第78話 武人としての一之瀬虎子
虎子とアキを取り囲む異形の鬼達はまるで獣の群れだった。
うめき声や唸り声、笑い声にも聞こえるそれらの発する『音』は不気味そのもので、アキはそれだけで萎縮してしまう。
「こ、こんなの……リアル『
異形の鬼の大群に囲まれた恐怖で震えるアキとは対象的に、虎子は落ち着いた様子で辺りを見回し、ため息をついた。
「この程度でビビるなよ。よく見ろ、雑魚ばっかりだ。アイドルの握手会のほうが余程『蝕』だよ」
異形に向かって言う虎子。そして『やれやれ』といった風に肩をすくめてみせた。
「喧嘩を売る相手は吟味しろよ……」
虎子がそう呟くと同時に、異形の中から小型の鬼が飛び出した。
その猿のような見た目の鬼は、アキには全く捉えることの出来ない程の凄まじい速さだった。
「キイイッ!」という不愉快な鳴き声は虎子への攻撃の意志で溢れ、鋭い爪と牙が月の光でぎらつく。その殺意をそのままに虎子へと襲いかかるがーー。
「ヒィッッ?!」
鬼は突然急停止し、そのまま固まってしまった。
「虎子!! ……虎子?」
アキはその段になって初めて猿のような『鬼』の存在に気がついたが、鬼はただ棒立ちになっている虎子の目前で静止している。アキには彼らがどんな状況で、何をしているのかが全く分からなかった。
(何してんだ? 虎子は……)
虎子は特に戦闘態勢を取るでもなく、子供が拳銃を打つ真似をするように右手人差し指を鬼に向けていた。
ただそれだけで、指をさされた鬼はまるで氷漬けにでもされたかのように硬直してしまっていたのだ。
「……この時期に揉め事は起こしたくない。貴様らの飼い主は誰だ? 留山か? 平山か?」
虎子は鬼に問う。鬼は固まったまま沈黙していた。いや、沈黙だけがその鬼に許されていたのだろう。何かをしたくても、恐怖のあまり体が動かないのだ。
「帰って飼い主に伝えろ。一之瀬虎子にいじめられたとな。そうすれば、手ぶらで帰っても誰も貴様らを咎めまいよ」
鬼は震えていた。それは絶対的な絶望感が故だ。
虎子から発せられる強烈な殺気と圧倒的な
その鬼にとって、向けられた指先は銃口とも切っ先とも違う殺傷能力を持った、得体の知れない『何か』だったのだ。
「貴様ら、もう二度と里に下りてくるな。死にたくなければな……」
そんな虎子の存在そのものが、鬼達全てに警告していた。
「失せろ」と。
「……!」
その時、突然虎子が顔を上げた。
その変化にはアキも気付いた。
鬼達も急に静まり、さっきまでの禍々しさが嘘のように大人しくなった。
何かが来る。気配で分かる。
それは、生物が本能的に備える
「……あ〜! やっぱりあきくんだぁ!」
異形が蠢く禍々しい風景とは真逆の、陽の光のような明るい少女の声が
暗闇を切り裂く様な、その美しい『銀色の髪』と、場違いに瀟洒なドレスに
そしてその飛び抜けた美貌が目を引いた。
「やっほーあきくん! こんばんわぁ」
黒い霧の様な闇を引き連れ、現れたのは魔琴だった。
「ま、魔琴……」
「月が綺麗な夜だねぇ! 思わずこんなとこまで来ちゃったよ。ねぇ? みんなもそうだよね?」
瞬間、鬼達が姿勢を正して静粛し、魔琴に注目した。
「人間を襲ったり……してないよね〜?」
鬼達は緊張した。その表情は皆一様に返答次第でどうとでもなる事を悟っている弱者のそれで、
それは明らかに『
「ところであきくんは……そっかぁ、『夜回り』ってやつ? あきくんも武人会だもんね。ご苦労さま……って、そこのおねーさんは? 武人会の人?」
魔琴は虎子に笑顔を向けた。
「こんばんわお姉さん。はじめましてだよね? ボクは……」
「呂綺 魔琴だな」
虎子は魔琴が名乗るより早く、そして確かめるように言った。
そして、その言葉にアキは息を飲んだ。虎子は魔琴を知っていたのだ。
澄の話の内容とは違う展開に、どうしようもない胸騒ぎを感じた。
「……ぉぉおおわぁぁお……!」
突然、魔琴の口から困惑とも歓喜とも取れない、掠れるような奇声が零れ落ちた。
魔琴は感じていたのだ。目の前の女性が自分に向ける、明らかな殺気を。その殺気は信じられない程の密度と精度で磨き抜かれ、鋭く、尖り、
「お、お姉さん、スゴ……」
魔琴は震えた。それは恐怖などでは全く無く、純粋な感動で震えていたのだ。
これ程の強者、そうそうお目にかかれない。
「武人会の人? 名前、教えてよ……」
まるで発情しているような、
虎子は剥き出しの殺意そのままに、答えた。
「一之瀬 虎子」
「……一之瀬……とらこ……あ! 思い出した! つーか、マジで!?」
魔琴は憧れのアイドルに出会った年相応の少女の様に、両手で口元を隠すようにして瞳を潤ませた。
「あなたが一之瀬虎子!? パパから何度も話してもらったんだよ。あなたの事を!」
「
「めちゃめちゃ強い、最強の武人だって!」
「……ほう。最強かどうかは分からんが、それなりに評価はされているようだな。だが、上には上がいるものだぞ、魔琴」
「ううん、パパはいつも言ってたよ! 虎子さんがナンバーワンだって! いつかお前も手合わせをしてもらえるといいなって、小さい頃から言われてたんだよ!」
「そうか……では、やってみるか?」
「……へ?」
「手合わせだよ」
虎子は構えた。
半身になり、左手を胸のやや前方。右手は顎の手前。拳は握らず、緩やかな開手。
アキは虎子がこんなふうに……明らかな敵を前提として構える姿を初めて目撃した。
「うぅぅわぁああおおっ……!」
魔琴の口から再び歓喜の声が溢れ出る。
「ま、マジで? いいの?」
「『武』に関して言えば、私はいつでも
「やっば……カッコイイ……!」
この期に及んで『やめろ』だの『待てよ』だの、アキにはとても口にできなかった。
虎子と魔琴の周囲には高密度の殺気が渦巻き、近付いただけで全身が灼けてしまいそうな危険すら感じたからだ。
周りの鬼達は巻き添えを食らわないように後ずさり、アキも同様に……いや、足が勝手にふたりから距離を取った。
「んじゃ、お言葉に甘えて……っ!」
魔琴はニヤリと笑むと、砂塵と共に『消えた』。
(消え……?!)
アキが見たのは、踏み込んだ直後に消えた魔琴と、ほぼ同時に虎子の間合いで廻し蹴りを繰り出す魔琴の姿だった。
(
まるで瞬間移動の様な魔琴の動きもさることながら、首を落とさんばかりに鋭い魔琴の蹴りを紙一重で躱した虎子もまた驚異的だった。ドレスから伸びる長い脚が虎子の眼前で空を切る。
「今の避けるぅ?!」
だが、魔琴もそれだけでは終わらない。
「じゃあ、これならどうだぁ!!」
まるで
「うむ、中々の腕前だ!」
しかし、虎子は魔琴の連続蹴りをそれこそ煙の様にゆらゆらと
「わあお! ぜんっぜん
全ての蹴りを躱し切られたのに、魔琴は嬉しそうに笑っていた。
その余裕……その隙を、虎子は見逃さなかった。
「……九門九龍」
虎子の気配が変わった。それまでの『静』が、『動』へと変わったのだ。
「『
蹴り出された虎子の右足が、鞭の様にしなった。
それは魔琴の蹴り足が引き戻されるタイミングに合わされたローキックだったが、軌道が明らかにおかしい。
思い切り腰を切り、蹴り足を最大射程に持っていこうとするのはわかるが、虎子の蹴りはまるで鞭の様に
「ええっ!?」
魔琴も驚いたことだろう。なにせ虎子の蹴りは獲物に食らいつく蛇の様に自身の脚に食らいついてきたのだから。
「痛っ!!!」
魔琴が
虎子の蹴り足は魔琴の足関節に絡みつくようにロックし、そのまま関節を極めていたのだ。
「いっ!! ッ痛たたたたあっ!?」
魔琴の顔が苦悶に歪む。
虎子は絡み付けた自分の蹴り足を魔琴のそれごと目一杯に引っ張り込み、そのまま魔琴を引きずり倒してしまったのだ。
「ぅぎゃっ!!」
背中から地面へと引きずり込まれた魔琴。
虎子は仰向けに引きずり倒した魔琴の右足を掴みながら、それを跨ぐように一回転。掴んだ魔琴の右足と、彼女を跨ぐ左足とを梃子の様に利用し、もう一つの技を完成させていた。
「九門九龍・『
虎子の繰り出した技を一言で表現するのなら、それは美しいまでに完成された『スピニング・トーホールド』だった。
「いだだだだだだ!!!」
魔琴の絶叫が夜の公園に響き渡った。
まるで最初から手順が決まっていたかの様な、流れるような、素早く無駄のない手管……それらを何の苦もなくやってのけた虎子の技量は、素人目に見ても見事の一言に尽きた。
「……今日はここまでにしておくか? 魔琴よ」
極められた魔琴の右脚に虎子が
「……
魔琴の目から余裕が消えた。
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