第83話 ボクはなんでもお見通し

 リューは図書委員長特権をフル活用し、本来閉館日である図書室の鍵を開けた。


 仁惠之里高校の図書室は『図書館』と呼ぶ人もいる程に広く、蔵書も多い。

 リューは入り口横の受付に併設された『司書室』と図書委員が勝手に呼んでいる四畳半ほどの部屋で昼食をとることにした。


 もともとは物置だった畳張りのこの小部屋は日当たりがよく、静かだ。

 ひとりきりで食事をするのはもってこいの場所だが、今日に限ってはその静けさも、日当たりの良ささえも寂しさを際立たせるように感じられた。



 リューは早々に食事を済ませ、館内をゆっくりと歩いた。こうしていると気持ちが落ち着く。


 彼女は本が好きだった。

 大好きな姉が読書家だという影響もあるだろう。


 姉は史実を好んだ。

 特に戦史に対し、真摯に向き合うような態度を見せた。

 いつしかその理由を尋ねると、姉はこう答えた。

『私の認識と事実との齟齬そごを理解するためだ』と。


 以来、リューは男女の恋愛の物語を読むようになった。

 姉に倣い、リューは愛や恋を理解したかったのだ。


 リューを慕う男子は多かった。

 可憐で健気な彼女に想いを寄せ、それをそのまま伝えて来る者もまた少なくなかった。


 しかし、リューがそれらの気持ちに応える事は無かった。

 それはリューの持つ恋愛観と、彼女に寄せられる思慕の情とにそれこそ『齟齬』があったからだ。


 だから、恋愛小説の類を読めば何か得られるモノがあるのかもしれない。理解に繋がる手掛かりがあるかもしれないと期待し、しかしながら何も得られないまま今日に至っていた。


 だが、ここに来て変化があった。

 これまで向けられるばかりだったその感情が、自身から湧き出ている事に気がついたのだ。


 とはいえ、まだまだその感情への理解には至らない。


 だからリューは受付の椅子に腰を下ろし、引き出しにしまってあった読みかけの恋愛小説の続きを読み始めた。


「……」


 午後の静寂を味方に、黙々と読み耽るリュー。

 彼女はこの小説にはこれまでにない手応えを感じていた。


 なぜなら、主人公の少女が恋をする少年が、どことなくアキに似ていて、少女は自分に似ていたからだ。





 一方、魔琴はその形の良い鼻をひくひくさせながら例の芳香を探っていた。

「……?」

 微妙な変化があった。

 少しづつ他の香りが混ざってきたのだ。


「……本の匂い?」

 魔琴の家には『書斎の蔵書』と呼ぶには大きすぎる程の本棚……というか、書架がある。


 父・乱尽が長い年月を要して集めた本の数々だ。

 魔琴の鼻孔をくすぐったのは、まさにそういった本の「芳香」だったのだ。



「……ここって、図書室ってやつ?」

 魔琴が香りを頼りに行き着いたのは、図書室だった。


「お邪魔しま〜す……」

 入口付近に貼り出してあった『図書室ではお静かに』というポスターを目にしていた魔琴は素直にそれを守り、そっと忍び足で図書室へと足を踏み入れた。


「わっ……」

 入ってすぐ、魔琴は驚くような声を上げた。

 なぜなら、入ってすぐの受付で見知った顔がすやすやと眠っていたからだ。


「リュー……だよね?」

 リューは本を開いたまま、背もたれに体を預けて静かに寝息を立てていた。


 陽だまりの中、まるで小さな子供のように眠るリュー。

 その姿に魔琴は感動すら覚えた。

(……めちゃカワイイ……)


 魔琴は人間界のことをまだよく知らない。

 ただ、知識として執事兼家庭教師のフーチから人間界の様々な事柄を教えられているが、人間嫌いのフーチは人間に対しての偏見を捨てきれず、人間をやや醜いものとして扱っていた。


 しかし魔琴はどうしてもそれに納得がいかず、自分の目で見て耳で聞いて確かめようと、度々人間界に訪れて自ら見聞を深めていた。


 皮肉にも、魔琴を人間界に近づけていたのは無意識に遠ざけようとしていたフーチ自身だったということだ。



 魔琴の目には、人間は醜いどころか美しく映っていた。

 もちろん表面的な部分しか見えていないからということもあるだろうが、少なくともこれまで魔琴が出会った人間たちは親切で友好的で、無意味な争いを避けるような者ばかりだった。


 それに姿も清潔で美しく、個性的だ。

 魔琴は知れば知るほど、人間に惹かれていったのだった。



 魔琴は眠るリューにそっと近づき、息を深く吸った。

(すごく綺麗で、整った香り。こんなが、ホントに九門九龍ぶじゅつを……?)


 魔琴がリューを不思議なモノでも見るように見つめていると、リューの瞳が薄っすらと開き、少しずつその焦点を合わせていく。

「……あなたは……っ!?」


 そしてリューは居眠りしていたことにようやく気がついたようで、慌てて身なりを整えた。その様子が可愛らしくて、魔琴は思わず吹き出してしまった。


「ごめんごめん、起こしちゃった?」

「いえ、あの、ええと……本の貸出ですか?  返却ですか? 魔琴さん」

 リューの問いかけに、魔琴はほんの少しだけ意外そうな表情をして、すぐにそれを満面の笑みに変えた。


「ボクの名前、覚えててくれたんだね。嬉しいな」

「忘れたりしませんよ。魔琴さん」

「『さん』とかいらないよ。魔琴って、名前で呼んでね。てゆーか、呼んで欲しいな」

「……わかりました」


 リューが微笑むと、魔琴は本当に嬉しそうな笑顔を見せた。

「じゃあ、ボクはキミのこと『リュー』って呼ぶね!」

「はい。いいですよ」

「やったあ! こーゆーの、嬉しいな!」


 屈託のない魔琴の笑顔は見るものを安心させるのか、リューは起き抜けの来訪者にも特に取り乱すことはなかった。

 リュー自身、それを不思議に思っていた。


「ところでさぁ、リューはここでなにしてるの?」

「私は図書委員ですからね。司書の仕事をしています。蔵書を管理したり、貸出の手続きをしたり……色々です」

「本、貸してもらえるの?」

「ええ。でも、今日は図書室の閉館日なんです。だから今日は貸出はできないんですよ」

「そうなの? じゃあ、なんでリューはここにいるの?」


 魔琴のストレートな質問に、言葉を詰まらせるリュー。

 様々な事から逃げ回った末にここへ来たという自覚があるだけに、尚更本当の事は言えなかった。


「私は本が大好きなので……」

 自分でもよくわからない言い訳をしてしまった……リューは恥ずかしくなって魔琴から目を逸らすが、魔琴は気にする様子もなくニッコリと笑っていた。

「ボクも本は大好きだよ。難しいのは苦手だけどね」


 魔琴は嬉しそうにあたりを見回し、くんくんと鼻をひくつかせた。

「それに、本ってイイ匂いするよね。特にここは素敵。図書室って、いいね!」

「そうですね……」


 リューはおもむろに立ち上がり、受付から離れた。

「私も図書室ここが大好きです」

「そんな感じするよ」

「そうですか……」

 そして出入口まで歩き、ドアを閉めて施錠した。

「……リュー?」

 どうして鍵を掛けるのか……魔琴は理由を訊く前に、息が詰まった。

 リューから得体のしれない『あつ」を感じたからだ。



 静かな図書室に響く、鍵の掛かる冷たい金属音。

 その冷たさをそのままに、リューの冷めた声色が魔琴に問うた。


「そんな私の大好きな場所に、あなたのような『鬼』が、何のご用ですか?」



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