第81話 決戦は土曜日

 武人会の夜回りは日の出まで行われる。交代や休憩を挟みながらとはいえ、命の危険と隣り合わせの危険な任務だ。


 夜回りが終了する頃にはたとえ訓練を受けた者でさえ肉体的にも精神的にも相当に疲弊するため、武人会は休養のための施設を敷地内に保有しており、希望者には軽食や仮眠・休息を取っていくように勧めている。


 虎子は毎回それを楽しみにしているようで、自ら進んで休養施設へ向かった。

「じゃあな、アキ。12時に昼メシだから、食って風呂入って帰る予定で宜しく」

「昼飯は夜回りと関係ないだろ……」


 また会長にたかるつもりなのか……アキはリューの苦労を垣間見た気がした。


(ちなみに虎子曰く、ここは個室で休める健康ランドだそうだ)



 虎子を残して帰るわけにも行かないアキは彼女に倣い、男性用の施設へ。

 ヤイコも虎子と同じ様に女性用の部屋へと向かったのだが、彼女は横になることはせず、真っ先に机に向かった。


(呂綺魔琴か……まさに未知数ね)

 ヤイコは机の上に広げたタブレットPCに魔琴の情報を打ち込み、それを彼女の務める『大豪院セキュリティ・コンサルタント』東京本社へと報告していたのだ。


魔琴あのこ、私の香水が安物じゃないことを知っていた……それにスマホまで持っていたわ。一体、どうやって……)


 彼女が頻繁に人間界に出入りしているのは調査済みだ。

 彼女の様子からして様々な事に興味を持ち、人間界に対しての知識を深めているのだろう。


 だとしても、香水の銘柄は実際に香りを嗅いでみないと覚えようがない。

 ヤイコは愛用の香水の瓶をじっと眺めた。


(これは東京と大阪の実店舗でしか手に入らない。それなのに、魔琴はこの銘柄を知っていた……)

 その時、魔琴の背後にもうひとりの『マヤ』の姿が見えた気がした。


 それは乱尽や不死美、留山とは別の、そして例の高価な香水を連想させるもうひとりのマヤ……。

(……だとすれば、あのスマホの出処も納得ね。なにも魔琴が契約しなくても、『代わりに契約したモノ』を魔琴に持たせればいいんだから)


 やはりあの報告うわさは本当だったのだろう。


 ある諜報員が手に入れた、『マヤが人間界で商売をしている』という、にわかには信じ難い報告……。


 そのマヤはとても美しく、妖艶で、色気に満ちた「女性」のマヤだという。

 その名は……


有栖ありす羅市らいち。……に商売なんて始めていたなんて。調査が必要ね」


 タフな仕事になりそうだわ。

 そう呟き、ヤイコはPCを閉じた。




 午前7時。

 一之瀬家ではリューがひとりで朝食を摂っていた。


 いつもなら虎子と、アキと、大斗で食卓を囲んでの賑やかな朝食なのだが、今日は虎子とアキは夜回り、そして大斗は徹夜で原稿しごと中なのでリューは一人寂しい朝食になってしまった。


 しかし、彼女は寂しさよりも安堵の気持ちが大きかったので、ひとりの朝食はさほど気にならなかった。


(なんの連絡もなかったということは、夜回りは無事に済んだってことですよね)


 姉がついているから心配ないとはいえ、やはりリューはアキのことが気になっていた。

 しかし特にトラブルが起きた様子もない。であれば、今頃彼らは休息施設で休んでいるに違いない。


(私は私のやるべきことに集中です!)

 リューは今日の追試に全力を注ぐことを新たに決意した……その時、背後のふすまが開き、幽鬼の如く精根尽き果てた大斗が現れた。


「……今日、追試だろ……? 頑張れよ……」

「は、はい! 頑張ります! お父さんも、その、頑張ってくださいね……」

 見るからに完徹し、既に限界突破済みの大斗にどんな言葉が掛けられようか。今の大斗は頑張り切った末の姿に他ならないのだ。

(それでも『頑張って』以外の言葉が出てきません……!)


「……そうだ、リュー」

 消え入りそうな大斗の声は不安を掻き立てるが……。

「は、はい?! なんですか……?」

「桃井さん、昼頃来て原稿手伝ってくれるってさ」


 声以上に不安を掻き立てる、その名前。

 今日は桃井が原稿を取りに来る予定だった。


「そ、そうですか」

「昼飯持ってきてくれるって言ってたから、用意しなくても大丈夫だからな。試験は昼までには終わるだろ? だから無理して早く帰ってこなくてもいいから、お前は試験に集中しろよな」 

「……はい」 

「それで、桃井さんがお前の分も昼飯用意しようかって言ってんだけど、どうする?」


 大斗の手にはスマホが握られていた。ディスプレイがいているので、桃井からその問い合わせがあったのだろう。


「いえ、私は……約束がありますから。お昼は学校で……」

 リューは嘘をついた。


「そっか? じゃあ、遅くなりそうか?」

「わ、わかりません。でも、夕方には帰って来ます。お夕飯のこともありますから」

「そっか。こっちも夕方までにはなんとかなると思うよ……桃井さんも次の仕事があるらしくて、4時までには仕上げなきゃやべぇぞって念を押されてっから……」


 大斗の表情が一気に暗くなった。余程執拗な突き上げを食らっているのだろう。

「だからまぁ、俺のことは気にすんな。お前はしっかりイイ点取って、アキを喜ばせてやれよ」

「はい。絶対100点取ります!」

「ははは、その意気だ。頑張れよ」

「お父さんも、ですよ」

「ま、殺されない様に死ぬ気でやるよ……」

 大斗は散り際の戦士の様に薄く微笑んで、仕事部屋へと戻っていった。


 まさに戦地へ赴く父を見送る娘の心境……しかし、今日は自分にとっても「決戦の日」なのだ。

 この5日間、アキと培った努力の成果を、今日の追試で結果として形にするのだ!


「よーし! 頑張るぞ!!」

 リューは両拳をギュッと握って気合を入れるが、ゆっくりとそれを解いて口元にあてがい、物思いにふけった。


(……でも、アキくんとふたりきりの勉強会も、悪くなかったなぁ……)

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