃあね〜」
闇の窓は空間に溶け込むように閉じ、リューは再び図書室にひとりきりとなった。
「……悩み、ですか……」
すると、急に胸がじくじくと胸が痛みだした。
桃井の事を考えたくなくても、考えてしまう。
時計を見やれば、時刻はもう午後5時を回っていた。
「……」
『桃井は帰った頃だろう』
そう考えてしまう自分が、本当に嫌だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます