第77話 夜を駆ける

 夜回りは6月から9月にかけて行われるが、毎日というわけではない。


 蓬莱山の気の乱れは過去500年に渡って記録され、その時々の暦や天候、そして人的被害から非人的被害まで詳細かつ膨大なデータが蓄積されている。


 武人会はそのデータをもとに夜回りの要不要を予め予測し、夜回りのカレンダーを制作するのだ。


「……とはいえ、一回一回の規模がデカいし、間隔が狭い時もある。当然、不測の事態もな。だから我々の様な正武人やヤイコのような助っ人が必要なんだよ」


 虎子は夜回りについてアキに説明しながらパトロールをするが、アキにとっては何かしらの危険の気配すら感じられない、平和な夜だった。


 田んぼから響く蛙の大合唱や、風に揺らぐ草木の音。そして満天の星空……危険どころか、仁恵之里の自然の豊かさと美しさしか感じない。


「鬼か……」

 あまりにも現実離れした存在だが、実在することをアキはその身で知っている。

 あの時は虎子に助けられて命拾いしたが、これからはどうなんだろうか。

 またあの時のような事が、起こるのだろうか。 


 そう考えると、アキの心臓は何者かに鷲掴みされたように締め付けられるのだ。


「……アキよ。お前に訊いておきたいことがあるんだが」

 虎子は突然、真剣な眼差しで問うた。 

「お前は以前、鬼と対峙した際に逃げるどころか、立ち向かっていったそうだが……」

「ん、まあ……よく覚えてないけどね。勝てっこないのはわかってたけど、どうしてだか逃げるって気持ちにはならなかったよ」


 歩いているときは意識していなかったが、いつの間にかふたりはかつてアキが鬼に襲われた『記念公園』へと向かっていた。 


 そこが彼らに割り当てられた夜回りのコースだったからなのだが、『だからこんな話をするのだろうか』……と、アキは虎子の質問の真意を測りかねていた。


「体が勝手に、という感じか?」

「そう……なんていうか、『分かる』んだよ」

「わかる? 分かるとはどういうことだ?」

 虎子の声色が変わった。

「なんていうかな……相手の攻撃とか、動きとかにどうやったら勝てるかとか、先手が取れるかみたいなことが分かるんだよ。うまく説明できないけど、それに合わせてやれば、喧嘩でも負け無しだった。鬼には全然だったけどな」

「……ふむ」  


 虎子は何かを沈思するような表情かおで続けた。

 その頃には、ふたりは記念公園の慰霊碑の前まで来ていた。


「……例えば、そうだな……今回リューが追試を食らった数学のテストだが」

「テストぉ?」

 突飛なセリフに思わず声が裏返るアキだったが、それは隠し事を暴かれる様な心持ちがあったからに他ならない。


「そう、テストだ。お前はあのテストのために予習をしたか?」

「……いや、特に……普通に授業でやったところだったし」

「リューから答案を見せてもらったが、中々の難問揃いだった。あれは相当な対策無くして93点という高得点は叩き出せん。ちなみに勇次は100点だったそうだが、あいつはあれで物凄いガリ勉だし、数学が得意だ。しかしお前は特に何もしなくて勇次と大差の無い点数だった……という事か」

「な、なんだよさっきから。まさか、俺がカンニングしたんじゃねーの? とか言いたいのかよ?」  

「まさか。むしろ、『答えがわかっていながら、わざと何問か間違えたんじゃねーの?』と言っている」

「っ!」

 アキは息を飲んだ。

 図星だったのだ。


「……お前は『問題を見ただけで正解がわかった』。それをそのまま書けば満点だが、それではそれこそカンニングを疑われかねない。実績がある勇次がとる100点と、特に対策らしい対策をしていないお前がとる100点では教師の印象も違う。だからお前は目をつけられないように『わざと』何問か間違えたんだ。違うか?」

「……」


 なにをそんな、バカバカしい……と切る捨てることが出来なかった。


 正鵠せいこくを射るとはまさにこの事で、アキは鋭い矢で射止められた様に動くことすら出来なかったのだ。


「喧嘩に対しても同じだな。お前は相手が何者だろうと『その能力』で対処が出来た。それが出来れば、勝ち筋を探るのは容易い……そんなところか。ただし、あまりにも実力がかけ離れた相手にはそれは出来なかった。例の鬼がいい例だ。あの鬼は動物で例えるなら野生のひぐまの3倍程度の戦闘能力があった。我々武人にとっては雑魚だが、普通の人間が鍛錬で到達出来る範疇には全く無い」


 アキは絶句した。

 全て彼女の言う通りだったのだ。


 その様子を見て虎子はアキの心中を察し、再び神妙な表情かおをした。


「……かつて、お前と同じ様な能力を持つ男がいた」

 虎子の表情が急に曇った。それは悲しみに耐える人間の表情それと言っていいだろう。


「その男は相手がいかな達人であろうと同等の技量でもって相対する事が出来た。まるで今のお前のようにな」


 虎子の瞳が月の光を反射し、きらきらと宝石の様に揺れている。

 彼女は何故か泣いていた。


「それは武術ではなかった。識とも違った。その男は『武』だけではなく『学』にも同様の能力を発揮した。お前のようにどのような学問に対しても『見ただけで正解がわかる』と言っていた。彼は『武』に対しても『識』に対しても、そして鬼の操る『宝才ほうさい』という神通力に対してもそれを発揮した。彼の能力はそれら全てを『分解』してしまったんだ。武術に対しては同等の技量で相殺し、識や宝才はそれそのものを分解し『無効化』してしまう。私は彼のその能力がどのようなものか、どういった原理なのかついぞ理解できなかった……いや、出来るわけが無かったんだ。その能力を得る代償に、武力ぶぢからへの耐性を失うなんて、全く荒唐無稽も甚だしい……そんな『無意味』にも思える能力が、確かに存在したんだ」


 虎子は立ち止まった。

 立ち止まり、アキを見つめていた。

 月明かりに照らされた彼女の瞳は、まるで愛する者を見つめるような『想い』を湛えていた。 


「その男に、お前は瓜二つだ」

 虎子の声が震えた。その拍子に、瞳からふた粒、涙の雫がこぼれ落ちた。 


「まさかとは思ったが、能力ちからまで似通っているとは……単なる偶然なのか? これは……」

 虎子は嗚咽を必死に堪えていた。 

 その代わりに、涙はポロポロと零れ落ちて地面に染みを作っていく。


「……お前の顔を初めて見たとき、心臓が止まるかと思った。『藍殿あいどの』と、縋り付いて泣きそうになった……今もその気持ちは変わらない。私は時折、お前に『藍之助殿あいのすけどの』を重ねてしまう。今は亡き、私の唯一の君……」


 藍之助……蓮角藍之助。


 アキはかつて裏留山が言っていた男の事だと直感した。そしてその能力の事も。


 彼が言っていた蓮角藍之助に対する内容と、虎子が話したそれとが合致するのだ。 


「……虎子……っ」

 アキは戸惑いよりも、目の前で少女のように涙を流す虎子に心を奪われていた。

 月の光の下、想い人の為に涙を零す虎子はあまりにも可憐で、美しかったのだ。


「あ……あいどの……藍殿!」

 突然、虎子はアキの胸に飛び込んだ。

「藍殿……藍之助殿! 逢いたかった……逢いたかった!」


 激しい慟哭と痛いほどの抱擁に、彼女の藍之助に対する想いの大きさを感じるアキ。

 それほどにアキと藍之助を重ねてしまうからこそ、虎子は葛藤していた。


「……わかっている。分かっているんだ……お前が藍之助殿では無いことは。そしてお前に藍殿を重ねる事は、リューに対する不義理だという事も……しかし、お前の前では気が緩む。私の『女』が顔を出してしまう」


 虎子はゆっくりとアキから離れ、自分を落ち着けるように深呼吸をした。 

「だから……」

 そしてさっきまでとは別人のような鋭い瞳で呟いた。 


「……だからと、言い訳にはならんよな。私もまだまだ未熟者よ」

 ぐすんと鼻を啜り。潤んだ瞳を赤くしたままで自嘲するように笑った。


「な、何言ってんだよ虎子? どういう意味だよ??」

「……囲まれてしまった」

「え?」


 直後、夜の闇が蠢いた。


 それは四方八方からアキと虎子を取り囲む、異形の群れだった。

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