第85話 あなたにとっての『武』とは?

 ぐらり……


 リューの『全て』がかしいだ。

 視界はどろどろに溶け、意識はその手を離れてしまった。


 魔琴の不可視の拳はそのはやさと軽さゆえに気取られることなく、しかし正確に顎を打ち抜き、リューの脳を確実に揺らした。


 痛みは殆ど無い。ただ、何かが顎先をかすったような感覚はあった。

 その軽い感触が、波状的に脳を振動させている。


 リューはこれまでこんなにまともに打撃を食らったことがなかった。しかも、脳にまで達するような打撃など。

 

 それもあって、彼女は本能的に感じていた。

 これはまずい……と。


「……っ」

 抵抗虚しく、そこでリューの意識は飛んだ。

 それまでこらえていた足腰から力が抜け、黒目を辛うじて維持していた瞳は呆気なく、ぐるんと白目をいた。


 魔琴はその数瞬の変化をじっくりと堪能していた。

 ふらつきながらも必死に耐え、しかしその努力も無駄に終わり崩れ去るリューを哀れに思いつつ、面白可笑しくもあった。


「……じゃあね、リュー」

 リューはふらりと前のめりにバランスを崩した。失神したまま顔面から床に突っ込むのだろう。

 魔琴はそれを最後まで見届ける事なく、吐き捨てる様に言った。

「あきくん、貰うから」



 だぁん!!!


 その音はリューが転倒した音ではなかった。

 それは、リューが自らを支えた音だった。


 リューの右足がもの凄い轟音と共に踏み込み、それを支柱に崩れ去りかけた自らの体を支えたのだ。

(……マジ?)

 魔琴はぞっとした。


 それは確実に仕留めたと思った相手がまだ諦めていないという事実と、弱りきっていた筈のその相手から信じられない程の気迫を感じたからだ。

「……アキくんを、どうすると言いましたか……」


(やばっ!)

 魔琴は考えるより先に行動していた。

 リューから感じるのは気迫だけではなく、明らかな『敵意』。

 であれば先手必勝!


 いや、先手を取って即座に終わらせるべきだと感じたのだ。そうでなければ、こちらがこの気迫に飲み込まれかねない!


 魔琴の選択した攻撃はシンプルな前蹴り。

 深く、大きく踏み込んだ態勢のリューの脇腹を爪先で蹴破るつもりで放った超速の前蹴り……が、まるで吸い込まれるように捕獲された。


「?!」

 リューは魔琴の前蹴りを躱しながらもそれをそのまま抱え込むようにして捕獲。回転するように蹴り足を巻き込んで膝関節を決めたのだ。


「九門九龍・武絶ぶぜつ!」

 蹴り足を抱え込み、膝をロックしての巻投げはその回転力が相手を体ごと巻き込む!


「やばやばっ!」

 下手に堪えれば膝を破壊されるだけではすまないと判断した魔琴は回転に逆らわず自らも回転。

 それで膝関節はやり過ごせたが、体は思い切りぶん投げられた格好になった。


「だあああっ?!」

 思った以上の遠心力で魔琴は図書室の床に投げ出されたが、そこはマヤの身体能力。すぐさま体を起こし、立ち上がった瞬間……


「九門九龍・渡楓わたりかえで!」

 既にリューは追い打ち態勢にあった。

 魔琴が顔を上げた時にはもうリューは間合いにいた。

 リューの右足は魔琴の左大腿部を踏みつけるようにしてその動きを制し、飛び上がった勢いをそのまま左の膝蹴りに繋げたのだ。


「〜〜〜っ!」

 フックの様に腰を切った膝蹴り!

 しかし魔琴は咄嗟に右腕を上げてそれを防御した……が、リューの変速飛び膝蹴りは魔琴の体を壁際の本棚まで吹き飛ばす程の威力があった。


 がぁん!!


 背中から本棚に激突した魔琴。

 背の高い本棚が激しく揺れ、鈍い音で軋んだ。 

「痛たたた……」

 膝蹴りの衝撃と背中の痛みに苦悶しつつも、その顔には笑みが浮かんでいた。


「ドラゴンスクリューからのシャイニングウィザードかぁ……カッコいいじゃん! 九門九龍ってプロレスの親戚?」

「プロレス? よく分かりませんが、プロレスに似たような技があるんですか?」


 九門九龍の2連撃を喰って尚、魔琴にはさしたるダメージが無い。しかも、それぞれ上手く防がれた……。

 リューは魔琴の底知れない戦闘能力に心がざわついた。

 彼女はこれまで戦ってきた鬼達とは明らかに格が違う事を肌で感じていたのだ。


「これがリューの九門九龍なんだね……虎子さんのとはちょっと雰囲気違うなぁ。でも、それもまた面白いよ……」

「お姉ちゃん? なんであなたがお姉ちゃんの事を?」

「だって昨日……」

 魔琴が言いかけたその時だった。


どさり。


 ぐらついた本棚から一冊、本が落ちてきたのだ。

「ん?」

 頭上から落ちてきた本は彼女の足元へ。 

「本……?」

「……あ!」

 と、リューが声を上げた時にはもう遅かった。


 先程の激突の影響が今頃やってきたか。

 揺らいだ本棚の上から順に、まるで雪崩のように魔琴の頭上へと本が崩れ落ちてきたのだ。


「ちょちょちょ、まっ!」

「魔琴!?」

「いっ痛だだだだ!!」

 次々に落ちてくる本が容赦なく魔琴の脳天を連打したのだ。

「うぎゃあ〜!」


 ややあって、落ちるだけ落ちてきた本の直撃を喰らいまくった魔琴は半泣きで頭をさすった。

「いいい痛いぃ〜〜!」

「……ぷっ」 


 まるで漫画の様な光景と、魔琴の可愛らしくて緊張感のないリアクションに堪えきれず、リューは思わず吹き出してしまった。

「笑うなよ〜っ」

 といいつつ、魔琴も自分の状況が可笑しくて、ついつい吹き出してしまった。

「……ぷぷっ」

「ふふふ……」

「あははっ!」


 戦闘中にも関わらず笑い合うふたりの少女は、既に戦士ではなかった。

 今、そこにいるのは『ただの女の子』ふたりだったのだ。


「……ねぇリュー、一時休戦にしない?」

 魔琴の瞳には邪気がない。

 その言葉に裏が無いと確信したリューは、いつものように微笑んで応えた。

「ええ。そうしましょう」

 そして魔琴に右手を差し出した。

「……」


 魔琴は一瞬ためらった……というより、その行為が意外すぎて、その手を取ることができなかった。

 それは今さっきまで命の取り合いをしていた相手に出来る行為だろうか。不意打ちをされても不思議ではないこの状況で……。


 しかし、リューにその手を収める様子はない。それはきっと、自分の言葉を信じてくれているからだ。魔琴はリューの真心に感激した。


「……ありがと」

 魔琴は素直にリューの手を取った。

 滑らかで華奢で、優しいその手の感触は魔琴がこれまでに感じたことのない『人間』のそれだった。


「さて……」

 リューは足元に散らばった本達を見て苦笑した。

「どこから片付けましょうか」

「……ボクも手伝うよ」

 繋がれたままの手をきゅっと握り、魔琴は笑顔で言った。


 それもまた魔琴の真心……リューはそう感じ、彼女の気持ちを素直に受け取ったのだった。

「はい。じゃあ、ふたりで片付けましょう」



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