第73話 夏の準備と忍者

 その夜。蓬莱神社の社務所兼自宅では蓬莱常世がハンドガンの分解清掃をしながらアキのことを考えていた。

(アキくんか……スジは良さそうだけど)


 昼間、虎子が突然現れて『アキに蓬莱流を教える気はないか』という相談を持ちかけてきた。


 アキの識が何かは依然として判明していない。もしかしたら識匠として戦える程の強さではないのかもしれない。そこで虎子は蓬莱流ならどうか、と考えた。

 蓬莱流は識も武力も必要としない純粋な『戦闘技術』だ。極めれば武人のように鬼とも戦える事は常世がその身で証明している。


 アキの能力に期待以上の力が認められなかったという『もしもの時』。その備えとしては悪くない考えだとも思う。

 しかし、常世はすぐに答えを出さず、少し考えさせてほしいと回答した。

 アキに蓬莱流を伝授することを躊躇していたのだ。


「もし期待以上の力をつけるようであれば、否が応でも巻き込むことになるでしょうね……」

 そして窓から山を見た。これまで何度も何度も、長い年月に渡り見守り続けた蓬莱山。その山の『気』が、今年も乱れている。

「この気の乱れは何度経験しても嫌なものだわ」

 完璧に清掃、整備を完了した銃をケースに仕舞い、深く大きく呼吸した。

「また、夏が来るのね……」

 そして再びアキのことを考えた。


 整った顔立ち。

 痩せ型ではあるが筋肉質な身体。

 優しい心根。

 そして、武力に耐性のない、揺らぐ識。


「あの子は、藍之助さんに似過ぎだわ。なにもかもが……」

 常世はソファに腰を埋め、どうしたものかと考えながら、深い眠りに落ちていった。



 その頃。

 東京のとある繁華街の、とある居酒屋。

 桃井みつきはその居酒屋で3対3の合コンに参加していた。

 参加、といっても人数合わせで無理矢理連れてこられただけで、桃井はこの合コンになんの価値も見い出せ無かった

(……はあ、つまんねー。はよ帰りてー)

 

 相手は同業他社の男3人。同世代の割に会話の内容はマンガ、アニメ、ゲーム、ネットの話ばかりで、もっと業界の突っ込んだ話や情報交換を期待していた桃井は期待外れも甚だしく、ひたすら酒をあおって退屈を紛らわせていた。


 狭い個室でいい歳こいた男女がテーブルを挟み、のない会話に花を咲かせる……じつに無駄な時間。唯一の救いは飲み放題ということだけ。

 桃井は生ビールのピッチャーを独り占めせんばかりに黙々と飲み続けた。

「お、桃井さん強いねー!」

「みつきって酔ったことあるの?」


 ほぼ全ての会話に曖昧な笑顔と相槌でのらりくらりとやり過ごす桃井。

(……大斗さんと飲めたら楽しいんだろうなぁ)

 あの太い腕。太い首。広い背中。

 豪快の中に繊細がある、不思議な人間性。

 いつしか桃井の心の中で大斗の占める割合は驚くほど大きなものになっていた。


 同時に、大斗の事を想えば想うほど平山不死美の事も考えてしまうようになっていた。

(あんなに綺麗な人だもんね……大斗さんもきっと、私なんかより……)

 なんて、時折弱気になってしまう。

 そんな時は、酒だ!!


 ぐいーーーー!


 桃井がジョッキに波々なみなみ注がれたビールを一気にあおり、手酌でもう一杯いこうとした、その時。

「……でさ、そこに鬼が出るって噂なんだって」

 男のひとりが面白可笑しそうに言った。

「俺がいつも見てる心霊系ユーチューバーのチャンネルでやっててさ。鬼伝説とか、それを退治する集団の噂とか、結構面白くてさぁ」

「ええ~? 今どき、鬼ぃ? どこなのよ、そこ?」

「確か、にえのさと……だったっけ?」


 ビールを注ぐ桃井の手が止まった。

「……はぁ?」

 そしてその男の目の前の席に座り、

「今、なんて?」と、凄んだ。

「え? お、鬼が出るって……」

 怯える男。桃井の目はわっていた。

「その次! 場所!」

「に、にえのさと……」

「もっと大きな声で!」

「にえのさとぉ!」


 桃井は手酌で波々注いだジョッキのビールを飲み干し、男の隣に座り直した。

「その話、詳しく!!」



 ……仁恵之里の噂は定期的にネットを中心に囁かれ、そして他の噂話に紛れて消えていく。

 大抵は下らない噂話として右から左へ流れてゆき、そして消滅する。

 しかし、中には核心を突いてしまう者もいる。先程話の中に現れた心霊系ユーチューバーもそのひとりだ。

 そういった悪い芽は早急に摘む必要がある。武人会の手が届く範囲であれば武人会がそれを行うが、それができない場合は『協力者』の手を借りる事もある。


 東京にはその協力団体があった。

 彼らは諜報スパイ活動に優れ、戦闘能力も文句なし。場合によっては荒事もこなす秘密の集団……永きに渡りこの国の裏で暗躍する彼らを、人は『忍者』と呼ぶ。


 そして武人会からの依頼を受けて、くだんのユーチューバーの元にふたりの『忍者』が訪れていた。


 ひとりは中肉中背の青年。

 ひとりはまるで子供のような少女。

「ここが例のユーチューバーの家だってさ」

 青年はボロアパートの安っぽい扉を見てつまらなさそうな顔をした。少女はただ一言、

「汚いわね」

 と、吐き捨てた。


 ふたりとも忍者装束……ではなく、街の雑踏に溶け込むようなスーツ姿である。

 青年はいかにも人の良さそうな印象で、少女の方は気の強そうな目つきとサラサラの長い髪、そしてその少女らしくない大人の様な美貌が特徴的だった。


「夏が近づくと毎年増えるのよね。こーゆーバカが」

 少女はスマホで例のチャンネルを確認していた。小さなディスプレイの中では小太りの男が仁恵之里について有る事無い事を吹聴している。

「鬼のことだけならまだしも、武人会の事に触れたらダメだなぁ」

 青年は苦笑いをした。

「……ねぇ霧島きりしま。今年もその武人会から応援要請が来てるんだけど、行く?」

 霧島と呼ばれた青年は肩掛けの鞄から性能の良さそうなカメラを覗かせ、満面の笑みを見せた。

「行くに決まってるよ。そのためにカメラを新調したんだ。仁恵之里の美しい自然を写真に残すのが僕の夏の楽しみなんだから!」

「なぁにが美しい自然よ。どさくさに紛れてリューや澄を隠し撮りしてんの知ってるわよ。この変態! ロリコン!」

「いやいや、リューちゃんや澄ちゃんだけじゃないよ。春鬼くんの妹ちゃんもカワイイんだぁ。仁恵之里は他にもカワイイ娘がいっぱいいて……移住してもいいかなあ……」

「向こうから断られるわよ。つーかあんた仕事しなさいよね。そのカメラだって経費で落としたんでしょうが!」 

「うるさいなぁ。ヤイコもリューちゃんたちを見習って少しは可愛らしくしなよ。せっかくちびっこい見た目なんだからさぁ」

 ヤイコと呼ばれた少女は霧島を穢れたものを見るような目で睨むと、「警察に捕まれこの変態カメラ小僧」と、吐き捨てた。


 ややあって目の前の安っぽい扉が開き、中から例のユーチューバーの小太り男が顔を覗かせた。

「……なんだよあんた達。人ん家の前でうるさいよ」

 あまりに騒がしすぎたか、呼び鈴を押す前に向こうからやって来てしまったようだ。

 しかしヤイコは臆することも遠慮することもなく、小太りの正面に立った。


「あんた、仁恵之里の事でくだらない動画配信してるわよね」

「は? ……なんだよ、あんたら」

 目の前のスーツを着た少女と青年という意味不明な組みあわせとその質問に戸惑うユーチューバー。霧島は笑顔で続けた。

「あの動画配信、やめてもらいますね」

「おいおい、いきなり何言ってんだお前ら……?」

 ヤイコは小太りの態度に苛立ちを隠さなかった。

「はぁ。もういいわ。とにかくパソコンもスマホも全部没収するから。資料も全部出しなさい。あと、あなたの記憶も消すから」

 ヤイコは小太りを押し退け、土足で彼の部屋に入っていった。

「お、おいコラ! 待てよ!!」

 憤る小太り。しかし、霧島が「まぁまぁ」と、彼をなだめた。そして……

「すいませんねぇ。すぐ済みますから」

 笑顔のまま、小太りの顎めがけて指を弾いた。

 それは軽いデコピンの様な格好だったが、速度が異常だった。

 鋭く風を斬る様な音とともに、パチッ! という音が顎で弾け、小太りは白目を剥いてその場に崩れ落ちた。顎からの衝撃で脳震盪を起こし、失神したのだ。


「お目覚めの頃には全て終わってるんで。すいませんね」

 そう言って、霧島は何事もなかったかのようにドアを閉めたのだった。

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