第80話 ボスには内緒でお願いします
魔琴と鬼達が去り、一遍にがらんとした深夜の公園。
ヤイコは張り詰めた空気が緩み、危険が去った事に安堵のため息を漏らした。
「……霧島、あの子の写真、撮れた?」
ヤイコは耳に装着されていたワイヤレスイヤホンに触れながら言った。
するとすぐに霧島からの返答があった。
「撮れたも何も、あんなに可愛い
「えー……あ、そうね」
「でも望遠なのが惜しい! もっと近づきたかった!!」
霧島は遠く離れた森の中、木の幹と枝を足場にしてカメラを構えていた。
もちろん彼の耳にもワイヤレスイヤホンは装着されている。それは虎子も装着しており、彼らはそのワイヤレスイヤホンを介して連携を取っていたのだ。
「それにしても、ものすごい美少女だったねえ! 特にあの銀髪がイイ! 闇夜に映えるって言うのかなぁ……見てるだけでいい香りがここまで」
ブチッ。
霧島の声が唐突に途切れた。ヤイコが通信を一方的に切ったのだ。
「……ねぇ虎子」
ヤイコは虎子にどこか鋭い視線を向けた。
「あなた、魔琴の事を知ってた?」
「……どうしてそう思う?」
虎子はヤイコの視線から逃れるように顔を背けたままで彼女に問う。
「魔琴の事は会長と護法先生と澄の3人しか知らないんじゃなかった? 私も仕事柄、名前だけは知ってたけど容姿までは知らなかったわ。だけど、あなたは一目見てあれが呂綺魔琴だってわかってたようだから」
ヤイコは自分の耳のワイヤレスイヤホンを指先で小突いた。虎子と魔琴の会話はヤイコもイヤホンを通して聞いていたのだ。
「……以前、蓬莱山で彼女を見かけたことがあるんだ。一目見て呂綺乱尽の血縁だとわかったよ。彼女が秘めた宝才の感覚と、あの銀髪……見間違えるわけがない」
「見間違えるわけがない? ……あなたは呂綺乱尽を見たことがあるの?」
呂綺乱尽は滅多に姿を現さない。
まるで人間を避けるように、或いは忌むように、乱尽が人間の前に出ることはない。
だから現在、その姿を実際に目撃し、それを知るのは武人会会長である有馬刃鬼と、長年に渡って彼の補佐役を努めてきた澄の父親・護法
彼らも乱尽について言及することはないので実質『呂綺乱尽』という存在は知っていても、どのような姿なのかを知るものは前述の二人だけなのだ。
だからこそのヤイコの疑問だが、彼女は大きな点を見落としていた。
「ああ、見たよ。忘れるものか……雪は奴に殺されたんだ。私の目の前で、奴は……」
「っ!」
ヤイコはハッとして息を呑んだ。
12年前の『あの日』、虎子とリューの母は呂綺乱尽に命を奪われているのだ。
忍びという職業柄、それを知らないヤイコではない。
「……ごめんなさい。浅慮だったわ」
訊いてはいけないことを訊いてしまったとヤイコは即座に頭を下げた。
それ受けた虎子は小さく首を横に振り、ヤイコに顔をあげるように促す。
「いや……いいんだ。私はいいんだ。ただ、それをリューには知られたくない。リューもあの時に乱尽と遭遇しているが、姿までは覚えていないそうだ。だからヤイコ、リューのためにも私が乱尽の事を知っているということは黙っておいてくれ。でないとリューはきっと知りたがるだろう……彼女に余計な心の負担を増やしたくないんだ」
「それは勿論構わないけど……リューは見たことのない仇を討とうとしているって言うの?」
「そうだ。しかし、これには
「やめて。話さなくてもいいわ。それは一之瀬家の問題だもの。私は最初から口出しするつもりなんてないわ」
「……すまん」
今度はヤイコは微かに首を横に振った。
「この話はもう止しましょう。それよりも……」
そしてアキに刺すような視線を投げた。
「アキくん。魔琴と知り合いみたいだけど、どうしてかしら?」
ずい、と詰め寄るヤイコ。虎子も同じくずいずいとアキに詰め寄る。
「そ、そうだ。なんでお前は魔琴と面識があるんだ? しかもかなり親しそうな感じだったぞ?」
「そうよ。内容次第じゃあ今ここで尋問にかけないといけないかもね……」
いつの間にか抜かれていたヤイコのナイフがぎらりと煌めく。
「あわわわ……」
ふたりに詰め寄られ、アキにはもう後がない。
「は、話す! 話しますから、ナイフしまって下さい……」
そしてアキは喋った。
魔琴との馴れ初め、リューや澄との事、そして視聴覚室での会話など、魔琴の胸を触った事以外は全て包み隠さずに喋った。
「……と、こんな感じで……」
話を聞き終え、虎子もヤイコも沈黙した。
「……なに? ふたりとも。やっぱりなんかマズかったか?」
「いや、魔琴の件はなんというか、危ういものではないということはわかった」
虎子がそう言うと、ヤイコも賛同するように頷く。
「そうね。むしろ友好的な内容でホッとしたわ」
「リューとの関係性を察してくれた澄のおかげで最悪の事態は回避できそうだ……しかし」
虎子の含みを残した語尾に、ヤイコも神妙な面持ちだ。
「え? 俺、なんかヤバいの?」
「アキよ、その事を刃鬼に話したか?」
「……いや? 別に。澄も別にいーんじゃない的なノリだったから」
それを聞いたヤイコは天を仰ぎ、虎子は俯いて額を抑えた。明らかに『やっちまったなー』という仕草だ。
「え……何? そんなにヤバめ?」
「お前は刃鬼の恐ろしさを全く理解してない」
項垂れる虎子に代わり、ヤイコが続けた。
「会長先生はね、とーっても真面目な方なのよ。特に武人会なんて特殊な組織の
「い、いや、でもそんなの知らないし、澄も別に言わなくてもいいって言ってたし……」
「それは澄の主観でしょう? 人のせいにしない!」
「す、すいません!!」
まるで小学生のような少女に叱られ、小学生のようにションボリしてしまったアキ。
(すげぇ威圧感……つーかこの人、ホントは何歳なんだ……?)
ヤイコは自分を落ち着かせるようにため息をひとつ。そしてアキに向き直った。
「あなたはまだよく知らないのは仕方ないにしても、マヤは他のザコ鬼とは別次元なのよ。マヤ1人が核爆弾1発くらいの危険度があるの。なんとかマヤに取り入ろうとしてる馬鹿もいるくらいよ。それを鑑みれば、未確認のマヤと遭遇なんて一大事、しかも個人的な会話までしてたなんて、会長先生に報告するのは当然なのよ」
「わ、わかりました……以後気をつけます」
アキは留山と個人的に色々とお話ししてしまっている事実は永遠に伏せておこうと心に決めた。
突如、「ピピピッ」という電子音が闇夜に響いた。
虎子の腕時計だった。
「……まぁ、とりあえず詰め所に戻ろう。交代の時間だ」
「そうね」
と言って、虎子とヤイコはアキの顔を覗き込むように見た。
「な、なに……?」
「アキ。さっきの話、刃鬼には絶対するなよ」
「な、なんで? 『しろよ』的な流れだったろ?」
「お前の話を聞いてしまった我々まで、刃鬼のねちっこい尋問の対象になりかねんからだ。それはマジで勘弁願いたい……」
ヤイコもその細い体を自分で抱くようにして身震いした。
「会長先生の『長時間質問攻め』は東京でも有名よ〜。流石の私もあの人の尋問に耐えられる自信無いわ」
「お、俺……死んでも黙っとくわ」
「うむ、懸命だな」
「お利口さんね」
そして公園を後にする3人。
虎子はふと腕時計に目をやった。
時刻は午前を回ってすぐだった。
(リュー……)
魔琴の事とリューの事が交互に浮かんでは消えていく。
(私はどうすればいい……?)
そして、アキの横顔に今は亡き想い人の姿を重ねた。
(教えてくれ、藍殿……)
同時刻。
一之瀬家では明日の準備を終えたリューが就寝の支度を済ませていた。
「アキくんのおかげで明日は上手くやれそうです……ありがとうございます、アキくん……」
感謝の気持ちと、明日の試験への決意。そして彼の無事を祈るリュー。
(お姉ちゃんが付いてるから安心とはいえ……今すぐにでも私も行きたい!)
しかし、ぶんぶんと
「だ、ダメですよね、私は私のやるべきことを頑張らないと……」
そして部屋の明かりを消し、ベットに入った。
(アキくんのこと、お願いしますね。お姉ちゃん……)
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